人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

高関健✕藝大フィルハーモニアでマーラー「交響曲第7番」、マーラー編曲「J.S.バッハの管弦楽作品による組曲」を聴く~第7交響曲の第5楽章をどのように演奏するか?

2018年11月10日 01時30分06秒 | 日記

10日(土)。わが家に来てから今日で1499日目を迎え、桜田義孝五輪相が参院予算委員会で 蓮舫議員から聞かれた2020年東京五輪・パラリンピックの大会予算の国の負担分「1500億円」を「1500円」と言い間違えたり、蓮舫議員を「れんほう」でなく「れんぽう」と間違えて呼んだりした問題が 後を引いていることに関して日本史の問題を出すモコタロです

 

     

      この事件は100年後に何と言われるでしょう? 答えは「桜田門外漢の変」です

 

         

 

昨日、夕食に「牛肉と椎茸のバター炒め」と「たまごスープ」を作りました 「牛肉~」は新聞に載っている「料理メモ」を見て作りました。簡単で美味しいです

 

     

 

         

 

昨夕、上野の東京藝大奏楽堂で第388回藝大定期演奏会を聴きました プログラムは①マーラー編曲「J.S.バッハの管弦楽作品による組曲」、②マーラー「交響曲第7番」です 指揮は東京シティ・フィル常任指揮者で東京藝大指揮科教授の高関健です

 

     

 

全席自由です。1階13列25番、右ブロック左通路側を押さえました。会場は8割以上は入っているでしょうか

開演を前に、6時15分から高関氏によるプレトークがあり、演奏曲目についての解説がありました マーラーの第7番は、ヤンソンス✕バイエルン放送響が演奏する予定だったのが、ヤンソンスが来日できなくなったことに伴い 曲目変更になったので、今回の藝大フィルハーモニアの演奏が今年 日本で唯一の第7番の演奏になるとのことでした

さて本番です。1曲目はマーラー編曲「J.S.バッハの管弦楽作品による組曲」です この曲はグスタフ・マーラー(1860-1911)がニューヨーク時代の1909年にバッハの管弦楽組曲第2番と第3番を合体して編曲した作品です 第1曲「序曲」グラーヴェ、第2曲「ロンド」~「バディヌリ」、第3曲「エール」、第4曲「ガヴォットⅠ」~「ガヴォットⅡ」から成ります 第1曲と第2曲が「管弦楽組曲第2番」から、第3曲と第4曲が「同第3番」から採られています

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります 2階正面にはパイプオルガン奏者がスタンバイします。プレトークで高関氏が語った通り、指揮者の前にはフルート・パートを強調するため、フルート奏者4名がスタンバイします。コンマスは植村太郎です

高関氏のタクトで第1曲が荘重に開始されます オリジナルの小編成による管弦楽組曲に聴き慣れた耳には、フルオーケストラによる演奏はゴージャスで、さすがはマーラーの編曲だな、と思います その上、パイプオルガンの音が管弦楽にかぶさるので、半端ない音量が押し寄せてきます しかし、楽器が多い分、透明感が失われてしまうように感じます しかし、マーラーは、この曲を手始めにニューヨークの聴衆にクラシック音楽を歴史を追ってシリーズで紹介していくことを考えたようですから、その意図を尊重すべきでしょう 分厚い響きを堪能しました


     


プログラム後半はマーラー「交響曲第7番」です この曲はマーラーがウィーン宮廷歌劇場監督時代の1904~05年にかけて作曲され、1908年9月19日にプラハで初演されました 次の5楽章から成りますが、第2楽章と第4楽章に「夜の音楽」というタイトルを付して、シンメトリーな構成になっています 第1楽章「ゆっくりと~決然と速く、しかしあまり急激でなく」、第2楽章:夜の音楽「ほどよく速く」、第3楽章「スケルツォ」影のように~流れるように、しかし、速くなく、第4楽章:夜の音楽「ゆったりと優しく」、第5楽章「ロンド・フィナーレ」最初のテンポ(正統的な速さで4拍子にとる)から構成されています

