今日は晴れる・・・と 天気予報は言っていますが、いまのところ曇っています。
昨夜家に帰ると 孫たちの靴が 並んでました。
これから 大きくなっていく子どもたちが 安心して育っていけるように
安部や山口の こんなデタラメな政治はやめささんとあきません。
フェイスブックに 東京選挙区で立候補していた 増山麗奈さんが 簡単なまとめを書いておられました。
私はこんなこれまでの社民党らしからぬ人がこれからの社民党を創っていくのだと感じています。
【選挙を終えて】
力になっていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
力及ばずで、申し訳ありませんでした。
この結果から謙虚に次に繋がる言葉を引き出していく事がせめて+になると思うので
出馬が決まってからの半年間の事を冷静に検証していきたいと思います。野党共闘の糧に、芸術と政治との繋がりの糧に、皆さんの人生の糧になれば幸いです。
【女性性表現についてのご批判と、その対応について】
昨年12月に公認が決まってから、たくさんの抗議がありました。
党の外からの抗議はもちろん納得ですが、党内からの抗議が多くあり、
最初の4ヶ月はほぼその党内調整で時間を費やしました。
応援をしないと断言する支部もありました。
性的な表現をした女性に対しての差別が、リベラルや女性団体の中に根強くあるのだということを痛感しました。選挙戦始まってからよりもこの時期ほうが精神的にはしんどかった。
この件に関しては、政策や言論を通じて本当に女性が輝く社会についてきちんと継続発信を行わなければならないのですが、まだまだ形にできていません。これからの課題の1つです。
特に貧困に苦しむ女性が、強制的にAV出演させられたり、キャバクラなどで働かざるを得ない状況について、その救済方法についてもっと勉強しなければならないと考えています。
ただ、その中で力になってくれる方が多く現れ、本当に支えていただきました。
鬱病にならずにすんだのはそのとき支えていただいた皆様のお陰です。本当に感謝しています。
選挙戦が進むなかで当初批判していただいた女性議員の皆様も応援していただけるようになりました。本当にありがたかったです。
【組織の看板となることへのプレッシャー】
組織というものの中で存在した事のない私が、小さいとはいえ国政政党の東京での看板として
闘うのだから本当にプレッシャーでした。分不相応なのではと感じながらも、選挙戦中はそれを顔に出す訳にもいかず、なるべくいつもニコニコ堂々と振る舞いました。(内心びくびくだったんですよ〜)
ジャーナリストとしてもアーティストとしても、作家としても、今までは好きな事を自分の責任で言えたのですが、党の公認となると責任が伴うため、行動にも制限があり、苦労しました。
政策について、事象について本来であれば自分の言葉で喋るはずなのに、まず党の政策やスタンスを確認する事からはじめなければならないために、物事を考える機能が落ちて来ているかもしれないと感じた事。
選挙を終えたこれから、鍛え直していかなければなりません。そういう意味でなるべく誠実にこの文章を作ろうと考えています。
個人としてきちんと立てていなければ、団体としても立ちようが無い。
社民党が衰退した原因の1つが、長い歴史がある政党に、関わる議員、党員が頼っており、
きちんとした個や各支部の強さがまだまだ弱い所にあると思います。
【比例票を稼ぐ事には貢献できたかも?】
とはいえ、私は今回の選挙は、社民党への愛、福島みずほさん応援から始まりました。護憲、脱原発、今の社会に最も必要な事を訴える社民党には存続して欲しい。反戦を訴えて4年二ヶ月拘留された祖父が結党に関わったこともあり、ご縁を感じたこともあります。
前回110万票しか比例とれず、このままでは「福島みずほ副党首も当選が危うい」と言われて、社民党のために一肌脱ごうと考えてスタートしました。
もちろん自分の当選も目的ですが、社民党の比例票を稼ぐ事がミッションの1つだったのです。
そのために13年間続けて来た赤旗文化欄の連載も終わりました。(正直、残念ではある!)
