囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

どうする「トイレなきマンション」

2020-10-17 14:42:08 | さよなら!原発
昨日の東京新聞です。うれしい記事の隣に怒りを覚える記事が載っていました。



政府は、福島原発の放射能汚染水を海の放出することを決めるそうです。

原発にこだわった政策のなれの果てです。
全漁連は「絶対反対」を表明していますが、漁連の声も、国民の声を無視しての暴挙です。

その前の日、宮城県知事は「女川原発2号機の再稼働に同意しました。
またまた、放射能汚染物がドンドン増えてゆきます。

放射能汚染物の処理が決まっていない中で、汚染物質を増やしてゆくことなど私は反対です。

放射能汚染物の最終処理場の受け入れ調査先として、北海道の寿都町と神恵内村が名乗りを上げたようです。これも住民、近隣市町村、北海道の反対の声を無視しての暴挙です。

原発の放射能汚染物の問題についての講演記録がありましたので、読み直してみました。2007年のものですが、地名だけ変えれば、現在にそのまま通用するものです。長いですが、ぜひ、読んでみてください。

小出裕章さんの文章です。高レベル放射性廃物の最終処分場についての討論会 2007年 2月 27日(火)
厖大な核のごみの始末のつけ方
京都大学・原子炉実験所 小出 裕章
Ⅰ.原子力発電とは何をしているのか?
原子力発電がしていることはお湯を沸かすこと
多くの人は、原子力というと科学の最先端で、とても難しいことをしていると思うでしょう。しかし、
図1に示すように、原子力発電でやっていることは単にお湯を沸かすことだけです。その点を取れば火
力発電とまったく同じで、沸かした湯気でタービンという羽根車を回し、それにつながった発電機で電
気を起こしているにすぎません。
それなのになぜ原子力が特別な危険を
抱えているかといえば、原子力の燃料で
あるウランを燃やせば(核分裂させれば)、
核分裂生成物という死の灰が否応なくで
きてしまうからです。二酸化炭素も灰も
生まずに物を燃やせないように、死の灰
を生まずにウランを燃やす(核分裂させ
る)ことはできません。このことが、原子
力が抱える危険の一切の根源です。
原子力発電所が生み出す死の灰の量は厖大
今から 62 年前の夏、米国は女性や子供を含めたたくさんの非戦闘員が生活していた街に原爆を落と
しました。広島と長崎の街は一瞬に壊滅し、短期間に 10 万人を超える人々が筆舌に尽くしがたい苦痛
のうちに命を奪われました。かろうじて生き延びた人たちも「ヒバクシャ」というレッテルを貼られて、
苦痛に満ちた人生を歩まざるを得ませんでした。その広島原爆で燃えたウランは 800g、長崎で燃えた
プルトニウムは 1050g でした。一方、今日では標準となった 100 万 kW の原子力発電所の場合、1年
間の運転で約 1000kg、広島や長崎の原爆に比べて約 1000 倍のウランを燃やします。当然、燃えた分だ
けの核分裂生成物(死の灰)ができます。
Ⅱ.生み出した放射能はいずれごみになる
放射能のごみを生み出す全体像
その上、問題はそれだけでは済みません。原子力発電所を動かすためには、原子力発電所だけがあれ
ばいい訳ではないからです。そのために必要な一連の工程を図2に示します。電気が欲しくて原子炉を
動かそうとすれば、まずウラン鉱山でウランを掘ってこなければなりませんが、その段階からすでに厖
大な放射性のごみを生みます。次に、掘ったウランを原子炉で燃えるように濃縮し、加工したりしなけ
図1 原子力発電と火力発電は湯沸し装置
2
ればなりませんが、その過程でもまたごみが出ます。さらに、原子炉を動かせば、その段階でもたくさ
んのごみが出ると同時に、使用済みとなった燃料は厖大な死の灰の塊として人類の未来に大きな負債と
なります。
ウラン残土すら始末できなかった日本
原子力の推進派は、原子力の場合、発電所に搬入しなければならない燃料の量が他の発電方式に比べ
て圧倒的に少ないと主張します。しかし、元をたどってウラン鉱山まで行けば、図2に示すように 240
万トンもの残土(放射能を持った廃物)が鉱山周辺に捨てられることになります。
日本では 1955 年末、岡山県と鳥取県の県境にある人形峠でウランが発見され、その後約 10 年にわた
って試掘が行われました。その間、取り出されたウランはわずか 85 トン、100 万 kW の原子力発電所 1
基の半年分の運転を支えるにも足りないほどのわずかな量でした。結局、人形峠周辺には採算がとれる