高関氏のタクトで第1楽章が開始されます 冒頭のテナーホーン(ワーグナーチューバのような形をしている)の演奏が素晴らしい クラリネットとトランペットは局面に応じてベルアップ奏法(楽器の先を持ち上げる)を見せます 第2楽章では、冒頭のホルンによる呼びかけと山びこのやり取りが素晴らしい 第3楽章は、初演以来「幽霊のようだ」とか「不気味だ」とか「グロテスクだ」とか言われてきましたが、第2楽章、第4楽章よりも もっと「夜の音楽」のように感じます 第4楽章は、いよいよギターとマンドリンが活躍します。これらはセレナードに欠かせない楽器です 今まで第7番をライブで聴いてきて、ギターとマンドリンの音がまともに聴こえた演奏は一つもありませんでした 残念ながら、今回の演奏もマンドリンはかろうじて聴こえたものの ギターはほとんど聴こえませんでした 奏者を見ながら聴いて思ったのは、オケの音を押さえるよりも、ギターをもっと強く弾くように求めるべきではないか、ということです。あくまでも素人考えですが

さて問題は第5楽章です 4楽章までの音楽はいったい何だったのか と言いたくなるような ティンパニの連打、金管楽器のファンファーレが轟き渡ります 第2楽章と第4楽章の「夜の音楽」の「夜」の意味は音楽的には「ノクターン」とか「セレナーデ」を意味しますが、その一方でドイツ圏では「死」を意味します   それを全否定して歓喜の音楽が突然鳴り響くのですから、あまりの唐突さ、能天気さを感じます

私が一番最初に第7番のCDを買ったのはオットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団による演奏(1968年録音)でした このCDの総演奏時間は100分です。そのうち最後の第5楽章は24分です。これがしばらく私の第7番のスタンダードでした 

 

     

 

その後、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団のCD(1992年録音)を聴いてオッタマゲました 総演奏時間は77分で、そのうち第5楽章は18分弱です 他のCDも聴いてみましたが、どうやらクレンペラー盤が異常に遅いテンポによる演奏であることが判明しました

 

     

 

しかし、夜の音楽  ー  ノクターン  ー  死  という繋がりで考えると、第5楽章にきて唐突に喜びに満ちたスピーディーな演奏をするラトル盤よりも、喜びが前面に出ていない超スローテンポによるクレンペラー盤の方が作品の解釈としては正しいのではないか、と思ったりします 今回の公演プログラムに掲載されている高関氏のインタビューを読むと「1908年9月19日にプラハで行われたマーラーの第7番の初演時にはオットー・クレンペラーやクラウス・プリングスハイムが立ち会った」と書かれています そのクレンペラー(1885-1973)が指揮したのですから演奏に説得力があるはず しかし、その初演時クレンペラーは23歳でしたが、CD録音したのは83歳の時です この間60年もの年月が経過しています。これをどう捉えるかです 彼は指揮をするには歳を取り過ぎて耄碌したのでしょうか? 実際にクレンペラー盤のCDを聴いてみれば、そのあまりの遅さにのけ反ると思います

九州大学大学院の高坂葉月さんのプログラム・ノートには、「(第5楽章は)交響曲全体をみたときの唐突さ、首尾一貫性のなさ、あまりに明るく肯定的な音楽表現が『嘘っぽい』という否定的な見解を多くもたらした しかし1990年代以降になると評価は一変する。この曲の分裂的な要素や多くの曖昧な要素が、ポスト・モダンの思潮にかなって注目されるようになり、今日に至るまで、興味深い解釈が出され続けている」と書かれています

これに従えば、クレンペラーとラトルはまったく違う時代を生きていて、それぞれの時代背景の中でそれぞれの演奏スタイルでCD録音したのだと言えるでしょう

高関氏は、プレトークで「マーラーは他の交響曲を丸2年かけて作曲しているのに対して、第7番を比較的短期間に(1904年夏と1905年の夏から冬にかけて)集中して作曲していることから、モーツアルトで言えばディベルティメントやセレナードのように自由に作曲したのではないかと思う」と語っていましたが、なるほどそういう解釈も成り立つかな、と思いました

今回の高関健✕藝大フィルハーモニアの演奏は、そうしたことを加味した上で、速いテンポによる現代的な第7番の解釈によるものですが、国際マーラー協会との交流の中で、高関氏が楽譜の一部に改訂を加えた版により演奏されました

今回の演奏は、いつにも増して金管楽器と打楽器の健闘が目立ちました 第7番は演奏される機会があまりないので、これからはどんどん演奏してほしいと思います

 

     

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パーヴォ・ヤルヴィのリーダー論(下)~日経夕刊から / 樹木希林出演映画「わが母の記」「モリのいる場所」を観る~バッハ「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調」第2楽章が流れる:新文芸坐

