先日 宮城の地で 友が 旅立った
15歳あたりから20歳過ぎまでの青春の時期を 北の地 函館で共に過ごした 友
戦後 日本の復興におおよそ目途がたち
さらなる 工業立国を目指し 新制度国立高専の触れ込みでスタートの学制に集った者達の一人だった
諸事情があって 自分もその仲間に加わらせもらったのだった
北海道各地はもとより 青森 秋田 岩手からも 函館の校舎で顔を合わせた頃の友を思い出す
十代半ばの それぞれの大志を抱きながらの 少年少女まっさかりの 同胞・・・
めざましい経済成長を支える一翼をになっていたともいえる戦士たちだった
自分はその 学制卒二期生
右肩上がりの 驚異的な高度成長期に連なる頃の この国の空気
其処で生きながらえた仲間だった
彼は 鉄道の発展に関わっていたのだった
北海道新幹線のことも おおいに 気がかりだったろうに・・・
6月も末 つい一週間ほど前まで クラスメートにフェースブックで語りかけていたそいつに そんな悪夢が待ちかまえているなどとは夢にも思えなかった
突然の入院の後 一週間も経たぬうちの 別れ
まさしく 人生の無常
家内ともども 東北の地に 走り 別れをしてきた
なにがあっても不思議ではない 人生 という舞台
一日 一日 大切に
このことを 肝に銘じて 努めようと あらためて 思ったことだった
世は やや キナ臭いような そうでないような
それにしても 地球上を眺めれば なんとも 悲しくなるばかりのことも
確かに多い
が
流されることなく 自己の力の及ぶ限り 少しでもいい世になるよう 生き続けられるよう 励まねばならないものだと 自分を叱咤した 今日の 夕暮れだった
悲しみは 悲しみとして
沈んでばかりでは 友にも すまない
仕事机に 向うこととする