0時過ぎには
1階に行って寝始めたのに
寒くて眠れない。
トイレに3回行った。
朝は5時半起きなのに、何時に
眠れるだろう。
そして今
こうしてブログ画面に向かう。
トモが起きてきて
遊びだした。
トモは
20日に
ちょうどうちに来て一年記念日である。
何かお祝いしてやらなくては。
いっしょに保護した兄弟は数日後に
亡くなった。
その供養もしなくちゃね。
ノラにはいろんな運命がある。
3匹いたうちの2匹を保護し
1匹は逃げられ、今生きているのかどうか。
そしてせっかく保護しても
こうして数日後には死んでいく。
トモはその2匹の兄弟の分まで
楽しく健康的に生きなくちゃね。
うちの
ネコたちに愛されて
邪険にされず
誰とでも寝床を共にし
彼女自身平和に暮らしている。
この一年病気知らず。
健康がいいね、トモ。
あなたの名前は
智久のトモだよ。
皆に愛されるように
あやかってトモとつけたんだよ。
私を見上げるトモ。
夜中1人で遊んでいるトモ。
臆病な者とか
小心者って
何か手に持っていないと
不安なのではないだろうか。
今回の亀田選手のもろもろの
映像を観ていて
兄の過去の映像なども観た。
記者会見のときに
チキンとかハンバーガーを持ってきて
会見場で食べている映像を観て
なぜ
持っているのだろう、と素朴な疑問。
常識云々は勿論のこと
常識からはずれているというのは
当の本人も知っていること。
何か食べていないと人前に出られないのだとしたら
普段のテレビ出演の時でもチキンを持っていなければならない。
しかし、ワイドショーなどに出てくるときは
そういうものは持っていない。
一種のパフォーマンスというけれど
彼はどんな意味を込めてそのパフォーマンスを
したのだろう、と思った。
自分は常識の知らない人間だとアピールするつもりだったのだろうか。
そんなことを質問しても
まともな答えは返ってこないだろうが。
私は実は小心者なので
いつもハンカチを持たなくてはダメな人間。
マイクを通して人の前で話すときも
ハンカチはテーブルの上に置いている。
額の汗をぬぐうというよりも
がっちり握っていないと不安でしょうがない、と
いうところから来ていた。
今はそんな機会がないが
ハンカチは必携帯。
バッグにしのばせるという携帯ではなく
手に持つという携帯。
ハンカチとチキンは別物だが
記者会見場に食べ物を持ってきて
食べながら話す、という
一種常識はずれの行為には
食べるという日常を持ち込むことで
自分の気持ちを落ち着かせていたのだろうか。
今回のボクシング試合で
大毅選手が途中
首をかしげていた。
エッ、首かしげながらボクシングしている、と
思った。
あまり観ない光景である。
それも無意識の行為なのだろう。
なぜかそれを観て
哀れに思えた。
投げ技も哀れに思えた。
自暴自棄の反則。
謝罪記者会見で
見せた髪形は
全く別人だった。
髪型1つで別人になる。
鎧のような金髪は
人を受け付けない。
人を跳ね返す。
あの表情を額面通りに受け止めるならば
1から出直しだ。
自分の考えでものを言い
自分の考えを父親に言い
自分で考えて再出発できるようになればいい。
今まであまりに
父親の威嚇の傘下にいて
偏った人間になっていたと思う。
鑑(かがみ)とするのは他人が良い。
この問題については過渡期なので
やはりダメだったか・・・と
なるかもしれないし
そうか、こんなに変わったか、となるかもしれないし。
このことを家人と話してみたが
私のこの考えを甘い、と言われた。
ただの喧嘩じゃないんだ、
世界戦であんなことをするのは言語道断と
切り捨てられる。
厳しいのう・・・。
さて、トモはいつのまにか
カズ、シンノスケ、トチの間に入って
ねこだまになって寝始めた。
私も少し寝ることにする。
まだ眠くはないけれど。
夜中の
つぶやきでした。