2018年11月09日 07時24分57秒 | 日記

9日(金)。娘の台湾みやげを おやつにいただきました ティーカップに浮いているのは何 ❓

 

     

 

台湾ルビー紅茶「金魚ちゃん」です   ところで、狭い金魚鉢の中で金魚を飼うことを金魚はどう思っているか知ってますか? 正解は もちろん金魚迷惑です

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で1498日目を迎え、今年の世相を映した言葉に贈られる「2018ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされた30語が7日に発表され、スポーツ関連では、サッカー「大迫、半端ないって」、野球「翔タイム」、テニス「なおみ節」が候補に入った というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     大迫、大谷、大坂・・・共通しているのは「大」がつくこと  みんな大したもんだ

 

         

 

昨日、夕食に「麻婆茄子」を作りました 秋は茄子が美味しい季節ですね。とても上手に出来ました

 

     

 

         

 

今月3日のブログで日経夕刊に掲載された「パーヴォ・ヤルヴィのリーダー論」をご紹介しましたが、昨日その「下」が掲載されました 超訳すると

「オーケストラのお国柄の違いは明確にある。例えば、ドイツのオーケストラは、奏者が何らかの理由で指揮者のことを嫌っていても、とりあえず指揮者の言うことに従い演奏する これは、ヒエラルキーを重んじるドイツ人の国民性から来ていると思う。一方、フランスのオーケストラは全く違う。フランス人は権力全般に対し愛憎相半ばする感情を抱く国民性だ 指揮者に対する奏者の気持ちも同様で、指揮者を頼りにする半面、指揮者の言葉には本能的に反発し、なかなか言うことを聞いてくれない どうするかというと、自分は自発的にそうしているんだと相手に思わせるような言い回しで指示を出す 米国人は現実主義者なので、シンプルで明確な指示を出せば、その通りに動く 日本は非常にやりやすい国だ。日本人は信じがたいほど強い序列意識の持ち主だからだ。どの楽団にも明確なリーダーシップの序列があり、メンバーは組織内の序列に常に注意を払いながら行動する だから指揮者の話も素直に聞いてくれる。フランスではあり得ないことだ。日本人は従順というよりは、プロフェッショナルと言った方が正しい。日本の奏者は自分をしっかりと持っているし、頑固なところは頑固だ また、常にベストを尽くそうとするし、ミスは許されないという気持ちも強い 女性指揮者が少ないが、大きな問題はロールモデルの不在だ。男性指揮者の場合は、カラヤンやバーンスタインをはじめロールモデルはいくらでもいる 女性も男性指揮者を手本にすればよいとする考え方もあるかも知れないが、女性は指揮者としての体の動かし方や奏者とのコミュニケ―ションの取り方などが、どうしても男性と違うので男性指揮者をロールモデルとするのは難しい 私は生まれ故郷のエストニアで、指揮者を養成するスクールを運営しているが、受講生の半数を女性とする方針も掲げている 女性の指揮者を増やすことは、クラシック音楽界全体のためにも非常に大切なことだと思う

この記事を読んで思い出したのは、毎年夏にミューザ川崎で開かれている「フェスタサマー・ミューザ」の各オーケストラの公開リハーサルの様子です 指揮者が要所要所で指示を出して やり直しをするのですが、その際、楽員から質問がほとんど出ないのです それは 言われたことを理解しているから質問が出ないのか、それとも「質問力」がないのか よく分からないのです 結局「最近、各オーケストラの演奏レヴェルは上がっている」というどこかで聞いた言葉を信じ、また、ヤルヴィの「プロフェッショナル」という言葉を信じて、これからもコンサート通いを続けるのかな、と思う一方で、先日のブログでご紹介した大友直人氏の「日本には一流のオーケストラはいくつもあるが、上には超一流がある」という発言との関連でどう考えれば良いのかな、と新たな疑問が生じてきたりします

 

         

 

昨日は新文芸坐の「追悼  樹木希林」特集の最終日でした 「わが母の記」と「モリのいる場所」の2本立てを観ました

「わが母の記」は井上靖の自伝的小説「わが母の記」を原田真人監督が2012年に映画化した作品(118分)です

昭和39年、小説家の井上洪作(役所広司)は、父が亡くなり 母・八重(樹木希林)の面倒を看ることになる   幼少期に母と離れて暮らしていたため距離を置いていた洪作だったが、妻や3人の娘、妹たちに支えられ、自身の若い頃の記憶と八重の思いに向き合うようになる    八重は薄れゆく記憶の中で息子への愛を確かめ、洪作はそんな母を理解し次第に受け入れられるようになっていく

