人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

チャイコフスキー国際コンクールを世界連盟が除名 ~ 朝日の記事から / 長田弘著「私の好きな孤独」を読む ~ モーツアルト頌、ビゼー「交響曲第1番 ハ長調」を中心に

2022年04月22日 07時08分14秒 | 日記

22日(金)。昨日の朝日朝刊 社会面に「チャイコフスキー国際コンを除名 連盟、ロシアを非難」という見出しの記事が載っていました 超略すると次の通りです

「『国際音楽コンクール世界連盟』(スイス・ジュネーブ)が、チャイコフスキー国際コンクールを除名した 連盟は、ロシアによるウクライナ侵攻を非難し、『ロシア政府が資金提供し、宣伝ツールとしているコンクールを、支援したり、(連盟の)メンバーに入れたりすることはできない』としている 同連盟は除名の一方で『全てのロシア人に対する全面的な制裁や、国籍を理由に個々のアーティストを差別し、排除することに反対する』とも言及している。チャイコフスキー国際コンクールは旧ソ連で1958年に創設され、4年に一度モスクワで開催。エリザベート王妃国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクールとともに世界3大音楽コンクールとされる。チェロや金管、木管などの部門がある

この記事を読んで、初めて「国際音楽コンクール世界連盟」という組織があることを知りました 世界の国際団体からロシアが排除されていく傾向は今後強まっていくのでしょうか

ところで1958年に開かれた第1回「チャイコフスキー国際コンクール」は、ソ連の文化的優位を誇示する目的がありましたが、優勝したのはアメリカのヴァン・クライバーンでした 米ソ冷戦の最中に敵国ソ連のコンクールで優勝したことから、クライバーンはアメリカの国民的英雄として賞賛され、世界中の話題になりました

これを機に、「チャイコフスキー国際コンクール」の1980年以降の主な日本人入賞者を調べてみました

第7回(1982年)ピアノ部門 第3位:小山実稚恵

第9回(1990年)ヴァイオリン部門 第1位:諏訪内晶子

第11回(1998年)声楽部門 第1位:佐藤美枝子

第12回(2002年)ピアノ部門 第1位:上原彩子

           ヴァイオリン部門 第2位:川久保賜紀

第13回(2007年)ヴァイオリン部門 第1位:神尾真由子

第16回(2019年)ピアノ部門 第2位:藤田真央

見ての通り、入賞者はソプラノの佐藤美枝子さんを除き、ヴァイオリン部門とピアノ部門に偏っていますが、いずれも第一線で活躍しているアーティストばかりです

順調にいけば次回の第17回コンクールは2023年、つまり来年です ウクライナ情勢が来年どうなっているか まったく読めませんが、ロシア軍によるウクライナの民間人の大量虐殺や、プーチン・ロシアが世界経済を大混乱に陥れたことに対し、世界はロシアを絶対に許さないであろうことを考えると、来年のコンクール開催は難しいのではないかと思います もし開催するとしても、ロシア、ベラルーシ、中国くらいしか参加が期待できない可能性が大きいと思います

ということで、わが家に来てから今日で2658日目を迎え、中国の習近平国家主席は21日、アジアを中心に政財界の要人が集まるフォーラムで講演し、「冷戦思想を排除し、単独主義に反対すべきだ。冷戦思想は世界平和の枠組みを壊し、覇権主義と強権政治は危害を加えるだけだろう」と述べ、米欧などがウクライナに侵攻したロシアへの制裁を強化していることを批判した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     何をほざいているか! "覇権主義" と "強権政治" は習近平政権の専売特許だろうが

 

         

 

昨日、夕食に2週間に一度のローテにより「鶏の唐揚げ」を作りました いつもは金曜日に作るのですが、コンサートの関係で木曜に切り上げました。唐揚げにはビールです

 

     

 

         

 

昨年末に新日本フィルから3000円の「クーポン券」が送付されてきていたことをすっかり忘れていました 4月から9月までの7公演で使用可能です すぐに予約しないとまた忘れてしまうので、さっそく新日本チケットボックスに電話して、案内状にある公演の中から7月11日(月)のクリスティアン・アルミンク指揮による①バルトーク「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、②オルフ「カルミナ・ブラーナ」のコンサート(サントリーホール)のS席を選びました    アルミンクは久しぶりです

 

     

 

         

 

長田弘著「私の好きな孤独」(潮文庫)を読み終わりました 長田弘氏は1939年福島市生まれ。詩人。1963年早稲田大学第一文学部卒業。65年に詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。82年「私の二十世紀書店」で毎日出版文化賞、98年「記憶のつくり方」で桑原武夫学芸賞受賞したのをはじめ受賞多数 2015年5月死去

 

     

 

本書は1999年6月に初版単行本が刊行、2013年5月に新装版として刊行されたものを 今回文庫化したものです

ジャーナリスト・評論家の大井浩一氏が巻末の「解説」の中で次のように指摘しています

「長田弘のキーワードを3つ挙げるとするなら、樹と旅と本ではないか。実際には、この詩人は本の森から出発し、海外への旅を経て、やがて樹という思想を感得するに至ったという順番が近いだろうが、本と旅と樹・・・それらはみな彼に言葉をもたらしてくれるものであった

その指摘の通り、本書は「言葉の樹」というタイトルのエッセーから始まり、海外への旅の経験を語り、これまで読んできた本について触れています

そもそも私がこの本を買おうと思ったのは、書店で立ち読みしていて、目次に「モーツアルトのように」「ランドフスカ夫人」「交響曲第1番」「やあ、メニューインさん」といったクラシック音楽にゆかりのタイトルを見出したからです

