友人との語らいの時間はたちまちに流れた、私には珍しくディナーを楽しんだ
昨晩は久々にディナーを楽しんだ。私のような年齢になると夜の外出は億劫になる。従って、ディナーを楽しむことは滅多にない。それでも昨日は、友人がチョイスし予約してくれた「ひ風水(ひふみ)」で、近況などを語り合った。
友人と語らっていて、現役時代の喜びやその一方での苦労などが蘇ってきた。私の場合には仕事を楽しむことができたし、幸いにして優秀な同僚などにも恵まれた。そして仕事を通じて、多くの素晴らしい方々とのご縁をいただいてきた。それは今も私の財産でもある。
友人はまだ現役であり真摯に仕事と向き合っており、その分苦労も多い。より豊かにと努力している姿勢に共鳴し感動すらする。美味しい千屋牛などを食べながらの語らいで、たちまちに時間が流れた。素敵な夜だった。
小川恵著『銀色の月 小川国夫との日々』を読んだ、芸術家の妻は大変だ
先日熊井明子著『めぐりあい 映画に生きた熊井啓との46年』(春秋社刊)を読んだ感想を書いた際に、「芸術家の妻というのも大変だなとも心底思った」と書いた。その思いは、作家・小川国夫の妻である小川恵著『銀色の月 小川国夫との日々』を読んで、よりいっそうその思いを強くした。
「夫との50余年の生活の中で、いつも夫の仕事の周辺をうろうろするばかりであった私だが、相手がいなくなった今、残された、この私なるものは何であったか、思い出してみようと、ペンを持ってみた。亡き夫を鏡にして、私を照らし出せばぼんやりながらも自分の姿が映るのではないかと、儚い望みを持ったのだ」とその執筆の動機を「あとがき」で書いている。
しかし、この本は作家である夫・小川国夫との単なる回想録としては書かれていない。著者がめざしたものは、著者の大学の先輩である作家・須賀敦子の作品スタイルを採用している。その須賀敦子の「スタイル」とは、「単なるエッセイではなく、ドキュメンタリーでもなく、既成の小説とも違い、日生活の描写を通して、それぞれの場面が昇華され、全く別の世界を醸し出している、独特の感性の文学作品」(「あとがき」より)と紹介している。
私はこれまでに、結構多くのパートナーが亡くなっての回想記を読んできたが、こうした書き方は珍しかった。一つの事実を取り上げて、それが「昇華」されていて、小川国夫の存命中の姿はそんなには窺い知ることはできなかった。それを著者は選択したのだろう。
ところで、私は小川国夫の熱心な読者ではない。いや正直に告白すると、「熱心な」を取り除いた方がいいくらいだ。それでも、書棚には著作集もあり、単行本も10冊を超えて並んでいる。デビューした当時の藤枝在住の小川国夫の雰囲気に惹かれて購入したように思う。
その中には、先にも紹介したが豆本や、署名・落款のある『血と幻』(小沢書店刊)もある。また、先駆文学館開館記念版の随筆集『静かな林』(限定1500部)は、識語・書名入りだ。こうした本は引き取り手を探しているのだが、その術を知らない。
ともあれ、一人の人間には一つの人生がある。様々な方の「生きる」姿に感銘を受けながら、私も暮らしていきたいと願う。
今日は公民館の「ゆかりさんのお料理教室」に参加、楽しくお料理を学んだ
毎週出勤する仕事をいただき、自宅でお野菜づくりに精を出し、沢田の柿づくりも楽しんでいる。そんな中で、図書館で借りた本を読み、時には友人たちの語らいとランチを楽しむ。時には、映画や舞台なども鑑賞する。金銭的には貧しい暮らしではあるが、そんな自分自身の生活については上を見れば切りがないのでそれなりに納得して暮らしている。
そうした日々の中で、今公民館の主催する「和菓子づくり講座」(不定期、全四回)と「ベジタブル&フルーツマイスター ゆかりさんのお料理教室」(不定期、全三回)に通っている。和菓子はどのようにして作られるのかを学び、私の料理メニューが増えればとの願いからだ。