 

     

 

八重は歳を取るにつれてボケがひどくなっていき、洪作のことを自分の息子だと分からなくなり、彼の妹に対しては「使用人のクセに」と罵倒して怒りを買うようになります 記憶がだんだん薄れていく八重を樹木希林さんが入れ歯を外して等身大の演技に挑戦しています それと、洪作を演じた役所広司が素晴らしい この人は何を演じてもサマになる人で、生まれつきの役者広司と言っても良いくらいです

この映画では、随所にJ.S.バッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調BWV1041」の第2楽章「アンダンテ」が使われていました 穏やかでいい曲です

 

         

 

「モリのいる場所」は沖田修一監督・脚本による2018年製作映画(99分)です

昭和49年の東京都豊島区。94歳の画家・熊谷守一(山崎努)が暮らす家の庭には草木が生い茂り、たくさんの虫や猫が住み着いている   それらの生き物たちは守一の描く絵のモデルであり、じっと庭の生命たちを眺めることが、30年もの間 家の敷地から外に出たことのない守一の日課だった  そして76歳の妻・秀子(樹木希林)と二人で暮らす家には毎日のように客が訪れる。守一を撮影することに情熱を傾ける若い写真家、守一に看板を描いてもらいたい温泉旅館の主人、隣に暮らす佐伯さん夫婦、近所の人たち、さらには得体の知れない男まで、老若男女が集う熊谷家の茶の間はその日も賑やかだった

 

     

 

いま熊谷守一を演じて山崎努ほど相応しい人はいないだろう、と言わせる存在感です 同時に、飄々として守一を見守る妻・秀子を演じて樹木希林ほど相応しい人はいなだろう、と思わせる演技力です

可笑しかったのは、温泉旅館の主人が看板を書いてほしいと頼みに来た時、〇〇館という旅館の名前ではなく、「無一物」という守一自身が好きな言葉を書きつけて旅館の主人を唖然とさせるところです そして、何度か夫婦で囲碁の対戦をするのですが、守一が長考の末に石を置くと、秀子は瞬時に石を置いて守一の石をかっさらっていくところです 「勝つことばかり考えていて・・・」と文句を言うと、「あなたが弱いだけですよ」と返すところがまたいい また、国から「文化勲章を授与したい」と電話がかかってくると、秀子に「人がいっぱいやってきて、あなたが忙しくなる。それが一番困る。断ってくれ」と伝え、彼女は「いらないそうです」とガチャンと電話を切ってしまうところは痛快です 

守一は自筆の表札を出していますが、何度書いても盗まれてしまい、しまいには使い捨て弁当箱のフタに書いて掲げますが、これも盗まれてしまいます これは有名画家の宿命か、と思ったりしました

後日 樹木希林さんは、以前から共演したいと思っていた山崎努さんと共演できて嬉しかったと語っていますが、願いが叶って良かったと思います

 

     

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川久保賜紀 ✕ 遠藤真理 ✕ 上原彩子で チャイコフスキー「偉大な芸術家の思い出に」、 プロコフィエフ「チェロ・ソナタ」 「ヴァイオリン・ソナタ第2番」を聴く~北とぴあ さくらホール

2018年11月08日 07時20分07秒 | 日記

8日(木)。わが家に来てから今日で1497日目を迎え、トランプ米大統領にとって就任後初めての国民的な審判を受ける中間選挙の開票が進み、連邦議会の上院では与党・共和党が過半数を維持する一方で、下院では野党・民主党が過半数を奪い返して8年ぶりに多数派となるのが確実になった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      下院で選挙に負けても トランプ大統領のやることはまったく変わらないと思うな

    

         

 

昨日、夕食に「豚バラ肉のエリンギ炒め」と「トマト、エノキダケ、レタスとウインナのスープ」を作りました 「豚バラ~」はウーウェン先生のレシピで 作るのは2度目。スープは自己流です

 

     

 

         

 

昨夕、北とぴあ  さくらホールで「チャイコフスキー 偉大な芸術家の思い出に ~ 贅沢なトリオが贈るロシア音楽の神髄 ~ 」を聴きました プログラムは①プロコフィエフ「チェロ・ソナタ  ハ長調 作品119」、②同「ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調作品94bis」、③チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲イ短調作品50『偉大な芸術家の思い出に』」です 演奏はヴァイオリン=川久保賜紀、チェロ=遠藤真理(読響首席)、ピアノ=上原彩子です