ようなウランは存在していないことが分かり、鉱山は閉山しました。一方、試掘によって掘り出された
ウラン鉱石混じりの残土は、人形峠周辺の民有地を中心に合計で約 45 万 m3
、ドラム缶に詰めれば 225
万本分が野ざらしにされました。そのことに気づいたのは 1988 年になってのことでした。ほとんどの
土地は再度国と貸借契約を結ぶことで、残土の放置を容認しましたが、鳥取県湯梨浜町の方面(「かた
も」と読みます)という集落だけは、自分たちの村を昔の静かな村にして返して欲しいと要求しました。
1990 年に一度は住民と協定
書を結んで残土の撤去を約
束した動燃(動力炉核燃料
開発事業団、現、原子力研
究開発機構)は、撤去先が
ないことを理由に放置を続
けてきました。住民は苦悩
の果てに、残土の撤去を求
めて裁判を起こしました。
2002 年 5 月になって地裁が
動燃に 3000m3 分の残土を撤
去するよう命ずる判決を出
し、動燃は控訴しましたが、
高裁も最高裁も原判決を支
持して 2004 年 10 月に動燃
の敗訴が確定。動燃は残土
を撤去せざるをえなくなり
ました。動燃は撤去を先延
ばししながら住民の懐柔を
図りましたが、住民の意志
は崩れませんでした。結局、
動燃は残土を日本国内では
ウラン鉱山 残土、240 万トン
製錬
濃縮・加工
原子炉
再処理
廃物処分
鉱滓、13 万トン
低レベル廃物
劣化ウラン、160 トン
低レベル廃物
低レベル廃物、ドラム缶 1000 本
廃炉
低レベル廃物
中レベル廃物
ウラン鉱石、13 万トン
天然ウラン、190 トン
濃縮ウラン、30 トン
使用済み燃料、30 トン
高レベル廃物、
固化体 30 本
使用済み燃料、30 トン
プルトニウム、300kg
資材・エネルギー
資材・エネルギー
資材・エネルギー
資材・エネルギー
資材・エネルギー
資材・エネルギー
図2 100 万 kW の原発を巡る一連の流れ
70億 kWh
の電気
3
始末をつけることが出来ず、残土のうちウラン濃度の高い一部、290m3 の残土を「鉱石」としてアメリ
カ先住民の土地に捨てに行きました。今は、裁判で撤去を命ぜられた残りの 2710m3の残土をレンガに加
工して県外に搬出する計画が浮上しています。しかし、放射能はレンガにしたところで無くなるわけで
はありません。いずれまた力の弱い地域に押しつけられる以外にありません。こうして、原子力開発の
最初に生じる残土すら始末できないままです。
Ⅲ.核のごみの厖大さ、そして問題は時間の長さ
どうにもできない使用済み燃料
現在日本には 56 基、5074 万 kW 分の原子力発電所が動いていて、私たちは電気が欲しいといって原
子力発電を動かしながら、毎年、広島原爆約 5 万発分に相当する死の灰を生み出しています。日本で原
子力発電が始まって以降、原子力発電はたしかに6兆 kWh に近い電力を生み出しました。しかし、そ
の裏で不可避的に生み出した死の灰の総量は、すでに広島原爆 100 万発分に達しています(図3参照)。
日本人の一人ひとりが等しくこの放射能に責任があるとは思いませんが、もし原子力の恩恵を受けてい
る今の世代の人間が等しく責任を負うとするならば、セシウム 137 の減衰を考慮してなお、わずか 150
人で広島原爆 1 発分の放射能に責任を負うことになります。
人類初の原子炉が動き出したのは 1942 年のことでした。それ以降すでに 60 年以上の歳月が過ぎ、
その間死の灰を死の灰でなくそうと研究が続けられてきましたが、困難はますます増えるばかりで一向
にその方法が視えません。そうなれば、できることは死の灰を人類の生活環境から隔離することしかあ
りません。放射能にはそれぞれ寿命があり、一口
に「死の灰」といっても、寿命の長いものも短い
ものもあります。代表的な核分裂生成物、セシウ
ム 137 の半減期は 30 年です。それが 1000 分の 1
に減ってくれるまでには 300 年の時間がかかり
ます。
その上、原子力発電が生み出す放射能には、も
っとずっと長い寿命を持った放射能があります。
たとえば、長崎原爆の材料にもなったプルトニウ
ム 239 の半減期は 2 万 4000 年で、それが 1000
分の 1 になるまでには 24 万年かかります。原子
力発電所の使用済み燃料(あるいはそれを再処理
して生じる高レベル放射性廃物)は、およそ 100
万年に渡って人間の生活環境から隔離しなけれ
ばならない危険物です。日本では現在、青森県六
ヶ所村に建設された貯蔵施設(高レベル放射性廃
棄物貯蔵管理センター)に、およそ 50 年間を目
処に一時的に貯蔵して当座をしのいでいます。ま
