Love三唱-Ⅰ唱-大渦に
好きなヒトは一杯居るし
これから
好きになるヒトにも
一杯出会うだろう
そうして
生まれも育ちも顔も姿も
判らないけど
今まさにこの一行を
呼んでくれてるanataも
間違いなく
好きなヒトの一人に数えられる
願わくば
溢れる程の好きの感情の
大いなる渦に巻き込まれて
最期の息を吐き出したい・・
Love三唱-Ⅰ唱-大渦に
好きなヒトは一杯居るし
これから
好きになるヒトにも
一杯出会うだろう
そうして
生まれも育ちも顔も姿も
判らないけど
今まさにこの一行を
呼んでくれてるanataも
間違いなく
好きなヒトの一人に数えられる
願わくば
溢れる程の好きの感情の
大いなる渦に巻き込まれて
最期の息を吐き出したい・・
週間予報では、明日がくもりで、明後日からは晴マークが週末まで。どうやら、その辺りで”梅雨明け”の宣言が(と言っても例の-○○した模様です。の腰砕けの・・。)出されるかも知れません。してみると今朝の雨降りは、長く執拗に列島を覆って少なからずの災いを齎した”雨季”の断末魔のように思えなくもありませんね。
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
雨はでも、たくさんの惠も与えてくれるもの。要はバランスでしょうか。そればっかりは人間の力の及ばないところで、ただ安寧の移ろいを願うしかないものですが。
けれど、僕にとっては時々こんな風にプレゼントを送付してくれる現象でもあります
百合の花びらの上の小動物の・・
仲間は他に
07/27 07:40 まんぼ
夢紀
夢は温めている間は
畢竟の宝石だが
叶えてしまえば
往々にして光輝を失い
過去の化石になり
もしかしたら
不要の産物になってきたりもする
けれどyumeは
inochiの浮揚に不可欠なアイテムだから
誰も彼も
狂奔して次のyumeを探し
新しい起源の光珠を見つけようと
粉骨砕身する
まるで
その発掘がほんとうのyumeのように
それが
夢紀の地層だったりする
それでいい
夢とは正体不明の希望だから
それぞれのmuneで
どの様に堆積されても
それでいい
anataにもbokuにも
夢紀の生き様が
その想層の存在が
灯り続ける道標のように
未知の未来の未明を拓く
光明のひとつであれば・・
転寝
大地をknockする雨音が
心地良い音階のように
日曜の転寝を続けさせる
取り立てて為すべきは無く
誰からも,何からも
無干渉の放蕩よ
急かされる何事の
危惧も,選択も存在せず
唯ひたすら,思いのまま
夢幻の廻廊を往来するひととき
気懸りのひとつ無く
気にすべき凸凹も無く
muneの風景を
粛然と塗りこめてゆく,rain,rain,rain
嗚呼,僕のinochiこのとき
tokiの揺蕩いに浮かぶ水泡
その他に
何のイメージも纏わぬ,ひと滴で
夢中の泡abukuと戯れる
hontouに
ほんとうに会いたい人がいたら
きっと
道案内してくれる
ほんとうに出会いたい人がいたら
きっと
その為の地図を描いてくれる
ほんとうに欲しい糸があったら
hontouにそう望んだら
きっと,いつか
それは現実の絲になる
この狭い現世でなくても
この雑多な絡繰りの幾何学を
無理に解かなくても
ほんとうに・・は,難しいけれど
それは
生まれつく確率のようなものだけど
ほんとうに必要なものは
そのことに一点の曇りもなければ
案外と,意外と,易々と手にできる手筈を
何かしらが整えてくれる
何かしら・・は,なかなか言い難いけれど
六月の、水無月の、吾輩の古希の次の誕生日のプレゼントに、長女から貰った組み立て式の「ハンモック」を、漸うその気になって箱を解体。
外国製ですが、使い道は三通り。「ハンモック」と「チェアー」と「ハンガーラック」に使える優れもの。
使わないときは折りたたんで収納できるカバン付き。今は物珍しいので孫たちが取り合いで遊んでいますが、あの子たちが飽きたら、僕専用の癒しの装具として重宝しそうなプレゼントです。
今朝UPした続きの実じゃなく花の部です
07/25 20:36 まんぼ
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ 精製の質の悪い鉛のようなグレーの濃淡の空から降っている雨が、レースのカーテン越しにも絹糸のように見える程のの朝になりました。
世間では”4連休”の外出は控えて!・・と姦しいことですが、細々と個人事業主の僕にはあまり関係のない喧騒で、今日も午前中は、人間が流出して人の気配が限りなく薄くなりつつある山間の在所への商いに出る予定です。まあ、暦通り休みだったとしてもこのご時世では家に籠もるしかその持て余す暇を消費する方法もなかなか見つからないのでしょうけど・・。
雨が小休止だった昨日の朝の間に4000歩ほどウオーキングしてきました。勿論、ブログに載せられそうなネタに出合えるかも知れないとニコンの”COOLPIX"を道連れに
道には農作業の機械や軽トラが
落としていった土塊が一杯。それが、知り合いのような相貌に見える。
見えますか?
