26日(火)。昨日の朝日朝刊「まなび つながる 広場」ページの「本がくれたもの」コーナーに、フランスで20年、オランダで6年を過ごした指揮者・阿部加奈子さん(1973年、大阪出身)が読書について朝日編集委員・吉田純子さんのインタビューに答えています 阿部さんは「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン著:あすなろ書房)、「みどりのゆび」(モーリス・ドリュオン著:岩波少年文庫)などが印象に残ったそうです 「生涯の1冊」を選べと言われれば、迷わず「ジャン・クリストフ」(ロマン・ロラン著:新潮文庫など)と答えるとのこと 「ベートーヴェンの生涯を暗喩しているので、音楽家を志す人にとっては必読の書です 私も『作曲家になってやる!』と息巻いていた中学の頃に初めて読み、今に至るまで何度も読み返し、そのたびに人間社会のなかに宇宙の調和を模索し、共存への希望を見出す営みを諦めてはいけないと自ら奮い立たせています」と語っています
私も学生時代に「ジャン・クリストフ」を読みましたが、全10巻から成る超長編小説で、「とにかく長い」という印象しか残っていません 当時はそれほどクラシック音楽に興味を持っていなかったので、読書に対する力の入れ方が足りなかったのだと思います 阿部さんは「音楽家を志す人にとっては必読の書」と語っていますが、実際の話、どれほどの音楽家志望者がこの作品を読んでいるのか、私としては極めて疑問に思います 音楽家志望者に限らず、また この作品に限らず、今どきの若者は何でもスマホで済ませ、とにかく本を読みません そういう人たちがプロの音楽家になっていくことが果たして良いことなのか、非常に疑問です
ということで、わが家に来てから今日で2662日目を迎え、23日に北京市内で新たに確認された新型コロナウイルスの感染者は22人だったが、北京市政府は24日、感染拡大を警戒し、PCR検査などの防疫態勢を強化すると発表したことから、ロックダウンへの懸念が広まり、市内の一部スーパーなどは食料や日用品などを買い込む市民でごった返した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
中国政府のゼロコロナ政策は どうやっても無理があるが 中央政府には逆らえない
昨日、夕食に「アスパラの豚肉巻き」「生野菜とツナのサラダ」「もやしの味噌汁」「冷奴・ウニ醤油かけ」を作りました 「アスパラの豚肉巻き」のタレは醤油、砂糖、味醂、生姜絞り汁、マヨネーズです カイワレ大根を添えるとさっぱりします
西村賢太著「苦役列車」(新潮文庫)を読み終わりました 西村賢太は1967年東京生まれ。中卒。2007年「暗渠の宿」で野間文芸新人賞、2011年「苦役列車」で芥川賞を受賞 「どうで死ぬ身の一踊り」「二度はゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」ほか著書多数。2022年2月5日心疾患で死去
西村氏の著書はこれまで読んだことがなかったのですが、彼の死に際し、新聞に誰かの追悼文が寄せられたのを読んで興味を抱きました まず最初に読むべきは芥川賞受賞作だろうということで「苦役列車」を買い求めました 本書には、その後の貫多を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」が収録されています
「苦役列車」
物語の時代は1986年頃。19歳の北町貫多は日雇い労働で生計を立てている 貫多が幼少の頃、父親が性犯罪を犯したことで家庭は崩壊していた 両親の離婚、数度の転校を繰り返す中で少年時代を過ごし、将来への希望を失ってしまう 中学校を卒業した彼は、母親から奪い取った金を手に家を飛び出し、港湾で荷役労働に従事しながら一人暮らしを始める。日当の5500円は即座に酒代と風俗代に消えていく。月々の家賃を確保しておくわけでもないので、家賃未払いのため部屋を追い立てられたことも何度かある こうして彼は、小学校卒業後の4年間を無為に過ごしていた。そんなある日、港湾の仕事現場にアルバイトの専門学校生・日下部正二が現れる。スポーツで鍛えた肉体と人懐こい笑顔の彼に貫太は好感を抱き仲を深める そして彼に強引に迫り女友だちを紹介してもらうことになるが、酒に酔った勢いで暴言を吐きその場の雰囲気をぶち壊し、日下部との関係も悪化してしまう さらに荷役労働先の上司的な存在の前野と些細なことから喧嘩して会社から出入り禁止となってしまう そして貫多は別の荷役会社に移りほぼ変化のない生活を送る中で藤澤清造の私小説と出会う
