米国でテーラー批判が高まったと同じように、資本主義勃興期の20世紀初頭の日本においても、「能率」批判が巻き起こりました。
労働の強化につながる・・・
失業が増える・・・
人間を機械視する・・・といった反論、反発。
当時、「能率」の第一人者であった上野陽一(1883~1957)は、反論の一つ一つに対して、丁寧な反駁を加えています。
そこには、科学的管理法への社会の反発に対してテーラーが回答したものを下敷きにした部分も多々見られます。
しかしながら、上野の能率普及促進に対する行動はテーラーを上回っていたように思います。
さまざまなメディアや実践行動の中で、「能率」コンセプトを具体化していったのです。
1.専門書以外にも易しい言葉を使い誰でもわかるハウツー本を多数出版。「能率24時間」「己を活かす方法」など
2.能率学校の創立。昭和17年、私財を投げ打ち日本能率学校を創設。
3.産業界での「能率」ファンづくり。関西を中心に財界人を巻き込み、東京へ逆輸入。
4.商工会議所、大学、専門学校等での能率講義。
5.工場現場だけではなく、商業、事務、生活一般までの能率概念の拡大。
6.海外、朝鮮半島へ出張し、能率の講義展開。
7.人事院人事官として公務に貢献。
能率技師上野陽一は、日本最初の経営コンサルタントであり、「能率」コンセプトの普及のために人生を賭けていきます。