人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

エマニュエル・クールコル監督「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」を観る ~ ベケット「ゴドーを待ちながら」を演じる囚人達の行方:ヒューマントラストシネマ有楽町 / 「断章その1」

2022年09月14日 07時02分39秒 | 日記

14日(水)。本棚を整理していた娘が「これ捨ててもいい?」と1冊のガリ版刷り小冊子を持ってきました タイトルに「無冠」とあり、私が大学時代に所属していた新聞学科のSゼミナールの機関誌であることを思い出しました 巻頭言に「紙不足の時に、こんな駄文で紙を埋めることはいかんともしがたいけれど・・・」とあり、当時がオイルショックの時世だったことを思い出しました 「無冠」はゼミ生のエッセイを収録したもので、お互いの文章を読んで感想を述べあい、文章力の向上を目指して切磋琢磨することを目的として年1回刊行されていたものです

その最初に登場しているのは「断章  その1」という下の文章です

「歳を重ねるごとに、人は成長するという。だが、何を基準として成長するというのか。成長していく主体に、その成長の過程が自覚されうるだろうか。

我々の人生は過ぎていくという。だが、何に対して過ぎていくというのか。過ぎていく者に、過ぎていくものが知覚できようか。

季路曰く  敢えて死を問う 子曰く  未だ生を知らず  焉んぞ死を知らん(論語第6巻)

生は果たして生を知覚できようか。

人は、ある特定の感動を得るとき、美しいという。だが、その客体が真に美しいものならば、美しいという言葉は嘘になる。なぜなら、美は人を沈黙させるからだ。沈黙以上の感動の表現方法は何ひとつない。

ゆく河の流れは絶えずして  しかももとの水にあらず  淀みに浮かぶうたかたは  かつ消えかつ結びて  久しくとどまりたる例なし  世の中にある人と栖と  またかくのごとし(方丈記)

我々は生きている、というのは事実。だが、何の為に生きているのか。その意味さえ理解していないのも事実。そして、人が生きていく限り、それが将来も変わらないであろうことも、間違いのない事実。我々は、果たして我々を知覚できようか」

最後の行に私の名前が書かれていました 正直言って、まったく覚えていません あれからン十年経った今、あらためて読み返してみると、評論家・小林秀雄の影響をもろに受けていることが分かります 当時この文章を読んだゼミの仲間たちはどう思っただろうか?  ン十年前の自分自身に感想を求められたら「理屈ばかりで内容が固過ぎる 独りよがりの文章だ」とでも言うでしょう

その上であらためて思うのは、当時から文章を書くことが好きだったし、同じテーマでも他の人たちとは異なる視点で書こうと意識していたことです その方向性は、今ブログを書く上で継承されています

ということで、わが家に来てから今日で2803日目を迎え、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題を巡り、関係省庁が設置した合同の電話相談窓口に、5~9日の最初の5日間で計1002件の相談が寄せられたが、内容は金銭トラブルが多く、他にも「生活困窮に陥ってしまった」「親族に信者がいるがどうすればいいか」といった様々な相談が寄せられたと葉梨康弘法相が13日の閣議後記者会見で明かした  というニュースを見て感想を述べモコタロです

 

     

     これほど問題の多い団体を 宗教法人として認めておいていいのか 詐欺集団じゃね?

 

         

 

昨日、夕食に「豚肉のスタミナ丼」「生野菜とササミのサラダ」「冷奴」「もやしの味噌汁」を作りました ニンニクを使った料理は元気が出ますね

 

     

 

         

 

昨日、ヒューマントラストシネマ有楽町で、エマニュエル・クールコル監督による2020年製作フランス映画「アプローズ、アプローズ!  囚人たちの大舞台」(105分)を観ました

売れない俳優エチエンヌ(カド・メラッド)は、刑務所の囚人たちを対象とした演技ワークショップの講師を依頼される サミュエル・ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」を演目に選んだ彼は、一癖も二癖もある囚人たちに演技を指導していく エチエンヌの情熱はいつしか囚人たちや刑務所管理者の心を動かし、実現は困難とされていた刑務所外での公演に漕ぎつける 彼らの舞台は予想以上の好評を呼んで再演を重ねることになり、ついには大劇場パリ・オデオン座から最終のオファーが届く エチエンヌにとっては憧れの場所 一行はバスでオデオン座に乗り付け出演の準備をするが、開演時間になっても誰一人として現れなかった 

 

     

 

この映画は、1985年に実際に起こったスウェーデンの俳優ヤン・ジョンソンの体験をもとに、実在の刑務所で撮影を敢行した作品です

映画の序盤、遅刻した囚人にエチエンヌが「30分待ったぞ」と怒ると、「俺は(出所を)7年待ってるんだ」と返すシーンが印象的です 囚人たちにとってベケットなど知らない存在で、ただひたすら台詞を覚えることに追われますが、稽古をしていくうちに「『ゴドーを待ちながら』という物語はひたすら退屈に耐えて待つしかない自分たちの日常そのものだ」と気が付きます そこから、彼らは稽古を通じてお互いの心を開き、舞台で演じることによる達成感を知り、自分自身を変えていくことになります

彼らは時に台詞を忘れ、アドリブによっていきなりドタバタ喜劇にしてしまいますが、プロでない素人集団ならではのハプニングで観衆の笑いを誘います

映画のラスト、誰もいないステージに現れたエチエンヌは事の次第を語り始めます  「彼らを待っていたが、とうとう現れなかった   まさに『ゴドーを待ちながら』そのものです

「オデオン座での大舞台で演じる前に、囚人たちは申し合わせて逃走してしまう」という実話通りのストーリーについて、エマニュエル・クールコル監督は、「なぜああなったかと言えば、演劇というものがそこまで彼らを変えてしまうほど大きな体験だったからだろう」と答えています(7月29日付朝日新聞)。

残念ながら私はこれまで「ゴドーを待ちながら」の舞台を観たことがありません チャンスがあれば是非観たいと思います

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