そういう意味では、下がり続けて来た社民党の票、今回の比例票が前回比23%アップで伸びたこと、福島みずほ副党首当選されたことは、本当によかったです!すこしは東京選挙区も比例アップに貢献したのかも!?(ただ、前回は東京選挙区は山本太郎さんを応援していたので単純比較できないのです)
2010年 2,242,735票(福島みずほ381,554票・吉田ただとも130,745票)
2013年 1,255,235票(又市征治 156,155票)
★と一気に45%減にまで支持率が落ち込んでいる所を、2013年に比べ、23%アップ。
2016年 1,536,238(福島みずほ254,956票・吉田ただとも153,197票)
★福島みずほさんの票は12万票2010年に比べて減っているので、「社民党」と書いた票が増えた
【他団体の推薦】
また、本当に当選をめざすなら、最初に他党との調整を行うべきでしたが、私の信頼不足もあり、推薦団体もなかなか広がりませんでした。
その中でご推薦をいただきました国労、全水道、最後の最後で決まった「国民怒りの声」さんには心より御礼を申し上げます。
【アートと政治のコラボ】
選挙戦最初にあったズレをなおしていく事に力を注ぎました。
増山れなを個人的に応援してくれるボランティア集団もでき、
アーティストの仲間と応援CDを作ったり、ライブペイントを盛り込んだ選挙戦でした。
【若い人達とのつながり】
制服向上委員会さんの応援をしていただいたり
応援団に、20代、10代の若者達が参加してくれたり、新しい何かを耕している、という感覚がありました。
日本学生支援機構に給付型奨学金について意見書を提出したり、
電通にオリンピックの裏金問題について追及したりもしました。
そこに希望を感じて集まってくれた方達へは、きちんと誠意をもって社会変革(給付型奨学金創設についてのロビーイング、作品、雑誌等での発信)を継続的に行っていかなければならなりません。
応援団のアート的な若い感覚と、既存の党の選挙スタイルとのすりあわせはまだまだ発展途上なまま本番を終えてしまいました。
音楽を中心とした三宅洋平さんたちが一万人以上を動員する中、私たち増山応援団はまだまだ桁違いで動員はできませんでした。そこは音響、魅せ方、もっと研究の余地がありますね!
【演説】
私の演説も、最後の最後まで、まだまだだなぁと思いながら常に動画で人々にいただいたアドバイスを汲み、いつももっと上になれるようにと努力を続けました。
もっと生活者に寄り添った政策や、障がい当事者の問題を言う、貧困対策踏み込んだ事をいうなど、政策の内容をもっと深められたら良かったです。
また、政策が分かるバナーを作って、拡散するなどの力が足りませんでした。
お金も、時間も、知名度もなかった選挙ですが、とりあえず自分のキャパシティの中でなるべく努力をした、とは言えます。93,677票。残念ですがこれが今の私、そして社民党の目一杯の実力です。
とはいえ、都民の有権者の100人に一人が「増山れな」と書いてくれたのだから、それなりにすごいことではあります!東京都連が、前回候補者を出した2010年の得票数が95000票。そのときには団体推薦がもっと多くあり(それらの労働組合の推薦のほとんどが民進にいってしまった)ことを考えると、それなりに頑張った方なのかもしれません。
投票してくださった皆さん本当にありがとうございます!
今まで未熟だった人間的部分を鍛え直していただくとても貴重な体験をさせていただきました。まだまだ、未熟な部分ばかりですが、未熟だという事を理解できた分、すこしは成長したのかもしれません。本当に支えていただいた皆さんに感謝しています。
【メディア露出】
当初、政党公認という事もあり主要候補10名、11名の中に入れていただいて、インタビュー記事が、毎日新聞、朝日新聞など主要メディアに掲載されました。テレビはNHKのニュース、報道ステーションや、TBSでのNスタで紹介もされました。日刊ゲンダイさんでも注目候補として大きく扱っていただきました。票を開けてみると、必要以上に取り上げていただいていたのかもと恐縮してしまいますが、新しいスタイルでの選挙戦が一定の評価を得たのだと考えています!メディアの皆さん、本当にありがとうございました!
【次回は・・?】
また、次回は?というお話もなんどかいただいているのですが今の所真っ白です。
もしあるとしても個人としての知名度が圧倒的に足りないことを考えると、
まずは自分のフィールド(アート、ジャーナリズム)でもっと活躍をして、雑誌連載やテレビへの露出を増やし、MOMAにアート作品が所蔵されたり、国際的な報道の賞を受賞したり、カンヌ映画祭で賞をとるとかなんだか一般の人にも知られるような活動をもっとしなければならないと思います。
党に頼らず、個人力を付けなきゃ、結果勝てない。
それが次回、あるかないか分からないけれど、政治にいくときにも力になるでしょうし、自分が出なくても選挙応援という形でも効果になるでしょうから。
憲法改悪阻止、表現の自由を守るためにできる事を発信し続けます。今後も増山れなをご支援していただけたら、幸いです。
では、みなさん、また会う日まで!
力になっていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
力及ばずで、申し訳ありませんでした。
この結果から謙虚に次に繋がる言葉を引き出していく事がせめて+になると思うので
出馬が決まってからの半年間の事を冷静に検証していきたいと思います。野党共闘の糧に、芸術と政治との繋がりの糧に、皆さんの人生の糧になれば幸いです。
【女性性表現についてのご批判と、その対応について】
昨年12月に公認が決まってから、たくさんの抗議がありました。
党の外からの抗議はもちろん納得ですが、党内からの抗議が多くあり、
最初の4ヶ月はほぼその党内調整で時間を費やしました。
応援をしないと断言する支部もありました。
性的な表現をした女性に対しての差別が、リベラルや女性団体の中に根強くあるのだということを痛感しました。選挙戦始まってからよりもこの時期ほうが精神的にはしんどかった。
この件に関しては、政策や言論を通じて本当に女性が輝く社会についてきちんと継続発信を行わなければならないのですが、まだまだ形にできていません。これからの課題の1つです。
特に貧困に苦しむ女性が、強制的にAV出演させられたり、キャバクラなどで働かざるを得ない状況について、その救済方法についてもっと勉強しなければならないと考えています。
ただ、その中で力になってくれる方が多く現れ、本当に支えていただきました。
鬱病にならずにすんだのはそのとき支えていただいた皆様のお陰です。本当に感謝しています。
選挙戦が進むなかで当初批判していただいた女性議員の皆様も応援していただけるようになりました。本当にありがたかったです。
【組織の看板となることへのプレッシャー】
組織というものの中で存在した事のない私が、小さいとはいえ国政政党の東京での看板として
闘うのだから本当にプレッシャーでした。分不相応なのではと感じながらも、選挙戦中はそれを顔に出す訳にもいかず、なるべくいつもニコニコ堂々と振る舞いました。(内心びくびくだったんですよ〜)
ジャーナリストとしてもアーティストとしても、作家としても、今までは好きな事を自分の責任で言えたのですが、党の公認となると責任が伴うため、行動にも制限があり、苦労しました。
政策について、事象について本来であれば自分の言葉で喋るはずなのに、まず党の政策やスタンスを確認する事からはじめなければならないために、物事を考える機能が落ちて来ているかもしれないと感じた事。
選挙を終えたこれから、鍛え直していかなければなりません。そういう意味でなるべく誠実にこの文章を作ろうと考えています。
個人としてきちんと立てていなければ、団体としても立ちようが無い。
社民党が衰退した原因の1つが、長い歴史がある政党に、関わる議員、党員が頼っており、
きちんとした個や各支部の強さがまだまだ弱い所にあると思います。
【比例票を稼ぐ事には貢献できたかも?】
とはいえ、私は今回の選挙は、社民党への愛、福島みずほさん応援から始まりました。護憲、脱原発、今の社会に最も必要な事を訴える社民党には存続して欲しい。反戦を訴えて4年二ヶ月拘留された祖父が結党に関わったこともあり、ご縁を感じたこともあります。
前回110万票しか比例とれず、このままでは「福島みずほ副党首も当選が危うい」と言われて、社民党のために一肌脱ごうと考えてスタートしました。
もちろん自分の当選も目的ですが、社民党の比例票を稼ぐ事がミッションの1つだったのです。
そのために13年間続けて来た赤旗文化欄の連載も終わりました。(正直、残念ではある!)