『モーツアルトのように』では、「なぜ口にしたら嘘になってしまう言葉が、こんなにもおおすぎるのか。うつくしい言葉が信じがたくなり、確かな言葉が苦しく、暗くなった」と思った時、著者は『モーツアルト頌』(吉田秀和・高橋英郎編)に出合います これを読んで、著者は「ほとんど忘れかけていた約束を思い出されたような気がして、おもわずギクリとした ほとんど忘れかけていた約束。それは、オマージュ(讃える言葉)こそが、もしかしたら、言葉がほんとうは夢みている最良のよろこびなのではないか、ということだ うつくしい言葉をすでに信じられなくなっていた一人にとって、それは、到底果たせそうもないような約束に思えた」と書きます そして、「モーツアルトのような音楽に対してとりうる態度は、2つに1つ。黙って聴き、じっと沈黙するか。あるいは、好きだと一言、ぽつりと呟くか。・・・つまり、オマージュとは、モーツアルトを聴くようにしか読めないし、書けないような言葉である およそどんな冗舌にも不足していないような時代に不足しているのはただ一つ、ほんとうに必要な言葉だ みずからゆたかに沈黙できるような言葉だ。ブラームスの静かな言葉を覚えている。・・・『今日のわれわれには、モーツアルトのようにうつくしく書けなくなってしまった われわれにできるのは、ただ、彼が書いたと同じくらい純潔に書くように努めることだ』」と締めくくります

この文章を読んでいて、「モォツアルト」で有名な評論家・小林秀雄がエッセーの中で、「美を前にしたら言葉が出ない。口に出したら嘘になる。ただ沈黙するしかない」という趣旨のことを書いているのを思い出しました 彼のエッセーが長田氏に影響を与えていることは間違いないのではないかと思います

『交響曲第1番』は、ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)が1855年に作曲した「交響曲第1番 ハ長調」について書いたエッセーです 1曲しか交響曲を書かなかったのに「交響曲第1番」となっていることを揶揄して「ビゼーには第3番も第7番もない」と書きます そして次のようにこの交響曲に辿った運命を書きます

「17歳の少年の書いたただ一つの交響曲は、匿されたまま、忘れられて終わった 少年の交響曲がパリ音楽院の図書館の片隅から見出され、ビゼーの交響曲第1番として初演されたのは、死後60年目の冬、書き上げられて80年目のことである

上記の初演は1935年2月26日にバーゼルでワインガルトナーの指揮により行われました なお、「交響曲第2番」は1859年に着手されたものの破棄されたと言われています そのため、ハ長調の交響曲が第1番と呼ばれています 「交響曲第1番」について著者は次のように書きます

「それは、不思議な交響曲だ。曲は、いきなり、全オーケストラによるすばらしい和音の一撃にはじまる そしてすぐに流れるようにうつくしい第1楽章の第1主題へうつってゆくのだが、なんといってもみごとなのは、冒頭の、ただ1度だけの、短くするどい全オーケストラによる一撃だ それだけがこの交響曲のすべてだ。そういっていいぐらい、はげしくこころにひびく一撃だ。あたかも はじまったそのときに ほんとうは終わっている交響曲。それがビゼーの交響曲第1番だ    おそらく、冒頭の、ただ一度の、全オーケストラによる一撃に、17歳のパリ音楽院生は、交響曲への野心のすべてを叩き込んだのだろう。だが、その音を最初に書いてしまったあと、少年にはもう交響曲という形式で書くべきことが、きっと何もなかったのだ 聴いていると、そのことが胸に痛いように伝わってくる。完璧な敗北というものをはじめて知った少年の、悲しみの一撃。交響曲第1番はそこにはじまり、そこで終わっている。じぶんの完璧な敗北をしるした楽譜を胸の奥にしまい込んで、あざやかな悲しみをかかえて、明るい風景を横切っていったビゼー。そのたった一つきりの交響曲第1番がとても好きだ

ビゼー「交響曲第1番ハ長調」は第1楽章「アレグロ・ヴィーヴォ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります あらためて、CDでこの曲を聴いてみると、確かに第1楽章冒頭の和音の一撃はものすごいインパクトがあります しかし、全体を通して聴いてみると、あまりにも著者は冒頭の一撃にこだわり過ぎているように思われます 楽章構成を見ても分かるように全4楽章のうち3つの楽章が「アレグロ」です 曲想は明るく溌溂としていて、私がタイトルをつけるとすれば「青春」です。私からみれば、冒頭の和音は、著者の言う「悲しみの一撃」ではなく、「青春の発露の一撃」です

著者はビゼーの生涯について次のように書きます

「ビゼーの時代は、オペレッタの時代だ。作曲家になるというのは、オペラの作曲家になることだった 17歳の少年はオペレッタへの道を択び、やがて輝かしい『カルメン』や『アルルの女』の作曲家ビゼーになり、日の光のなかに色彩がざわめいているような明るい音楽を書き続けて、わずか36歳で死んだ

天災は早死にします 思いつくだけでも、モーツアルト=35歳、シューベルト=31歳、メンデルスゾーン=38歳、ショパン=39歳と、天才たちは揃って30代で死去しています

著者はこの曲のエッセーを次の文章で締めくくっています

「雨の日と月曜日には、もうどうしようもないような気もちに襲われたら、わたしは、その一つしかないビゼーの交響曲を聴く

たしかに、この曲は人を前向きにさせる力があります

本書は 音楽、コーヒー、旅、酒、読書など、孤独を味わうためのエッセーが集められています 孤独のお供にいかがですか

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする