人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新国立オペラ、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」初日公演を観る ~ アンネッテ・ダッシュ、小林由佳、妻屋秀和、安井陽子、宮里直樹にブラボー!

2022年04月04日 07時09分13秒 | 日記

4日(月)。わが家に来てから今日で2641日目を迎え、ローマ教皇庁(バチカン)によると、ローマ教皇フランシスコは2日、ウクライナの首都キーウ訪問を”検討中”だと明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアのプーチンと会ってウイル・スミスのように平手打ちを食らわせてください

 

         

 

昨日、新国立劇場「オペラパレス」でリヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」初日公演を観ました 出演は元帥夫人=アンネッテ・ダッシュ、オックス男爵=妻屋秀和(クリスティン・ジクムントソンの代役)、オクタヴィアン=小林由佳(マリア・カターエワの代役)、警部=大塚博章(妻屋秀和の代役)、ファー二ナル=与那城敬、ゾフィー=安井陽子、マリアンネ=森谷真理、ヴァルツァッキ=内山信吾、アンニーナ=加納悦子、警部=大塚博章、テノール歌手=宮里直樹、帽子屋=佐藤路子ほか。合唱=新国立劇場合唱団、児童合唱=多摩ファミリーシンガーズ、管弦楽=東京フィル、指揮=サッシャ・ゲッツェル、演出=ジョナサン・ミラーです

私が新国立オペラ「ばらの騎士」を観るのは2007年、2011年、2015年、2017年に次いで5度目で、いずれもジョナサン・ミラーの演出です

 

     

 

オペラ「ばらの騎士」はリヒャルト・シュトラウス(1864‐1949)が1909年から翌10年にかけて作曲、1911年にドレスデンで初演されました

フーゴ・フォン・ホフマンスタールの台本では舞台は18世紀のウィーンとなっていますが、ジョナサン・ミラーの演出は本作が初演された1年後の1912年に設定しています

元帥夫人は夫の留守中に若き愛人の伯爵オクタヴィアンと愛し合っている。オクタヴィアンは、夫人の従兄弟で好色なオックス男爵の婚約者で 新興貴族ファー二ナルの娘ゾフィーに結納品として銀のばらを届けるが、若い二人は恋に落ちてしまう オックスとオクタヴィアンは決闘になるがオックスは軽い負傷で大騒ぎする さらに女装してマリアンデルとなったオクタヴィアンからの偽の恋文で騙され、ゾフィーとの婚約は破棄となる 元帥夫人も若い二人の男女の恋を見抜いて祝福しながらその場を去る

 

     

 

人気プログラムということでか、会場はほぼ満席です

指揮を執るサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれ。現在ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客員指揮者。今年9月からフランス国立ロワール管弦楽団音楽監督に就任予定です

幕が下りた状態で、ゲッツェル指揮東京フィルが官能的な導入曲を演奏します    正直言って私はリヒャルト・シュトラウスはあまり好きではありませんが、この「ばらの騎士」だけは全てのオペラの中でベスト5に入るほど素晴らしい作品だと思います 特に、この導入曲のように、元帥夫人とオクタヴィアンの愛の一夜を管弦楽だけで表現する才能は並大抵ではないと思います

元帥夫人を歌ったアンネッテ・ダッシュは1976年ドイツ生まれのソプラノで、世界各地の歌劇場や音楽祭で活躍しています 新国立劇場へは2003年「ホフマン物語」アントニアを歌っています 独特の声質で、元帥夫人に相応しい気品のある佇まいと美しい歌唱で存在感を示しました 第3幕ラストでのオクタヴィアン、ゾフィーとの三重唱の後、愛するオクタヴィアンに別れを告げ一人去っていく後ろ姿は、「片目に涙をため、片目で笑って」というウィーンの貴婦人のモットーを体現していました

マリア・カターエワの代役でオクタヴィアンを歌った小林由佳は国立音楽大学・大学院修了。文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリアに留学。二期会で活躍。新国立劇場では「魔笛」「ルチア」「椿姫」などに出演しています オクタヴィアンとマリアンデルの役柄の切り替えが見事で、第3幕での三重唱をはじめ歌唱力・演技力ともに素晴らしく、見事にカターエワの代役を務め上げました

