仕事でクライアントでもある企業の専務さんと話をしていて、
「私は新宿で青春時代を過ごしました。今思うと古き良き時代でしたね~。」という一言から、そこはかとない古(イニシエ)話で盛り上がってしまいました(笑)。
同世代の専務さんは、新宿のディスコでサーファーファッションで夜な夜な繰り出していたとのこと。
ビンボーな遊び人モドキであったワタクシも、おそらく今から30年前に同じサーファーファッションで同じフロアにいたかも!?顔を見合わせ、大笑いしてしまいました。
場所は、新宿のディスコ「NEWYORK NEWYORK」。
六本木と比較して、かなりミーハーな人々が集まっていました。
旧コマ劇場の前に対面するビルにあり、エレベータで6階か7階に上った記憶があります。
ちなみにディスコとは、ファンキーなSoulミュージックを流すダンスフロアを持つ風俗営業店。
フリードリンク、フリーフード。
現在のクラブを、かなりミーハーに世俗化した感じです。
当時、新宿では、私が記憶するだけでも、カンタベリーハウス(ギリシャ館・ビバ館・ペルシャ館)、有名だったツバキハウスやクレイジーホース、インディペンデントハウス、ミルキーウェイ、ホリデーホリデー、チェスターバリー、ブラックハウス、ゼノン等がありました。
ZENONは、新宿最大の体育館のような大ディスコ。
同じビルには「セントラルパーク」という想像を絶する巨大居酒屋がありました。
ふた昔前のボーリング場の流行拡大→急速な衰退と近い状況でした。
おそらくディスコの最盛期は、1977年~1980年代初頭のバブル前ということができると思います。
1970年代後半のディスコは、会員制度(入会金は超安い)をとっており、会員証はキーホルダーでした。
「NEWYORK・・・」の会員証はゴールドの下地に自由の女神をテーマにした青いキーホルダー(少し安っぽい感じでしたが・・・)。
流れる曲は、アラベスク、ボニーM、ドナ・サマー、ヴィレッジピープルなとなど、音楽性より前にポップで、ファンキーな感じが重要視され、時にはロックバンドの曲やピンクレディが流れることもありました。
ここに集まる不良たちは(笑)、異性と知り合うために来る人々、単に踊ることが好きな人々、なんでもいいから目立ちたい人々・・・ホントーに様々でした。
数あるディスコの中で、「NEWYORK・・・」に足しげく通ったのは、友人がいたからということ以外に、敷居の低さや自由開放区的な解放感があったためだと思います。
ちなみにサーファーファッションとは、波乗りをする人が着ているであろう服装のファッションです。
当時、丘サーファーという蔑称もあり、波乗りも出来ないのに車の上にボードを乗せて街を流している一群も存在しました(分類でいくとワタクシも丘サーファーです)。
髪型はサーファーカット(ちびまる子チャンカットに近いイメージ)。
デッキシューズ、ファラのパンツを履き、唐草模様(!?)のポタンダウンシャツを着て、キーホルダーをジャランジャランいわせながら歩いていました。
今にして思うと大笑いです。
渋谷のカフェバー(今では死語)では、なぜかバドワイザーをオーダーしたり、玄人と呼ばれる人たちはプリモを飲んでいました。
トロピカルドリンクと称し、ソルティドッグやマルガリータが流行ったのもこの頃だと思います。
30年前の話に盛り上がつつ、当時ドキドキしながら日が暮れるのは待った若き日に感傷する1日でした。
もう、「フィーバー」する日は、来ないのでしょうか?
友人でもあるホテルの副支配人に、ディスコ復活のための企画書を持ち込もうと画策している今日この頃です(笑)。