そして今日は、「ゆかりさんの料理教室」で楽しんだ。今日のメニューは、ピザ、白身魚と野菜のアクアパッツア、キウイときゅうりの和え物、そしてサトイモだんごだった。
ピザ好きの孫たちに自宅で我がお手製を食べさせてやろうと、ピザの生地づくりに頑張った。料理的には白身魚と野菜のアクアパッツアがとても味がなじんで美味しかった。またサトイモだんごについては、きなこと黒みつもあったが、私はあずきをチョイスした。我が家にはまだジャガイモも残っているので、ジャガイモだんごを作ってみようかとも思っている。
お料理をみんなでわいわい言いながら作って食べる。女性が多数の教室だが、最近は私も違和感なく参加して楽しめる。それにしても、ゆかりさんの料理教室には若い女性の参加がとても多い。若い人たちに人気の料理教室だ。講師のゆかりさんは美しくて魅力的だし、今日は目の保養もさせていただいた。
熊井明子著『めぐりあい』を読んだ、深い信頼と愛情に支えられた夫婦の姿を見た
今朝のめざましテレビで、100年前の姿に復元された東京駅の姿が映し出されたいた。とても美しい。そして東京ステーションホテルなどの内部なども公開されていた。とても魅力的だ。来月1日オープンとのことだが、少しだけ行ってみたい気持ちになった。
さて、突然話題が変わる。私は一度だけだが、熊井啓監督に会ったことがある。日本映画復興会議の表彰式&懇親会の席だ。熊井啓監督がどんな作品で受賞したかは、今は記憶にない。
ただ、記念写真をお願いした際に、「ここはあかりが良くないので、ここにしましょう」と語って、監督ご自身が撮影場所を決められた。さすが、映画を撮られている監督であり、照明にはナーバスだと感じた。その時の写真は今手元にあるが、一緒に参加した友人も映っているのでアップできない。
そんな熊井啓監督との日々を、妻の熊井明子さんが一冊の本にされている。熊井明子著『めぐりあい 映画に生きた熊井啓との46年』(春秋社刊)だ。監督熊井啓はたくさんの本を出して監督した作品について語られている。この本は、それらの作品を製作する過程の熊井啓を、妻の立場から見て書かれていて、とても興味深かった。
私は熊井啓監督の作品は多く観ており、その製作過程を窺い知ることができて、とても興味深かった。そして同時に、病気と闘いながらの撮影であったことを知り、強靱な精神力であることも理解できた。やはり芸術家だ。
その熊井啓監督へのへのオマージュとして、我が書棚にある熊井啓の著作を並べさせていただく。『映画の深い河』(近代文藝社刊)、『映画と毒薬』(キネマ旬報社刊)、『映画を愛する』(近代文芸社刊)、『日本の黒い霧 冤罪・松本サリン事件』(岩波書店刊)、『黒部の大洋 ミフネと裕次郎』(新潮社刊)。5冊もあった結構購入していることに、我ながら驚いてもいる。
ところで、熊井啓監督のどの著作の「あとがき」にも「私が監督になってから今日までの作品の協力者であり、今回も仕事を手伝ってくれた妻の明子にも感謝せずにはいられない」と書かれている。深い信頼と愛情に支えられた夫婦の姿を見た。ただその一方で、芸術家の妻というのも大変だなとも心底思った。
今日は事業所監査で玉野まで行くのに道に迷った、家庭医の診察を忘れていた
我が法人は岡山市内だけでなく、玉野市にも診療所やディサービスなどの介護事業所を開設している。各事業所監査には、上期と下期の二回行っている。最近の開設なので、今回が二度目となる。前回はカーナビのついた車に同乗させていただいてので、自力で行くのは今日が初めてだ。
私の車にはカーナビのような近代兵器はない。前回行った際の記憶だけだ。途中までは順調だったが、最後のところで曲がる場所を間違えた。いくら進んでも、目印と考えていたポイントに着かない。要は、道を間違えたのだ。地図も持ってきていないし、事業所の電話番号もメモしてきていない。
