人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新日本フィル次期シーズンは「トリフォニー・シリーズ」から「アフタヌーン・シリーズ」へ変更 / 「文春砲~スクープはいかにして生まれるのか?」を読む

2017年04月25日 07時52分47秒 | 日記

25日(火).わが家に来てから今日で938日目を迎え,フランス大統領選の第1回投票で,欧州連合(EU)の統合推進を掲げるエマニュエル・マクロン前経済相と,EU離脱の国民投票を公約とする右翼・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首が5月7日の決戦投票に進むことになった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

       

         米国のトランプ大統領誕生,英国のEU離脱が現実だったから フランスも危なくね?

 

                     

 

昨日,娘が仕事が休みの日だったので夕食はステーキを焼いてサラダとスープを作りました ステーキは皿からはみ出す超特大なので,やっと食べきりました

 

       

 

                     

 

新日本フィルの2017/2018シーズンは,現在の「トリフォニー・シリーズ」から「アフタヌーン・シリーズ」へ変更することにしました

N響,読響,東響の定期演奏会などと日程のダブりがないか慎重にチェックした結果,次期の「トリフォニー・シリーズ」は全8公演のうち4公演が,「サントリーホール・シリーズ」も全8公演のうち3公演が他のオケの定期演奏会他の公演と日程が重なっている一方で,「アフタヌーン・シリーズ」は金曜・土曜のどちらも予定が入っていないことが分かりました 金曜にするか土曜にするかは電話で確認のうえ決めたいと思います

 

       

       

       

       

       

 

N響についてはC定期(金)を継続するつもりですが,現在の席が前過ぎて(9列)通路から3つ目なので,もう少し後方の席で通路に近い席に移りたいと思っています これについては締め切りが先なので,もう少し考えた上で現状維持か座席変更かを決めたいと思います

 

                     

 

週刊文春編集部編「文春砲」(角川新書)を読み終わりました 週刊文春は1959年4月創刊,日本の総合週刊誌の中では老舗の存在です 週刊文春と言えば,80年代にロス疑惑を報じた「疑惑の銃弾」を思い出します

昨年(2016年)は「文春スクープ連発の年」でした スキャンダル処女と言われていたベッキーの不倫報道,安倍内閣の中核・甘利大臣の金銭授受問題,元少年Aの顔写真も載せた直撃記事,舛添東京都知事の公用車利用問題など,社会をアッと言わせるスクープばかりでした

 

       

 

この本は,週刊文春の編集長・新谷学氏と辣腕デスクたちによる「なぜスクープが取れるのか」の解説と,数々のスクープの再現ドキュメントによって,スクープの生の姿を描いています

新谷編集長は何度も「週刊文春はどうしてスクープを取れるのか?」と聞かれたそうですが,そのたびに彼が答えたのは「狙っているからです」というものです もちろん,スクープを取るには長期間にわたる地道な調査活動があるわけです

この本を読んで初めて知ったのは「右トップと左トップ」という言葉です 週刊文春では,新聞広告や中刷り広告において右端の見出しとなる記事を「右トップ」,左端の見出しになる記事を「左トップ」と呼んでいるとのことです.右トップには政治や経済や事件などを扱ったニュースを置き,左トップには芸能関連記事や医療・健康記事などを置くのがオーソドックスなパターンだそうです

新谷編集長は「なにも社会正義を振りかざしているわけではない」と語ります 「自分たちは正義の味方だなんて傲慢な考えは恐れ多い.社会正義の実現に,ささやかながらお役にたてることはあるかもしれませんが,それはあくまでも結果的にそうなっただけで,週刊誌が最初からそんな大それたものを『錦の御旗』に掲げるのはお門違いです 私は宮武外骨(みやたけ がいこつ)という明治のジャーナリストを敬愛していますが,この人のモットーが『過激にして愛嬌あり』.週刊文春もその精神を大事にしたいと思っています」と語ります

宮武外骨の名前は大学時代に「日本新聞史」の授業で習った記憶があります  まさか週刊文春の編集長の口から出るとは思ってもみませんでした

スクープを連発していることが,マスコミ関係者からの情報提供や内部告発だけでなく,一般読者からの情報提供が増えることにつながっているようです  社会的に許されないことは「文春に話を持っていけば取り上げてくれるかもしれない」という大きな期待があるということでしょう それが新たなスクープにつながっていくわけです.そういう意味では「スクープは週刊誌の生命線」と言えるかもしれません

それにしても,なぜ本書は「文春新書」からでなく「角川新書」から出したんだろうか? それも文春らしさということだろうか

私は週刊誌を買ってまで読むことはしません そんな時間はないからです しかし,世紀の大スクープだったら買ってもいいと思っています

コメント
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