来週の月曜から仕事である。
1ヶ月以上の休みがあって
休みに入る前の予想通りの生活になっていた。
こんなものである、私って。
昨日の葬儀にては
職場をおやめになった人たちにたくさん会った。
私がやめて10数年。その間に大量にやめていった人たち。
誰もが定年とは程遠い年齢で、働き盛りのうちに
やめていった。
それは職場の事情があるのだが。
私が復帰したときには
勘違いして
彼らがまだ残っているものと思っていた。
しかし
職場の歴史を作ってきた彼らはいなかった。
その人たちと懐かしく会った。
亡くなった先輩は
優しい人だった。
彼の人柄は、弔辞を読む人たちの言葉に共通していた。
そこに参列する人たちは
それぞれ自分が彼に助けられた場面を思い浮かべたことであろう。
私も、そういえばこんなことがあった、などと
2時間以上の長い葬儀を苦痛とは思わず(読経が1時間以上かかる)
思い出していた。
彼は家族を本当に愛していたのがわかる。
溺愛と言っていいかもしれない。
愛情が深い。
病床のメールを奥さんは毎日楽しみに待っていた。
亡くなった日にも奥さんは彼のケータイにメールを
送っていたとのこと。
まるで新婚時代のように、2人は
メールで語っていたのである。
娘さんはとうに子供が生まれ
孫を持つ彼は
年齢と裏腹に外見も中身も若かった。
ダンディで、真っ赤な外車を乗り回し
ジャズやロックを愛していた。
亡くなった息子さんも父親の影響でロックが好きだった。
私に、息子のためにロックを録音してほしいと頼んだことがあった。
息子さんは生きていれば何歳なのだろう。
10代で心臓病で亡くなり、生まれたときには
既にその病気のことがわかっており
医者にいつ死んでもおかしくないと宣告されて
生きている限り、息子のために尽くそうとあれこれとやってきた。
職場のスキー旅行にも息子さんを連れていった。
爆弾を抱えているようなものだけれど
体力をつけさせて、できる範囲のことを彼は息子に与えた。
高校生くらいになると、これならもっともっと
生きられるかもしれない、と希望も持ったことであろう。
楽しく参加したことを本当に嬉しそうに彼は話していた。
しかし
その日はやってきた。
それらをずっと見てきた我々。
彼や奥さんの本当の悲しみに我々は到達できないけれど
十分に悲しかった。
娘さんに子供が生まれて喜んでいた。
散る命があれば、新たに咲く命がある。
悲しみを乗り越えて
生きていかなければならない。
ある日
職場で上司が困って会議のときにこんなことをお願いした。
「私事ですが、うちの犬をどうしても手放さなければならない事態になりました。
保健所にやるには忍びず、どなたか飼っていただける方、いらっしゃらないでしょうか。」
それを聴いていた私たちは、びっくりした。
朝の会議で言うことではない。今ならとうていそんなことは許されない。
しかし
飼い犬に愛情のある上司が切羽詰って会議で懇願することができるような
雰囲気は当時確かにこの職場にあったのである。
成犬は難しい。ネコのようにいかない。
飼い主に忠実であればあるほど、貰い手の苦労を想像してしまう。
それでも、動物好きな人たちは真剣に心配した。
そして彼が、うちで飼う、と名乗り上げた。
ビーグル犬である。
その犬は彼の元で天寿を全うする。
そのあと、彼には犬が何匹も飼われることになる。
動物にも植物にも優しい彼だった。
彼は、優しさを実践するのである。
優しい言葉はたくさん述べられるが
何をすれば、相手のつらさを解放できるかを考えて
自分が名乗り出る人柄なのである。
仕事においてもそうだった。
だから彼は、目上の方にも後輩にも慕われていた。
家族だけでなく、他者にも動物にも愛情深い人間だった。
・・・・・・・・・・・・・・
続きを書こうと何回か
書いては消している。