人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

上岡敏之+ヴァレリー・ソコロフ+新日本フィルでブラームス「ヴァイオリン協奏曲」,ドヴォルザーク「交響曲第7番」を聴く~アンコールについて考える

2017年04月09日 08時37分44秒 | 日記

9日(日).昨日の朝日朝刊「文化・文芸」欄に,4月4日付のブログでご紹介したヨーヨー・マの主宰する「シルクロード・アンサンブル」のことが書かれていました  その中に,

「メンバーの出身国は中国,日本,シリア,イラン,スペイン,インド,ロシア,イスラエル,米国など様々だ」「トランプ大統領がイスラム圏の国からの入国禁止の大統領令を出した後は,対象国の音楽を演奏するなど,独自の発信を続けてきた」

とありました そうした中,アメリカは4月6日,シリアにミサイル攻撃を開始しました 彼らはさらに辛い立場に置かれることになりますが,何事にもめげないヨーヨー・マのことですから,よりいっそう対象国の音楽を演奏して世界を回るのでしょう.また,そう信じています

ということで,わが家に来てから今日で922日目を迎え,トランプ米大統領と中国の習近平国家主席が会談し,北朝鮮の核計画の放棄に向けて協力を強化することで一致し,米中貿易不均衡問題を一定期間内に是正する「100日計画」の策定で合意したというニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

       

          貿易は「100日計画」というのは分かったけど  対北朝鮮問題は何日計画なのかな?

 

                      

 

昨日,すみだトリフォニーホールで新日本フィル第572回トパーズ定期演奏会を聴きました プログラムは①ブラームス「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」,②ドヴォルザーク「交響曲第7番ニ短調」です ①のヴァイオリン独奏はヴァレリー・ソコロフ,指揮は新日本フィル音楽監督の上岡敏之です

 

       

 

1曲目のブラームス「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」は1878年に完成しましたが,当時のトップレベルのヴァイオリニスト,ヨーゼフ・ヨアヒムが演奏することを念頭に置いて,彼のアドヴァイスを得ながら書かれたことは周知のとおりです この曲の特徴をひと言で言えば,独奏楽器であるヴァイオリンと管弦楽が交響曲のように対等で緊密に展開していくスケールの大きな曲です

第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」,第2楽章「アダージョ」,第3楽章「アレグロ・ジョコーソ,マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ」の3つの楽章から成ります

1986年ウクライナ生まれのソコロフが上岡敏之とともに登場します がっしりとした体形から,とても今年31歳になる若者とは思えない落ち着いた”中年のオトナ”の雰囲気を醸し出しています

演奏を聴いて感じたのは,演奏に余裕があるように見えたので「パワフル・ヒッター」かと思いきや,かなりきめの細かいニュアンスに富んだ演奏をする人で,第1楽章のカデンツァは力強くも抒情的でした また第2楽章「アダージョ」では,オーボエ首席の古部賢一の名演に支えられながら,ブラームスの心情を切々と訴えるような”聴かせる演奏”を展開しました 一転,第3楽章では喜びを爆発させ,ダイナミックにコーダを締めくくりました

大きな拍手に,イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番」から「バラード」を鮮やかに演奏し,拍手喝さいを浴びました

ここで,私はハタと考えてしまいました このアンコールは,本プログラムのブラームスを吹き飛ばすような勢いの超絶技巧の演奏でした 果たしてこれでいいのか?というのが私の疑問です.ブラームスのヴァイオリン協奏曲だって十分演奏が難しい曲に違いありませんが,それを上回る超絶技巧曲を演奏することによって,あとで聴衆の印象に残るのはブラームスではなくイザイになってしまうのではないか,これでは本末転倒ではないか,と思ったのです これがブラームスの曲に対してブラームスの小品をアンコール演奏するのなら,一貫性があるのでまだ理解できるのですが,まったく違う作曲家の,しかも技巧を誇示するための曲を持ってくるのは如何なものだろうか? アンコールの演奏が素晴らしいほどそういう疑問が湧いてきます.しかし,多くの聴衆はそれを求めているのかも知れないな,とも思います しかし私は,それは間違っているのではないかと思います