僕は見える
サンシュウ
稲の花を知らないヒトに
咲き終わって、結実。
極甘柿
花梨の子
キウイの集団
毬栗ふたつ
無花果もたくさん・・
銀杏の実
南瓜。あの根本が膨らむ。
あ、知人だ!
最期は”ヤマボウシ”のまだ青い実です。時間が経ったら”Orange”になり、更に”赤い実”に。
07/25 06:41 まんぼ
SIの考察-Ⅴ-生殺与奪
賢愚も善悪も,卑小も尊大も,
偉人も凡庸も,傑物も俗物も,
其其の色合いの
ひと滴になって海に還る
たった一筋の
紫煙になって空に融ける
それは
交じりっこなしの,inochiの順列
そこに何らの差異はない
ただ,生き残る人々は
良し悪しの見本として
死者を区分けするのだ
-それは,よく理解できる-
けれど,傑出した人間が
良く死ねるかどうかは,不明だ
生き残る側に,何ひとつとして
理路整然とした資料など,皆無なのだ
それだから
詮索に疲れ果てたHomo sapiensは
神や仏に,その権利や解釈を委ね
自らのコメントを放棄する
そうして一言
アーメン!
なまんだぶ・・
南無妙法蓮華経!
と唱える
※ 何か今日は「SIの考察」の特異日のような雰囲気になってしまいましたが、ご心配なく。決して僕自身がSIに魅入られた訳でも、SIに尻尾を振ったからでもありません。
僕はまだ溌溂さを残存して、小雨が降ったり止んだりの胡散臭い今日の”海の日”も、何時もの様に午前も午後も有るだけの”洗い師”の仕事を熟し、その上で夕方から少し本気になった雨降りの中を傘を肩に”雨に唄えば”のように軽やかにwatchingしてきました。
それというのも、curriculum「雨」の中から湧いてくるコトバやphraseに触れるたびに立ち止まって、ポケットからmemo用紙を出し、そこに黒のball penで書き込む一行一行が新鮮で、このSIの考察のSIも、偶々そんな過程で生まれたものなのです。
UPが終わったので、これから”詩21”の99ページと100ページめに編入するつもりです。僕が現実の一欠けらの藻屑になる時まで、その詩集の間で生き続けてゆく一篇のポエムです
07/24 22:20 万甫
SIの考察-Ⅳ-千人千様
SIに就いてを語るのは
とても
僭越かもしれないけれど
それでも
唯一決定事項の
そこに向かうことは
万人に共通の事実だから
年齢のどの辺りで話し出しても
大きな瑕疵ではない気もする
SIは浪漫的ではないので
万人に受ける言葉には
加工し難いけれど
そこに至るプロセスの
有効性や有益性や有情無情の台詞なら
折に触れて
書き表せそうな気もする
そうしてやはり
近付きつつあるものや
近付いてしまったもの達の
物言いこそ
由りSIの具体や具象に
迫られるかもしれないのだ
それにしても
だとしても
SIは間違いなく千人千様で
一律一様の筋書きなど
一行も記述される訳はないが・・
SIの考察-Ⅲ-千の命題
拝借したinochiを返却するまでの間に
やっておきたいことは
百もある
自身の始めと後書きまでを
綴ってゆくのに必要な命題は
千もある
あまりに狭いmemo帳や
ページ数の限られたnoteでは
とても納めきれないコトバや
書き切れない行数になる・・
例えば
ひとつは秘め持つ珠玉のこと
ひとつはplatinumの縁の煌めきのこと
ひとつは縦横無尽のmyコスモス
ひとつはココロを重ねるanataのこと
ひとつは遡るinochiの原点
それから・・
それから・・
数多有るetc
その百分の幾らかを残し
その千分の幾つかを除いて
大方は始末したという気分で
心置きなく僕は
天上に向かう
凛と垂直の紫煙に成りたいのだ