そういう意味では、下がり続けて来た社民党の票、今回の比例票が前回比23%アップで伸びたこと、福島みずほ副党首当選されたことは、本当によかったです!すこしは東京選挙区も比例アップに貢献したのかも!?(ただ、前回は東京選挙区は山本太郎さんを応援していたので単純比較できないのです)
2010年 2,242,735票(福島みずほ381,554票・吉田ただとも130,745票)
2013年 1,255,235票(又市征治 156,155票)
★と一気に45%減にまで支持率が落ち込んでいる所を、2013年に比べ、23%アップ。
2016年 1,536,238(福島みずほ254,956票・吉田ただとも153,197票)
★福島みずほさんの票は12万票2010年に比べて減っているので、「社民党」と書いた票が増えた
【他団体の推薦】
また、本当に当選をめざすなら、最初に他党との調整を行うべきでしたが、私の信頼不足もあり、推薦団体もなかなか広がりませんでした。
その中でご推薦をいただきました国労、全水道、最後の最後で決まった「国民怒りの声」さんには心より御礼を申し上げます。
【アートと政治のコラボ】
選挙戦最初にあったズレをなおしていく事に力を注ぎました。
増山れなを個人的に応援してくれるボランティア集団もでき、
アーティストの仲間と応援CDを作ったり、ライブペイントを盛り込んだ選挙戦でした。
【若い人達とのつながり】
制服向上委員会さんの応援をしていただいたり
応援団に、20代、10代の若者達が参加してくれたり、新しい何かを耕している、という感覚がありました。
日本学生支援機構に給付型奨学金について意見書を提出したり、
電通にオリンピックの裏金問題について追及したりもしました。
そこに希望を感じて集まってくれた方達へは、きちんと誠意をもって社会変革(給付型奨学金創設についてのロビーイング、作品、雑誌等での発信)を継続的に行っていかなければならなりません。
応援団のアート的な若い感覚と、既存の党の選挙スタイルとのすりあわせはまだまだ発展途上なまま本番を終えてしまいました。
音楽を中心とした三宅洋平さんたちが一万人以上を動員する中、私たち増山応援団はまだまだ桁違いで動員はできませんでした。そこは音響、魅せ方、もっと研究の余地がありますね!
【演説】
私の演説も、最後の最後まで、まだまだだなぁと思いながら常に動画で人々にいただいたアドバイスを汲み、いつももっと上になれるようにと努力を続けました。
もっと生活者に寄り添った政策や、障がい当事者の問題を言う、貧困対策踏み込んだ事をいうなど、政策の内容をもっと深められたら良かったです。
また、政策が分かるバナーを作って、拡散するなどの力が足りませんでした。
お金も、時間も、知名度もなかった選挙ですが、とりあえず自分のキャパシティの中でなるべく努力をした、とは言えます。93,677票。残念ですがこれが今の私、そして社民党の目一杯の実力です。
とはいえ、都民の有権者の100人に一人が「増山れな」と書いてくれたのだから、それなりにすごいことではあります!東京都連が、前回候補者を出した2010年の得票数が95000票。そのときには団体推薦がもっと多くあり(それらの労働組合の推薦のほとんどが民進にいってしまった)ことを考えると、それなりに頑張った方なのかもしれません。
投票してくださった皆さん本当にありがとうございます!
今まで未熟だった人間的部分を鍛え直していただくとても貴重な体験をさせていただきました。まだまだ、未熟な部分ばかりですが、未熟だという事を理解できた分、すこしは成長したのかもしれません。本当に支えていただいた皆さんに感謝しています。
【メディア露出】
当初、政党公認という事もあり主要候補10名、11名の中に入れていただいて、インタビュー記事が、毎日新聞、朝日新聞など主要メディアに掲載されました。テレビはNHKのニュース、報道ステーションや、TBSでのNスタで紹介もされました。日刊ゲンダイさんでも注目候補として大きく扱っていただきました。票を開けてみると、必要以上に取り上げていただいていたのかもと恐縮してしまいますが、新しいスタイルでの選挙戦が一定の評価を得たのだと考えています!メディアの皆さん、本当にありがとうございました!
【次回は・・?】
また、次回は?というお話もなんどかいただいているのですが今の所真っ白です。
もしあるとしても個人としての知名度が圧倒的に足りないことを考えると、
まずは自分のフィールド(アート、ジャーナリズム)でもっと活躍をして、雑誌連載やテレビへの露出を増やし、MOMAにアート作品が所蔵されたり、国際的な報道の賞を受賞したり、カンヌ映画祭で賞をとるとかなんだか一般の人にも知られるような活動をもっとしなければならないと思います。
党に頼らず、個人力を付けなきゃ、結果勝てない。
それが次回、あるかないか分からないけれど、政治にいくときにも力になるでしょうし、自分が出なくても選挙応援という形でも効果になるでしょうから。
憲法改悪阻止、表現の自由を守るためにできる事を発信し続けます。今後も増山れなをご支援していただけたら、幸いです。
では、みなさん、また会う日まで!