 

     

 

「北とぴあ さくらホール」は自宅から一番近いコンサートホールです 都電荒川線利用、ドア・トゥー・ドアで17分です ただ、あまり行く機会がありません

自席は1階N列31番、右ブロック左から2つ目です。2階席は見えませんが、1階は8割以上の入りでしょうか

1曲目はプロコフィエフ(1891‐1953)の「チェロ・ソナタ  ハ長調 作品119」です この曲は1947年末に、当時弱冠20歳の音楽院生だったロストロポーヴィチの演奏会を聴いて、彼の並外れた才能に魅了されたプロコフィエフが作曲に取り掛かり 1949年初夏に完成させました。同年12月6日にロストロポーヴィチのチェロ、巨匠スヴァストラフ・リヒテルのピアノで初演されました 第1楽章「アンダンテ・グラーヴェ」、第2楽章「モデラート」、第3楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」の3楽章から成ります

淡い草色系の衣装の遠藤真理と黒の衣装の上原彩子が登場し、第1楽章が遠藤真理の重低音で開始されます 「アンダンテ・グラーヴェ」の指示通り「穏やかに、表情豊かに」の演奏が展開します。第2楽章は一転、賑やかなスケルツォです。プロコフィエフ特有の諧謔的な曲想が展開します 第3楽章では遠藤真理によるチェロのスケール感が前面に出ます 初めて聴く曲でしたが、楽しめました

2曲目はプロコフィエフ「ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調作品94bis」です この曲は、プロコフィエフが作曲した「フルートとピアノのためのソナタ」作品94を元に、名ヴァイオリニスト、ダヴィド・オイストラフの勧奨により作曲者自身が「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番」に編曲した作品です 第1楽章「モデラート」、第2楽章「プレスト」、第3楽章「アンダンテ」、第4楽章「アレグロ・コン・ブリオ」の4楽章から成ります

グレーのシックな衣装の川久保賜紀が上原彩子とともに登場し、配置に着きます 川久保のヴァイオリンで第1楽章が開始されますが、何となく落ち着きません よく考えてみたら、今まで「フルート・ソナタ」として聴き慣れてきたので、ヴァイオリンで演奏されると違和感を感じるのだということが分かりました それに加えて、何となく彼女の演奏に覇気を感じません。第4楽章の快活なロンドまできてやっと満足できました


     


プログラム後半は、チャイコフスキー(1840‐1893)の「ピアノ三重奏曲イ短調作品50『偉大な芸術家の思い出に』」です この曲はチャイコフスキーが敬愛していたニコライ・ルビンシテインの死(1881年)を悼んで作曲した作品です 第1楽章「モデラート・アッサイ」、第2楽章「Ⅰ主題と変奏  ~  Ⅱ変奏フィナーレとコーダ」から成ります

出演者は女性3人です。こういう場合は、ほぼ例外なく”お色直し”があります。3人とも赤系統の鮮やかな衣装に身を包まれての再登場です こういうところは華やかでいいですね

第1楽章冒頭のヴァイオリンの第1主題の演奏はちょっと変でしたが、その後は持ち直しました 遠藤真理は絶好調です。そして、3曲通じて安定して好調を維持していたのはピアノの上原彩子です

3人の演奏を聴きながら感じたのは、ベートーヴェンは屈指の「変奏曲」作曲家だったけれど、チャイコフスキーも負けず劣らず類まれなる「変奏曲」作曲家で、しかも屈指のメロディーメーカーだったんだな、ということです

 

     

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樹木希林出演映画「東京マリーゴールド」「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を観る ~ 樹木希林さん 内田也哉子さん 母娘共演 :新文芸坐 / 開けなかった2度目の同窓会

2018年11月07日 07時41分36秒 | 日記

7日(水)。わが家に来てから今日で1496日目を迎え、6日の米国の中間選挙を前に、トランプ大統領の陣営が作った選挙CMが移民と犯罪者を結びつける内容だとして、物議を醸している というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      トランプ寄りと言われるFOXニュースも放送を取り止めたというから 相当だな

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のトマト煮」と「もやし豚汁」を作りました 「鶏~」は cookpad のレシピですが、娘の大好物です  「もやし~」は笠原将弘先生のレシピですが、これも娘の大好物です   3泊4日の台湾への旅から無事に帰国した娘のために作りました

