また突然の桜島の噴火がありました。
日本列島は自然の恵みも大きいのですが、自然災害も多いという自然条件が特徴のようで、我々の先祖である、(色々な所から日本列島に移り住んだ)縄文時代の人々、縄文人は、1万年以上かけて、いかに日本列島の自然の中での生活をより良いものにするかの努力を積み上げてきたようです。
今の日本人の自然観はそうした背景から育ってきたのでしょう。自然の優しさ、恩恵に対しては、深い敬意と感謝の心を持ち、自然災害に対しては、それは自然の意思として受け入れると同時に、いかに巧みに自然と協力して、その災害を最小限にし、自分たちの身を守るかを考えて来たようです。
ところで、辞書で、自然の反対語を探しますと、「人工」と「不自然」が出てきます。
「人工」とは人間が作ったものという意味でしょう。
「不自然」は単に自然でないという意味ですから、答えとしては「人工」の方がいい答えのようです。辞書でも「人工」が先に書いてあります。
ところがこの人工という概念も自然に近いもんが良いとみられるようです。
もともと自然は循環型に出来ているので、自然は定常状態を保って、毎年同じ様な状態を繰り返し続けています。
地球が定常状態を保っているので、人間は安心して生活が出来ているわけで、その定常状態の中で、生物が発生し、植物から動物へそして現生人類まで自然の中で進化してきたのです。
ですから生物は植物も動物も、地球の自然を前提に生まれ、育ち、進化してきたのですから、そのすべてを創りだしているのは「自然」です。
当然のことながら現生人類も、地球の自然を前提に生まれ育っているのですから、海馬に埋め込まれた記憶・本能から、大脳で学習した情報・知識まですべては「自然」の中で身に着けてきたものでしょう。
その結果、人類の判断の基準の中にすんなり受け入れられる「それは自然だ」と思われるものと「どうもそれは『不自然』だ」と思われるものを見分ける基準が出来ているのではないでしょうか。
基本は地球の自然にマッチするものは「自然だ」と感じ、地球の自然にマッチしないものは「不自然だ」と感じるということになっているのでしょう。
こう考えていきますと、個人の行動から、躾けや教育、礼儀、政府の政策、国の行動まで、
それぞれの人の心の中で、自然か不自然か、どちらだろうかと感じてみれば、大抵の事は見分けが付くような感じがします。
国の財政問題や、科学技術の応用・活用、国際関係の在り方の問題など、よく解らない事が多い時代ですが、自然かどうかという視点で見ていくと、なにか人間らしいヒントが見つかるようなきがしますが、如何でしょうか。