た、2000 年 5 月に「特定放射性廃棄物の最終処分
1970 1980 1990 2000 0
1
2
3
4
5
6
7
0
10
20
30
40
50
60
70
80
90
100
110
120
[兆kWh]
広島原爆に換算した
核分裂生成物生成量
[万発分]
累積生成量
当該年度に蓄積している量
累積発電量
(セシウム137として減衰を考慮)
図3 日本の原子力発電による累積発電量と
核分裂生成物の累積生成量
原子力では、発電量と放射能の生成量は1対1に対応す
る。たしかに、日本の原子力発電は6兆Kwhを超える電
力を生産したが、その裏では、広島原爆が撒き散らした
放射能の100万発分を超える放射能を生み出した。
4
に関する法律」が成立し、その廃物は、深さ 300~1000mの地下に埋め捨てにする方法が唯一のものと
決められました。
最終処分施設の安全性
高レベル廃液はガラス原料と混合してステンレス容器に流し込んだ上で固化します。ガラスは安定な
物質といわれていますが、高レベルガラス固化体の場合、放射性物質自体からの発熱と被曝、放射性物
質が崩壊すれば別の物質になることによる組成の変化などで、劣化が進みます。またステンレスは錆び
にくい金属ではありますが、錆びない金属ではありません。そのため、ステンレス容器をさらに厚さ
190mm の炭素鋼のオーバーパックで包むことになっていますが、炭素鋼は 1 年間で 0.03mm は錆びていき
ますので期待どおりにいっても 6000 年もたてばなくなってしまいます。後はむき出しの放射能を自然
の機構で閉じ込めてもらうことを期待します。
しかし、日本は世界一の地震国ですし、高知県は連綿と起きてきた南海地震の震源域です。原子力を
進める人たちは、高レベル廃物の処分を深地層処分と呼んでいますが、300m や 1km の深さなど、半径
6000knm ある地球からみれば薄皮のまた表面にしかすぎません。地震は数 km あるいは数十 km の深さか
ら岩盤を割りながら地表面まで断層を現します。そのような事象に巻き込まれてしまえば、処分場が安
全である道理がありません。
また、どんなに考えたところで、100 万年後の社会など想像できる道理がありません。もちろん現存
しているすべての国は消滅しているでしょうし、人類そのものが存在しているかどうかすら分かりませ
ん。その頃にもし人類がこ
の地球上に存在していれ
ば、地下 1000mなど、ご
く普通の生活環境になっ
てしまっているかも知れ
ません。結局、人類は原発
が生み出す廃物の処分方
法を知らないまま今日ま
で来てしまいました。いま
だにその処分法を確定で
きた国は世界に1つもあ
りません。
後は候補地を探すだけ
埋め捨てを決めてしまえば、後はどこに埋めるのかを決める作業が残るだけです。その作業をする組
織は原子力環境整備機構です。この組織は自分を「NUMO」と呼んで下さいと言っていますが、その英語
名は「Nuclear Waste Management Organization」で、きちんと翻訳すれば核廃物管理機構です。「Nuclear」
を「核」と訳さずに「原子力」と訳すところは日本の原子力推進派の常套手段ですが、英語の略称にす
る時にわざわざ「Waste(廃物)」を無視してしまい、日本語にする時には「環境」という言葉を滑り
込ませるなど、詐欺とでも言うべきと思います。その組織は埋め捨てを決めるに当って、立候補制をと
りました。つまり核のごみを自分が引き受けると立候補した所に捨てると言うのです。ただし、誰でも
表1 気が遠くなる時間の長さ(2007 年現在)
日本で原子力発電が動き始めて(1966 年)から 41 年
現在の 9 電力会社ができて(1951 年)から 56 年
日本初の電力会社(東京電灯)ができて(1886 年)から 121 年
明治維新(1868 年)から 139 年
アメリカ合州国建国(1776 年)から 231 年
忠臣蔵の討ち入り(1702 年)から 305 年
邪馬台国(卑弥呼)から 約 1,800 年
神武天皇(?)即位から 2,667 年
低レベル放射性廃物のお守り 300 年
高レベル放射性廃物のお守り 1,000,000 年
5
嫌がる核のごみを簡単に受け入れる自治体があるはずもありません。そこで NUMO は立候補すれば、そ
れだけで金を払うと約束しました。そのカネを求める自治体が1つまた1つと現れては消えてきました
が、今、この東洋町がその処分場の誘致で立候補しました。
Ⅳ.狙われる小さな自治体
原子力のつけは誰が負うべきなのか