クリスティン・ジクムントソンの代役でオックス男爵を歌った妻屋秀和は、今や新国立オペラになくてはならない存在となっています 今回も貴族の血が流れているものの”不良中年”のオックスを見事に歌い、演じました

ファー二ナルを歌った与那城敬は桐朋学園大学卒。文化庁派遣芸術家在外研修員としてミラノに留学。新国立劇場では「愛の妙薬」「沈黙」「道化師」などに出演しています どちらかというと、ファー二ナルを演じるには少し若すぎるきらいがありますが、お金の力で貴族の称号を得ようとする田舎の名士を力一杯歌い、演じました

ゾフィーを歌った安井陽子は「夜の女王」のイメージが強いソプラノですが、第3幕の三重唱をはじめとして、美しく伸びのある高音で強靭な歌唱力を発揮しました

それにつけても、素晴らしいと思うのは第3幕ラストの三重唱です この第3幕だけでもリヒャルト・シュトラウスの名前は後世に残ると思うほどです

テノール歌手を歌った宮里直樹は東京藝大大学院修了、第48回日伊声楽コンコルソ第1位はじめ受賞多数の実力者です 今回が新国立劇場初登場ですが、破壊力のある歌唱で聴衆を圧倒しました 若手のテノールで私の一押しです

サッシャ・ゲッツェル指揮東京フィルは歌手に寄り添いつつ、木管、金管を中心に官能的な、時に抒情的な演奏を展開しました

 

     

 

演出でいつも気になるのは、第1幕のラストシーンです 元帥夫人がオクタヴィアンに「いつかあなたも私を捨てて若い恋人のもとへ去っていく」と諭すと、オクタヴィアンが憮然として去っていきます この後、元帥夫人は火を点けた煙草を片手に窓を伝う雨を眺め、幕が下ります 私が気になるのは、「煙草は健康に有害です」という時代に煙草を吸うシーンを入れるのはいかがなものか、ということです ジョナサン・ミラーは「若いツバメはいつかは若い恋人と出会い、夢中になって中年の自分から去っていく」という一抹の寂しさを表す道具として煙草を登場させたのだと思います 確かに、一時代前には、物思いに沈むシーンや考え事をするシーンでは煙草を吸うのが”サマになる”こともあったように思いますが、時代はどんどん変化していきます。いつまでも煙草で煙に巻かないで、他の道具を考えてはどうかと思います

ついでに言えば、リヒャルト・シュトラウスは元帥夫人は32歳まで、オクタヴィアンは17歳2か月という設定をしています 現代のオペラシーンから見ると、ずいぶん若い年齢設定だと思います 現代に置き換えると、それぞれ1.5倍くらいの年齢設定でも不自然ではないような気がします 元帥夫人が48歳、オクタヴィアンが25歳です。どんなものでしょうか

第3幕のラストは、オクタヴィアンとゾフィーが去り、誰もいなくなった舞台に、元帥夫人のお小姓がゾフィーの落としたハンカチを取りにやってきて、慌ただしく幕が下りるーというのが通常の演出ですが、ジョナサン・ミラーのは、ゾフィーはハンカチを落とさず、お小姓が部屋にやって来て、テーブルの上に置いてあったお菓子をいくつか掴んで去っていき 幕が下りるという演出になっています 清少納言流に言えば「春はあけぼののおかき いとお菓子」という演出です

過去4回の公演では見られなかった演出として、誰かが座っていた椅子やソファーに別の人物が座るシーンでは、歌手でない役者が椅子やソファーを布で拭く場面がいくつかありました これは新型コロナ感染防止のための行為ですが、いかにも劇のストーリーに最初から組み込まれていたかのように溶け込んでいました これはコロナ禍ならではの演出でした

終演後にカーテンコールが繰り返されましたが、聴衆からの拍手はもちろんのこと、オーケストラピットの楽員からもゲッツェルと歌手陣に大きな拍手が送られていたのがとても印象的でした かくして「ばらの騎士」初日公演は成功裏に終わったと言っても過言ではないでしょう

 

     

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