これが「私小説」というものなのだろう、と思いました つまり北町貫多=西村賢太であり、小説に書かれていることはほとんどノンフィクションに近いということです 父親が性犯罪で収監されたこと、自分は中卒であること、小さい頃から友だちがいなかったこと・・・それらのことが劣等感となって彼の対人関係を複雑なものにします この作品は映画化されていますが、その時の売り文句は「友ナシ、金ナシ、女ナシ。この愛すべき、ロクデナシ」だそうです。言い得て妙です 話し相手になってくれた日下部との別れのシーンが印象的です
「善人めいたことを言ってやり、それで何か表面上は至極爽やかな惜別の図のようになったが、しかし内心では日下部と云う男の小狡さと云うか、学生特有の、どこか思い上がっているあらゆる意味においてのモラトリアム気質みたいなのが不快でたまらなかった 尤も、こうしてハッキリとした絶縁を表明せずに、極めて曖昧な物腰で最後のきまりをつけにきた日下部と云う男も、根はひどく気弱で善良な、すでにして大人の態度を弁えた真っ当な常識人であることには間違いがなく、いくら貫多の目にそれらが甘で不快なものに映ろうと、世間では彼よりも日下部を正規の人生ルートを歩んでいる者として、無条件に信用することは確かである そして、むしろ貫多の方をこそ、よりモラトリアムに甘えたと云うか、いっそそれ以前の、単なる生活不能な人生の落後者と見做すに違いなかった」
一度は学生である相手を誹謗中傷しながらも、次の瞬間には自分自身の置かれた立場を顧みて反省しています その後、日下部が年賀状に結婚したことや郵便局に勤め出したことを書いてきた時のことを、貫多は次のように回想します
「『さんざ泳ぎに明け暮れて、いい気に上京遊学して、小説がどうの演劇がこうのなぞ、頭の悪りい文芸評論家や編集者みてえななまっかじりのごたくをほざいていたわりには、結局大した成果はみせなかったな 所詮、郵便屋止まりか・・・』と、一人毒づき、日下部を大いに嗤ってやったものだが、しかしそうした貫多の方は、そのときやはり人足であった」
ここには、自分は日下部のような常識人にはなれない、ということが告白されています その時、彼は藤澤清造の私小説と運命的な出会いを果たします。貫多に希望が見えてきます
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」
40歳を迎えようとしている貫多は小説家となっていた 文芸誌に掲載された短編のうち2つの作品が、川端賞の候補となるなど評価と知名度が高まりつつあった 「川端賞が欲しい」という目標もでき、日々小説を書き続ける生活を送る 持病と化した腰痛の診療の帰りに立ち寄った古本屋で川端康成の「みづうみ」の古書と「嘉村磯多の思い出」を見つける。「嘉村磯多の思い出」を読みながら、小説家としての自分を見つめ直す。そして川端賞の発表の日となり受賞の連絡を待つが、電話は来なかった
本作では、冒頭から腰痛に悩まされる貫多の苦しみが活写されていて、腰痛持ちの私には他人ごととは思えませんでした 本作では、「川端賞」が欲しいという切実な気持ちが綴られています
「彼は文名を上げたかった。達観することにより、いくら自分の心に諦めを強いたところで、また何をどう言い繕ったところで、やはり川端賞受賞の栄誉だけは何としても担いたかった もって実力派の書き手として、訳知らずの編集者から、訳知らずにでよいからチヤホヤされたかった 数多の女の読者から、たとえ一過性の無意味なものでもいい、ともかく一晩は騙せるだけの人気を得たかった」
これほど赤裸々な名誉欲を文章として書けるのは、やはり凄いことだと思います 恥も外聞もなく本性をさらけ出さなければこういう文章は書けません
偶然にも西村氏の死の4日前の今年2月1日に死去した石原慎太郎氏が巻末の「解説」を書いています その中で石原氏は次のように西村氏の小説の魅力を語っています
「西村賢太氏の作品の魅力はその人生の公理といおうか虚構といおうか、人々が実は密かに心得、怯え、予期もしている人生の底辺を開けっぴろげに開いて曝け出し、そこで呻吟しながらも実はしたたかに生きている人間を自分になぞらえて描いている。それこそが彼の作品のえもいえぬ力であり魅力なのだ」
「人生の底辺を開けっぴろげに開いて曝け出し・・・」というのは、まさにその通りで、私小説家の赤裸々な告白を読んでいるような気分になります
それにしても・・・と思うのは、石原慎太郎氏と西村賢太氏の間には運命的な結びつきがあったのだろうか、あちら側に行った石原氏がこちら側の西村氏を呼んだのだろうか、ということです