今日は
いろんな話題に涙ぐんでいます。
涙もろくなっている。
心が弱っているね。
昨日の夜、5分置きの余震にすっかり不安になってしまって
誰かの声が聞きたかった。
先月やめた職場の、私の隣の席の人に電話した。
自分が再就職できたこと、元職場はどうなっているかの話をした。
すると
彼女は、新しい情報として
かつて私が専門職だったときにお世話になった先輩同僚が
この津波で亡くなったと聞かされた。
絶句した・・・
具体的な名前が出ての死亡、衝撃だった。
こんなにもこんなにも人の命って、生と死隣り合わせだって、
人生ってはかないって
なんとも言葉が出なかった・・・
お互い、激励の電話のはずが暗い気持ちで切った。
ブログ仲間のしゃちさんのところにいたネコが
昨年だったか、行方不明になった。
病気で、病院に連れていったりしていたが
姿が見えなくなって
おそらくどこかで死んだのだろうと、思ってはみても
なかなかあきらめきれないし
自分がきちんと管理できなかったことに自責の念だろうし(私にもその体験はあった)
そうこうして1年ほど。
この地震で、偶然、ある人との話になり
そのネコの最期を看取った人の話を聞かされた。
彼の心で、ようやく決着がついた。
この世にそのネコはいないけれど
可愛がられてこの世を去った、手を尽くされて去ったと知り
彼は安堵しただろう。
それも泣けた。
彼の心を忖度して泣けた。
夕方のローカルニュースで
オマーンという中東の国が、原発で苦しんでいる南相馬市のある企業に
浄水器を26億円分の発注したとやっていた。
急な話ではなく、この地震前の昨年末に、既に浄水器がオマーンで活躍しており
震災の支援を兼ねた大きな受注だという。
オマーンでどれほどその浄水器が活躍しているかの映像があった。
水、貴重な水。汚水を浄化して飲み水や農業水になり、人々が喜んでいる姿。
日本のこういう企業の姿勢が
中東などの国で認めてもらえているんだ。
津波で家を失った従業員を呼び寄せ、地震で仕事を失った人を雇用し
原発で絶望している空気が一転して、がんばろうと再起しようとしている。
いつもの私なら
手を叩いて喜んでいるかもしれない。
しかし、弱っている心を持つ今は
ありがたい・・・と、なぜか泣けてくる。
風評被害や、日本というだけで、他国では郵便物まで受け取り拒否しているところもある。
それなのに、こんな形で支援してくれる国もある。
元気になるじゃないか、その企業の人たち、地元の人たち。
たとえ、そこで製造できなくても、作る人はいるんだ、どこがで再建して
オマーンの支援を受け止めてほしい。
こんな素敵な支援があるなんて。
義捐金もさることながら、こういう形で支援をしてくれることの強さもあるのだと
本当に、聡明な支援の仕方である。
今日の政府の発表を受けて
どれほどショックを受け、怒りに満ちたことか。
いろんな疑問がある。
そもそも
避難しろ、というが
何十年も避難しろ、ということか。
それは避難という言葉を使うのは間違っているのでは。
1ヶ月避難して、戻って来られるのならまだわかる。
一時避難して、自分の家に戻ってこられるなら渋々納得できるかもしれない。
しかし原発のレベル7の事故って
収束するのに、そんなものじゃないでしょうに。
土地を放棄しろ、と言うなら寧ろその方が現実味がある。
放棄するなら、そこを政府や東電が買い取ってくれるのが当然。
土地も家も家財も仕事も財産である。
もしも
100キロ圏内の仙台にも、避難しろと言われるなら
私はそれらの疑問を提示したい。
買い取れ、と言いたい。
日本のあちこちに避難者を放浪させて、お金もなく、家もなく
どうしろと言うのだ。
一時的な仮設住宅を建てても(これは地震被災者対象ではあるが)
何の解決方法にもならない。
一体、どうなっていくのか、日本。