参院選の議論を聞いていますと、時に「人への投資」という言葉が聞かれます。
「人への投資」と言えば「米百俵」でしょうか。今の新潟県、当時の越後長岡藩の故事が有名です。
戊辰戦争で焼け野原となった中で、贈られたコメを食べずに、それを教育費に変えて人を育て将来の発展の基礎とする決断が語り継がれています。
今の世の中で、赤字国債で捻出した膨大な予算を、バラマキをやめて、全額教育や科学技術開発に注ぎこみ、日本経済の基礎を固め、生産性を高め経済成長の回復に活用するなどという決断が出来るかと問えば、ほとんどの政党は尻込みするでしょう。
30年も経済成長に見るべきものがなく、それに加えて、格差社会の深刻化によって子供の6人に1人が貧困家庭の子と言われる状態になり下がり、それに加えてコロナ猖獗、更に国際資源問題によるインフレ、またその上に無理な金融政策で円安によるインフレの上乗せというのが今の日本の実態です。
日本自体はまだまだ国際的にみれば豊かな国でしょう。個人金融資産は2000兆円に達し、世界屈指の巨額です。
しかし、長期に積み重ねられた経済環境の厳しさと、対応する政府の政策の拙さから社会は急速に格差化が進み、貧困に喘ぐ人や家庭が著増したというのが現実でしょう。
増加する貧困家庭を問題にしながらも、政府の政策は、世界的にみられる民主主義のポピュリズム化に流され、社会の枠組み、社会意識の枠組みの組み直しを必要とする本来の対策は「一億総活躍」などと言う華麗なスローガンだけで、現実は、本当に必要かどうかも分からないバラマキも含む補助金・給付金、そして今度は贅沢な生活の人ほど手厚いものになる消費税減額の話になっています。
こうした物事の本質に踏み込まず、問題があれば、つぎはぎで覆うパッチワークが票につながる民主主義(?)になってしまっている事こそ、「深く考える人」を育てなかった「人への投資」の手抜きの結果だったのではないかと考えてしまうところです。
科学技術関係の論文引用数のランキングでもかつては世界のトップ争いに参入していた日本が今は10位辺り、大学ランキングでも日本の一流大学も低落傾向が止まらず、社会科学分野でも、現在のインフレ問題に本質的な分析や政策をあまり聞くことも無く、政府の対策も前述のように、パッチワーク中心という情けなさです。
30年近い経済の不振の中で、落ち込みを続けた「人への投資」によるマイナスを取り戻すには、もしかしたらそれより長い「人への投資」の充実の時間が必要なのかもしれません。
しかも、長岡藩の故事に倣えば、その間、贈られた米100俵(今なら赤字国債発行額でしょうか)は食べるのではなく、すべて「人への投資」の資金として使わなければならないのです
今回の参院選の議論の中で時に聞こえる「人への投資」の声が、その意味で何かのきっかけになってくれれば、そこに一条の光が見えるのかもしれませんが、さて、政府は、投票に向かう日本国民は、一体どんな選択をするのでしょうか。
「人への投資」と言えば「米百俵」でしょうか。今の新潟県、当時の越後長岡藩の故事が有名です。
戊辰戦争で焼け野原となった中で、贈られたコメを食べずに、それを教育費に変えて人を育て将来の発展の基礎とする決断が語り継がれています。
今の世の中で、赤字国債で捻出した膨大な予算を、バラマキをやめて、全額教育や科学技術開発に注ぎこみ、日本経済の基礎を固め、生産性を高め経済成長の回復に活用するなどという決断が出来るかと問えば、ほとんどの政党は尻込みするでしょう。
30年も経済成長に見るべきものがなく、それに加えて、格差社会の深刻化によって子供の6人に1人が貧困家庭の子と言われる状態になり下がり、それに加えてコロナ猖獗、更に国際資源問題によるインフレ、またその上に無理な金融政策で円安によるインフレの上乗せというのが今の日本の実態です。
日本自体はまだまだ国際的にみれば豊かな国でしょう。個人金融資産は2000兆円に達し、世界屈指の巨額です。
しかし、長期に積み重ねられた経済環境の厳しさと、対応する政府の政策の拙さから社会は急速に格差化が進み、貧困に喘ぐ人や家庭が著増したというのが現実でしょう。
増加する貧困家庭を問題にしながらも、政府の政策は、世界的にみられる民主主義のポピュリズム化に流され、社会の枠組み、社会意識の枠組みの組み直しを必要とする本来の対策は「一億総活躍」などと言う華麗なスローガンだけで、現実は、本当に必要かどうかも分からないバラマキも含む補助金・給付金、そして今度は贅沢な生活の人ほど手厚いものになる消費税減額の話になっています。
こうした物事の本質に踏み込まず、問題があれば、つぎはぎで覆うパッチワークが票につながる民主主義(?)になってしまっている事こそ、「深く考える人」を育てなかった「人への投資」の手抜きの結果だったのではないかと考えてしまうところです。
科学技術関係の論文引用数のランキングでもかつては世界のトップ争いに参入していた日本が今は10位辺り、大学ランキングでも日本の一流大学も低落傾向が止まらず、社会科学分野でも、現在のインフレ問題に本質的な分析や政策をあまり聞くことも無く、政府の対策も前述のように、パッチワーク中心という情けなさです。
30年近い経済の不振の中で、落ち込みを続けた「人への投資」によるマイナスを取り戻すには、もしかしたらそれより長い「人への投資」の充実の時間が必要なのかもしれません。
しかも、長岡藩の故事に倣えば、その間、贈られた米100俵(今なら赤字国債発行額でしょうか)は食べるのではなく、すべて「人への投資」の資金として使わなければならないのです
今回の参院選の議論の中で時に聞こえる「人への投資」の声が、その意味で何かのきっかけになってくれれば、そこに一条の光が見えるのかもしれませんが、さて、政府は、投票に向かう日本国民は、一体どんな選択をするのでしょうか。