 

     

  

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で「追悼  樹木希林」特集のうち「東京マリーゴールド」と「東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン」の2本立てを観ました

「東京マリーゴールド」は市川準監督による2001年製作映画(97分)です

21歳の酒井エリコ(田中麗奈)は恋人と別れたばかり。仕事を変えたり、オシャレをしても心が晴れない そんなある日、友だちに誘われて参加した合コンで、タムラヒロシという男(小沢征悦)に出会い恋をしてしまう しかし、彼にはアメリカ留学中の恋人がいた 一度は諦めようとしたがどうしても忘れられず、彼女は 恋人が留学から戻ってくるまでの1年間という条件付きで付き合ってほしいとタムラに頼む 二人は付き合い始めるが、エリコは終わることが見えている虚しさが積もる中、1年は過ぎ去ってしまう その後、エリコは乗り合わせたバスで偶然にもタムラの恋人が別の男性と結婚していたことを知る 実はタムラは前の恋人との失恋を引きずって生きていたのだった。塞ぎ込んでいたエリコの心に希望が湧いてくる

 

     

 

この作品は林真理子の原作を映画化したものですが、「マリーゴールド」は1年草、つまり1年しか花を咲かせない植物なので、このタイトルになったようです 田中麗奈が期間限定の恋愛に揺れる若い女性の心理を等身大で演じています また、指揮者・小澤征爾氏の長男・小沢征悦がどっちつかずの不安定な心情を演じています

この映画は味の素の「ほんだし」発売30周年記念として製作されたこともあって、劇中2度ほど エリコと母・酒井律子(樹木希林)が美味しそうに味噌汁をすするシーンがあります スポンサーの立場から言うと、そこがミソなのでしょう

この映画では、「ざわわ ざわわ ざわわ」と森山良子さんが歌った「さとうきび畑」のメロディーが、口笛で吹かれたり、マンドリンで演奏されたりして、あたかもこの作品のテーマミュージックのように使われています 二人の主人公の心を通り抜けていく風のようです

 

         

 

「東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン」は松岡錠司監督、松尾スズキ脚本による2007年製作映画(142分)です

幼いボクを連れてオトン(小林薫)の家を出たオカン(内田也哉子)は、女手ひとつでボクを育て上げた やがて美大に通うために上京したボク(オダギリジョー)は、学費を仕送りしてくれるオカンへの罪悪感を感じながらも自堕落な毎日を送ってしまう 数年後、ようやくイラストやコラムの仕事が軌道に乗り始めた頃、オカン(樹木希林)のガンが発覚し入院する

 

     

     

この作品は、リリー・フランキーの自伝小説を映画化したものです 若き日のオカンを希林さんの実娘・内田也哉子が演じ、年老いてからのオカンを希林さんが演じています。やっぱり親子です。何となく似ています

病室にいるオカンにボクが「何か持ってきて欲しいものはあるかい?」と訊くと、オカンは「お前の(美大の)卒業証書を持ってきてほしい」と答えます この心情は親になってみなければわからないでしょう とくにオカンの場合は、ひとり息子を 大学を卒業させるために休むことなく働き続けてきたのですから

映画の終盤は、ガンの治療で抗がん剤投与のためベッドでのたうち回るオカンと、傍にいながら何もできないボクの苦しみが描かれますが、実際のガン治療も本人でなければ分からない予想を超える苦しみがあるんだろうな、と思いました

 

     

     

 

重い気持ちを引きずりながらマンションに帰ると 1通のハガキが届いていました。年賀状の時はいつも差出人がM夫婦連名なのに、ご主人の名前しか書かれていません。おかしいな?と思って裏返し、「えっ」と絶句してしまいました。そこにはこう書かれていました

「喪中につき年頭のご挨拶は失礼させていただきます 妻 N子が7月18日に51歳で永眠いたしました。平素の御芳情を厚くお礼申し上げますとともに みなさまに良い年が訪れますようお祈りいたします」