そんな時に、我が携帯が鳴った。家庭医としてお願いしている診療所からだ。「今日は診察の予約日なのですが」と聞こえてきた。慌てて手帳を見ると、今日の欄にはそんなことは何も書かれていなかった。家庭医の診察と同時に、頸部エコーなどの検査も予約が入っていたのだが。茫然自失とはこのことだ。
「現在玉野なので、帰れない」として次回の診察日を予約した。そして、迷っていた道も一度だけ尋ね、加えて運も味方してくれて、無事に事業所に到着した。
診察日を失念していたショックに加えて、道に迷った焦り。そして二つの事業所の監査、そして夜は9時過ぎまで会議があり、家に到着したのは10時前。さすがに疲れた一日だった。
そんな今日は朝晩涼しくなってきたので、初めて背広を着て出勤した。
最近のスイーツのお店は軽食がメニューにある、昨日はニニキネで楽しんだ
我が貧しい暮らしではディナーを楽しむ余裕はない。私の決して美味しいとは言えない料理、しかもそのメニューはとても限られている、そんな夕飯が常だ。
ただ、ランチとなると打ち合わせを兼ねてということもあるので、結構機会はある。そんな中で、時折利用するのが、スイーツのお店の軽いランチだ。「スーリーラセーヌ」でも、「カフェコムサ」でも昨今はランチが用意されている。
そんなスイーツのお店の一つである「ニニキネ」でも、ランチが用意されている。昨日も、友人との語らいの時をニニキネとした。お店の奥にある「サロン NINIKINE」で素敵な時間を過ごした。そのサロンについて、HPは次のように書いている。
「ニニキネが提案する、リュクスなリラクゼーション。サロン・ド・テにてシェフパティシエが趣向を凝らしたスペシャルデザート、コーヒー、紅茶、厳選されたシャンパンをお召し上がり下さい。ソファに深々と腰を下ろし、上質でラグジュアリーなひとときをお過ごし下さい」。
そんなサロンで、昨日は<ディジョネ・リュクス>をチョイスした。美味しいお料理とケーキで、素敵な時間を過ごした。なお、<ディジョネ・リュクス>のメニューは、以下の通りだった。
前菜盛り合わせ
豚肉のメダイユ ルバーブのソース
フォカッチャ
プチデザート(日替わり)
珈琲または紅茶(ポットサービス)
定年退職後である日々狭まる我が世界、素敵な方々との雑談会で刺激をもらう
仕事をしている時には、様々な方々とお会いする機会がある。多い月には何百枚という名刺交換をしたこともある。しかし、ひとたび定年を迎えると、その世界は狭まる一方だ。
そうした中で、異なる世界で様々にご活躍をされている方々との語らいの時間は、とても貴重で楽しい。今日もそんな時間を持つことができた。フィールドが違うだけに、とても刺激的だ。
そしてまた、今日はその中のお一人が直面している困難をお聞かせいただき、誰もが襲い来る可能性のある事象について、真剣に耳を傾けたりもした。そう言えば、私が尊敬している友人から、つい最近あと数ミリずれていたら寝たきりとなっていたと、病気に直面した経験を書いたメールももらったばかりだ。
健康で、そして理不尽な困難にも直面せず、可能な限りに自分らしく生きていければと願う。そのための感性の水やりの場としても、今日のような雑談会は自分自身にとってとても意義があるし、大切にしていきたいと思う。
今日は孫の誕生日、ケーキはおじいちゃんと買うとのことでモーツアルトに行った
今日は我が孫の誕生日だった。ずいぶんと前から、誕生日をとても楽しみにしていて、カレンダーに丸を付けてカウントダウンをしていた。お誕生日のプレゼントを、一人一人にオーダーしていた。
そして、ケーキについては「おたんじょうびおめでとう」の文字が書かれたチョコレートを乗せたホールケーキがいい、そしてそのケーキはおじいちゃんと買うと言われた。お父さんと買ってくれたら私の出費は免れたのにと、嬉しくもありトホホでもあった。
