tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「別化性能」と「類化性能」と今日の世界 (1)

2023年06月05日 16時08分42秒 | 文化社会
大分前ですが2014年9月に「最近の国際情勢と折口信夫」を書きました。

「別化性能」、「類化性能」というのは、折口信夫の考えた言葉で、「別化性能」というのは物事の違いに注目して考える能力、「類化性能」というのは物事の共通点に注目して考える能力という事のようです。

折口信夫自身は、「自分は「類化性能」がとても発達している」と考えていたそうですが、この考え方に接したとき、私は私自身も、「類化性能」の方が発達しているような気がすると思っていました。

しかし、考えてみると、自分の気持ちのどこかに「別化性能」を求めるところがあるようだなとも思っていました。

恐らく、誰もがその2つの要素を持っていて、時と場合によって、自然に使い分けているのではないのだろうかという事なのでしょう。

ただ、折口信夫が言うように、自分はどちらの能力がより発達しているという事はあるのでしょう。

そして同時に、折口信夫はやっぱり典型的な日本人なのではないかと考えるのです。
というのは、いろいろ考えてみますと、日本人というのは、どうも世界中でも「類化性能」に優れているという点が特徴のように思えるからです。

原始の時代から人間には宗教がありました。これは人間だけのものでしょう。人間の脳が時間の概念を持っているからかもしれません。(宗教を持っているのは人間だけ)

そして宗教は人間集団の数だけあって、それは皆違った神様を持っているようです。そして神様が違うと人間集団は互いに相容れない事が多いのです。

多分宗教という文化(?)は、人間にとって「別化性能」の発揮を必要とするものなのでしょう。

ところが日本では、神様と仏様が仲良く共存しています。本地垂迹説といった考え方も生まれ。国が「廃仏毀釈」を言っても、今に至る殆どの家には神棚も仏壇もあるのです。

欧米人には考えられない思考方法「神も仏も人間を救うためにあるのでしょう。それならもともとはみんな同じなのかもしれない」というのが「類化性能」の極致でしょう。

日本人は、多様な宗教を容易に容認します。多様な宗教の祭りは次々に日本に入って来て、大勢の人が楽しんでいます。
  
ところで、現代は宗教とともに、主義主張、思想信条が人心を支配することも多くなっています。
そして、困ったことに、これが種々の争いや紛争を起こし、更に戦争に発展し、核の時代にいたっては人類社会の存亡にまで影響する可能性を持っています。

これは「別化性能」を極限まで推し進めた結果でしょう。
今や生物多様性、種の保存、絶滅危惧種の救済、などに一生懸命の人類が、宗教やイデオロギーの違い(利害)のために何で殺し合うのかです。

「類化性能」を重視すれば、同じ生物、同じ人間が何故、快適に共存する社会を作れないのか「別化性能」の発揮は人類社会の別のところで必要なので、そちらで発揮してくださいという事にしてほしいものです。