人類が原子力に手を染めた当初、原子力は無尽蔵のエネルギーで、値段もつけられないほど安価なエ
ネルギーだと言われました。私自身もそうした宣伝に夢を抱いて原子力の世界に足を踏み込みました。
しかし、それらはみな嘘でした。原子力の資源であるウランは大変貧弱な資源でしかありませんでした
し、安価でもありませんでした。また、原子力発電所はそれが抱える危険性のために、決して都会には
建設できませんでした。では、いったい原子力など何のために進めてきたのでしょうか? 私自身がそ
うであったように、夢のエネルギーとして目が眩んだままここまで来てしまったのでしょうか? それ
なら気づいた時点で足を洗えばいいだけです。たしかに、原子力を進めてきた人々の中にも、原爆の威
力に目がくらんで原子力にあらぬ期待をかけた時期はありました。その期待は、愚かなものでしたし、
そのことに多くの人々が気づくようになってきました。しかし、社会や国には個人の論理とは別の論理
があります。連綿と原子力を続けてきて、未だに足を洗えない理由もまた存在しています。私が気づい
た点は3つでした。
① 個別企業、電力会社の利益
電気事業法で巨大発電所を持つと、それに比例した利潤が認められた
② 三菱・日立・東芝など巨大原子力産業の利益
③ 核開発の技術的な力と原爆材料(プルトニウム)を蓄えたい国の意図
しかし、電力自由化の時代になり、電力会社の放漫経営は許されなくなりましたし、世界一高い電気
代となって国際競争に勝ち残れなくなった産業を考えれば、一部の原子力産業の利益だけを守ることも
できなくなりました。したがって、①と②の要求はすでに破綻しています。いまだに、③の要求は残っ
ていますが、日本という国は、これまでの原子力開発ですでに長崎原爆 4000 発を超える原爆を作れる
だけの材料(プルトニウム)を懐に入れています。原子力をこれ以上拡大する意味もありません。それ
でもいまだに日本では原子力が推進されようとしています。何故そうなのかと考えて、私は一つの原因
に行き着きました。それは貧困な政治によって疲弊された小さな自治体がカネにすがって生き延びよう
とすることです。原子力発電を誘致する、再処理工場を誘致する、そして今この東洋町で持ち上がって
きたように、放射能のごみ処分場を誘致することで、カネを得ようと言うのです。しかし、昔から「悪
銭身につかず」と言います。自分で働いたのではなく、人から受け取るだけのカネは結局は胡散霧消す
るだけです。その上、長い目で見れば地域はいっそう疲弊します。東洋町の皆さんにとって大切なこと
は人を当てにするのではなく、苦しくても自分の力で自分の地域を支えて行くことです。また、原子力
利用そして高レベル廃物に対する最も重い責任は都会にあります。立候補制は一見、民主的ですが、結
局は国の政策で疲弊させられた地方の小さな自治体が、カネの力に負けて受け入れさせられることにな
ります。都会の人を含め原子力の恩恵を受けた人々に原子力利用の持つ重荷に目を向けさせるためにも、
東洋町の皆さんがカネと引き換えに核のごみを引き受けないよう、お願いします。


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どうする「トイレなきマンション」

2020-10-17 14:42:08 | さよなら!原発
昨日の東京新聞です。うれしい記事の隣に怒りを覚える記事が載っていました。



政府は、福島原発の放射能汚染水を海の放出することを決めるそうです。

原発にこだわった政策のなれの果てです。
全漁連は「絶対反対」を表明していますが、漁連の声も、国民の声を無視しての暴挙です。

その前の日、宮城県知事は「女川原発2号機の再稼働に同意しました。
またまた、放射能汚染物がドンドン増えてゆきます。

放射能汚染物の処理が決まっていない中で、汚染物質を増やしてゆくことなど私は反対です。

放射能汚染物の最終処理場の受け入れ調査先として、北海道の寿都町と神恵内村が名乗りを上げたようです。これも住民、近隣市町村、北海道の反対の声を無視しての暴挙です。

原発の放射能汚染物の問題についての講演記録がありましたので、読み直してみました。2007年のものですが、地名だけ変えれば、現在にそのまま通用するものです。長いですが、ぜひ、読んでみてください。

小出裕章さんの文章です。下記にアクセスしてください。

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/toyo0227.pdf
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