そして、ケーキはいつものモーツアルトーへ買いに行った。お店ではうさぎさんのショートケーキが目につき、「うさぎさんのホールケーキがいい」と言い出した。お店の方がそのうさぎさんのショートケーキをプレゼントしていただき、本人はご機嫌となった。モーツアルトに感謝した。
夜は大好きなドレスを着て、様々に飾られた部屋で、クラッカーも鳴らしてもらうなどしてご満悦であった。私はこんな時間がいつまで過ごせるのだろうかと。少しだけ不安が襲ってきた
オリエント美術館「うつわとこころ」展に行った、油亀「うつわ展」にも行こう
今朝もいつものように5時に起床する。以前はその時間でも明るかったが、今ではもう真っ黒だ。冬が近づいていることを感じる。前夜は北川景子のドラマ「みをつくし料理長」を見て寝た。早く寝る予定が、ついつい最後まで見てしまった。
さて、昨日はオリエント美術館の特別展「うつわとこころ フォルムとデザイン」展のオープニングに行かせていただいた。朝の畑作業が予想よりはかどらず、開会の時間に少しだけ遅れてしまった。恥ずかしい限りだ。今日のオープニングでは、桃太郎少年合唱団の合唱もあった。
「今から約9000年前、誕生したばかりのオリエント最古の土器は実用性が重視されていたようです。数百年後、こころに働きかける機能が強化された彩文土器が現れたことにより、オリエントの土器は実用/非実用の要素を兼ね備えた道具となりました。以後、技術の発達とともに金属やガラス、陶器などさまざまな素材のうつわが実用化され、精神世界の発達はオリエント独特のうつわを生み出しました」(「案内文」より)
オープニングの後に、美術館の学芸員の方による展示品の作品解説が行われた。最初は実用性から出発したうつわ。そのうつわはゆたかな精神世界と経済的繁栄を物語っているとのことだ。
ところで、オリエント美術館の2Fの光の庭は、私の心安らぐ場所だ。現役時代に仕事に疲れた時に、この光の庭で読書をするなどのんびりとして過ごすことを常としていた。
そんなオリエント美術館でさまざまなうつわのフォルムとデザインを楽しんだので、今度は現代のうつわのデザインを楽しみたいと思ったりもした。すると、油亀で現在開催中の企画展 江口誠基・江口香澄のうつわ展「くらしの風景」が浮かんできた。是非とも行ってみたいと、心が動いた。
それにしても、単独の展覧会でとても立派な図録が作成されている。開催した特別展をこうして記録しておくことはとても大切だと感じた。これからもオリエント美術館には頑張って欲しい。
二年目のお野菜づくりは上手くいかない、それでも頑張って白菜などを植えた
野菜作りを始めた際に、多くの方から「一年目は放っておいてもできる」と、繰り返し言われた。実際、とても素晴らしいお野菜を収穫できた。ところが、二年目の今年は、春植えのお野菜は、満足のいく出来のものは一つもなかった。「トホホ」の日々だった。二年目のジンクスだろうか。
オクラ、オオバやモロヘイヤも、収穫はできたものの、どれも苗本体がそんなに大きくならなかった。四角豆は、少しも収穫できなかった。なんでだろう、という感じだ。
そしてこれからは、秋植えのお野菜が出番となる。既に、春菊、ルッコラ、ほうれん草、サンチェ、サニーレタスなどの葉物野菜を植えて、もう芽も出ている。これらがどうなるのか、少しだけ不安でもある。
そんな中でも彼岸の中日の今日も、朝から畑作業に精を出した。朝7時から2時間半、朝食も抜きで頑張った。今日は白菜、ブロッコリー、カリフラワーをうえた。既にジャガイモを植えており、サツマイモはもう収穫だ。
さすがに今日はシンドイ、早めにお風呂に入って、早めに寝ようと思っている。大汗を流しながら、これだけ頑張っているのに、体重計の数字は現状維持どころか日々大きくなっている。少しも小さくならない。なんでだろう、という思いだ。
ともあれ、これで秋物野菜についてはほぼ植え終えた。もう少ししたら、我が食卓に自家製の美味しいお野菜が並ぶと確信している。神様、よろしく。