LOVEの一考察
(好き)なことをする!ことに
何の変哲もないけれど
それぞれの事象の質が違うのだ
例えば
人間を好きになること
好きな食べ物があること
気に入った文章を書く作家がいること
それから
見たり聞いたり
気に懸かるスポーツがあって
応援する選手がいること
それからそれから
夜明け前の深い蒼に惚れたり
mizutamaの誘惑に抗えなかったり
贔屓の女優のbromide paperが残っていたり
心惹かれる文字があったりetc
多種多様の(I love)が存在して
その数の集積が
僕の日常の哀楽を埋める
たった一つの項目に過ぎない
(好き)にも
膨大な裏付けがあるから
その集合体であるひとりひとりの思惑を
理解するなどは愚挙になる
知らないまま
解らないまま
どれかのinochiのメッセージと交差すれば
何かのinochiの木霊に共鳴できれば
inochiのutaの一節のメロディーに唱和できれば
そうして
それが多岐に亘っての循環に成るとしたら
人生という玉響の豊饒さも
些かは極まってゆくに相違ない