M夫妻は全国紙M新聞社の社内結婚で結ばれ、確かいま20歳の長女と16歳の長男がいます。私はN子さんの知り合いで、初めて会ったのは私が新聞関係団体の人事労務セクションで働いていた90年前後の頃でした 当時、新聞社にも女性の進出が拡大しつつある頃で、「新聞業における女性労働問題研究会」を立ち上げることになり全国の新聞・通信社から22名が集まりました その時、M新聞社から研究員として派遣されてきたのが入社2年目のN子さんでした。地方紙が部長クラスを派遣してくる中で、全国紙のM紙からはほとんど新人が派遣されたことに対して、研究会の上部機関の懇親会の席で、私は彼女の直属の上司N人事部長に「他の新聞社がベテランを派遣しているのに、M紙は入社2年目の社員を派遣するとは、地方紙に失礼ではないか」と食って掛かったことがあります それに対してN部長はにこやかに「彼女は優秀だから大丈夫です」と言われていたと記憶しています。その後、2か月に1回ほど 1年間の研究会を通して、N部長の言うことが証明されることになりました 当時の研究会は地方各地から出張してくる研究員に配慮して、湯河原にある保養施設で午後に研究会、夜に懇親会、1泊して翌日の朝食後解散するという形式を取っていました 朝食はほぼ同じ時間帯に広間に集まって食べるのですが、いつもN子さんだけが不在でした 彼女は朝食前に朝一番で帰京し、他の社員が出社する前に、在京の各新聞や郵便物を仕分けしてセクションごとに配布する仕事をしていたのです このことは後でN部長から伺いました。言うまでもなく、彼女の研究員としての仕事ぶりは見事なものでした そんなこともあって、次に懇親会の席でN部長に会った際には「入社2年目の社員を派遣するとは地方紙に失礼ではないか、と言ったことは撤回します。彼女は優秀で 努力家でした。生意気なことを言ってすみませんでした」と平謝りしました。その約20年後の2012年3月5日、同じ若手の研究員だった名古屋に本社のあるC新聞社のI君と3人で内幸町のPCビル地下のRで同窓会を開いた時、「そんなこともあったんだよ。ごめんね」と彼女に伝えました。彼女は笑って許してくれました 彼女とはそれ以前から年賀状のやり取りで繋がっていましたが、彼女が結婚し、お子さんが生まれた時には絵本をたくさん送りました 今では遠い過去の思い出です

しかし、なぜ51歳の若さで亡くなったのか、と気になったので、あらためて今年届いた年賀状を見てみました。印刷された文章に添えて こう書かれていました

「実は・・・といいますか 3年前に大病を得てしまい、今は治療生活をおくっています。Sさん(私のこと)と また東京に来られたC新聞のIさんと会(同窓会)を開きたかったなあ~ どうかお元気で!」

年賀状の添え書きはしっかりした文字で書かれていたので、まさか彼女がそれほど深刻な状態にあるとは思ってもみませんでした 多分ガンだったのでしょう。こんなことなら一度、I君と連絡を取り合ってお見舞いに行けばよかったな、と思いましたが 今となっては手遅れです

51歳の死は若すぎます。さぞ無念だったことでしょう 2度目の同窓会が開けなくてごめんなさい。残された二人のお子さんはもう大人です。あとはご主人に任せて、どうか安らかにお休みください

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樹木希林のドキュメンタリー「神宮希林 わたしの神様」、樹木希林のナレーション「人生フルーツ」を観る ~ 心の豊かさとは何だろう? / 作曲当時のピアノの響きを追求 ~ 若手演奏家の動向

2018年11月06日 07時24分53秒 | 日記

6日(火)。わが家に来てから今日で1495日目を迎え、米国の多くの州で使われている投票機がサイバー攻撃に対して脆弱であることが明らかになった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      おいおい今日は議会の中間選挙の投開票日だぜ 接戦と言われてるのに大丈夫か?

     

娘が高校時代の仲良しグループで台湾旅行に行っているので、夕食作りはお休みします

 

         

 