2016年12月2日付の当ブログで「ピアニストは語る ヴァレリー・アファナシエフ」という本をご紹介しましたが,そのインタビューの中で奇才アファナシエフは次のように語っています

「もちろん,聴衆が,アンコールをしないことに不満なのは知っています.でも,彼らは知らないのです.なぜ私がアンコールをしないのか.みんながやっているから私もやらなくてはならないのでしょうか? でも私は,ただシューベルトの最後のソナタやベートーヴェンの最後のソナタという素晴らしい作品を,その曲の私の演奏を,忘れないで欲しいだけなのです

この日の演奏に即して言えば,演奏者としては本プログラムのブラームスを忘れないで欲しいということだと思います ソコロフの本音は「本当はブラームスよりイザイの超絶技巧を聴いて欲しかった」ということだったのかも知れませんが,多くのアーティストは本プログラムを忘れないで欲しいと思うでしょう.コンサートが終わって「あのアンコールが一番良かったね」というのはある意味 最低のコンサートだったと言えるのではないかとさえ思います

 

       

 

休憩後はドヴォルザーク「交響曲第7番ニ短調」です この曲は第8番,第9番と比べて演奏される機会が極めて少ない曲ですが,今回の演奏会に先立ってNAXOSのCDで予習していて,すごく良い曲だな,と思いました 当ブログの読者でドヴォルザーク大好きの ゆえさんの言葉を借りれば「8,9番ほど注目されないのが残念」です その印象を頭に入れて本番に臨みました

1884年から85年にかけて作曲されたこの曲は4つの楽章から成りますが,上岡敏之+新日本フィルの演奏で聴いていると,名作=第8番の前の第7番で,ドヴォルザークはボヘミアの民族性を強く意識した曲想を交響曲という形式に落とし込んでいるということが分かります 私が特にドヴォルザークらしいな,と思ったのは第3楽章のスケルツォです 解説によると,ボヘミアの舞曲「フリアント」に基づくリズムということらしいのですが,民族色豊かな躍動感あふれる音楽です

オーケストラの定期演奏会では”通常”アンコールはありません が,上岡敏之は定期会員へのサービス精神からか,アンコールを演奏しました ドヴォルザークの「スラブ舞曲作品72-2」をメランコリックに演奏,しかし それでは終わらず,「作品72-1」を賑やかに演奏し大喝采を浴びました 定期演奏会で2曲のアンコールは珍しいのではないかと思います メイン・プログラムがドヴォルザークやブラームスでなかったら あり得なかったことかも知れません ドヴォルザークには16曲のスラブ舞曲,ブラームスには21曲のハンガリー舞曲という絶好のアンコール向きピースがあるからです

個人的にはアンコールは必要ないと思いますが,同じアンコールでもこうした一貫性のあるものは比較的 素直に受け入れることが出来ます 新日本フィルの熱い演奏でした

 

       

 

ところで,開演に当たりちょっとした出来事がありました 1曲目のブラームスの演奏が始まった時,センターブロック11列目の通路側席の高齢男性がケータイの画面を発光させていたのです 時間にしてほんの10秒ほどだったかも知れませんが「演奏中」です こんな非常識な態度はあり得ません 過去に東京文化会館小ホールで,演奏中にタブレットのバカでかい画面を見ているバカ女が居ましたが,それ以来です.プログラム後半で同じことをやられたら困るので,休憩時間にアテンダントの女性にその男の座席番号とともに気を付けるようにというメッセージを伝えておきました 幸い後半はケータイを開くことはありませんでしたが,まさか定期会員ではないだろうな,と懸念しています

 

  

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コメント (2)
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