昨日の朝日夕刊に「往年のピアノで広がる表現 ショパン、ラフマニノフ・・・作曲当時の響き  追求」という見出しの記事が載りました   記事を超訳すると

「18世紀初めに誕生し、豊かな音量と幅広い強弱を求めて進化してきた楽器、ピアノ コンサート会場の大規模化につれ、ダイナミックな表現ができる現代のピアノが主流になったが、最近は19世紀以降の曲などで、作曲年代に応じてピアノを使い分ける動きが、若手演奏者の中から出てきた   9月にポーランドで開かれた第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで2位を受賞したオランダ在住のピアニスト川口成彦は『ショパンの時代のピアノには、現代と異なる繊細さがある。独特な色や心模様を描ける』と語る 当時のピアノは鍵盤が浅くて軽く、現代のピアノに慣れた手にはコントロールが難しい 作曲当時の響きの再現を目指す『歴史的演奏法』は1970年代ごろから広がった。バッハ、モーツアルトを始め18世紀までの作品が中心だったが、近年では19世紀や20世紀前半の音楽も対象になりつつある ピアニストの長富彩は今月、ラフマニノフの曲を作曲家と同時代の1912年製ニューヨーク・スタインウェイで弾く演奏会を開いた 『乾いた音色が哀愁を帯びたラフマニノフにぴったり。こんな音が出るならこんな表現をしたい、という欲が増えた。音量の幅が少ない分、もっと(テンポの)揺れが必要だったのではないかなど、想像できる幸せを感じる』と語る

記事には書いてありませんが、ピリオド楽器=特定の時代(ピリオド)に使用された楽器=の中でも、特にピアノの場合は会場を選びます 音量が少なく音が小さいので大ホールでの演奏には向きません 演奏を満足できる音量で聴くためには、500人くらいまでの小ホールが望ましいと思われます

 

         

 

現在、池袋の新文芸坐では「追悼  樹木希林」特集を上映中です 昨日はそのうち「神宮希林  わたしの神様」と「人生フルーツ」の2本立てを観ました

 

     

 

「神宮希林  わたしの神様」は伏原健之監督による2014年公開映画(96分)です もともと東海テレビの番組として制作したものを映画化した作品です。2013年7月、70歳の女優・樹木希林さんが、20年に一度の式年遷宮を行う伊勢神宮や、ゆかりの場所を訪ねる旅を追ったドキュメンタリーです

 

     

 

映画は、旅に出る前、仕事から自宅に戻った希林さんがいきなりモップで床を掃除をするシーンから始まります 「いっつもこうなのよ」と言いながら、あちこちの部屋を掃除していきます。自分のスペースにも夫・内田裕也氏のスペースにも立派なバスルームがあるのですが、湯船があるのは希林さんの方だけ これについて、裕也氏から「なんで、お前のところに湯船があって、俺のには無いんだよ」と文句を言われ、「ロックは風呂には入らない。おかしいよロックが風呂に入ったら ロックはシャワーだよ」と答えると、裕也氏から「ロックだって風呂に入りたいんだよ」と反論されたというエピソードを披露していました。夫婦揃って飛んでます

そして、伊勢神宮への旅が始まります 遷宮を3カ月後に控えた伊勢神宮の様子、お伊勢さんを囲む神宮林のヒノキの苗木の様子などが紹介されていきますが、訪問先で出会った人々との会話やひと言がいかにも希林さんらしくユーモアにあふれています 参拝者が手を合わせて祈っているのを見て、希林さんも祈り始めるのですが、途中でやめて「いけない、私は祈ることを止めたのよ。キリがないんだから。お祈り 取り消します」と語ります。さらに「もう、形のある物は欲しいと思わないの」とも語ります。若い女性たちが祈りを捧げているのを見て「何をお祈りしたの?」と訊くと誰もが「内緒です」と答えます。すると「そうよねぇ 若い人は内緒よね~ だいたい想像がつきますけどね」と言ってニヤリとします

希林さんは「私は喧嘩が好きで・・・」と何度か語っていましたが、頑固な性格が現われたシーンがありました  あるお店を訪ねた時に、その家のお婆さんが希林さんに着物をプレゼントしたいと申し出たのですが、希林さんはキッパリと断っていました   お婆さんもかなりしつこく「もらってほしい」と懇願するのですが、希林さんは「こういう時は、ありがたく頂いといた方が 穏便に事が運ぶものかも知れない でも、もらったら、それを着なければ失礼になる。私は それ絶対に着ないから、もらうわけにはいかないのよ気持ちだけ頂いときます」と押し切ります。どちらも頑固だと思いますが、言葉通り、希林さんは形ある物はいらないのです

遷宮の儀が終わり、御霊が新正宮へ移されて、再び希林さんが訪ねるのですが、いつもは白い御幌が垂れ下がっていて内部が見えないのに、希林さんが正面に近づくと御幌が風で舞い上がり内部が見えるようになります 「神様に歓迎されているようで嬉しい」と語る希林さんの笑顔が印象的でした   そして今年9月15日、希林さんは神に歓迎され 天に召されました

 

     

 

新文芸坐で2本立てを観る時はいつも、入場してすぐにタイ風チャーハン(@400円)を予約しておきます 「ピリ辛風味」が売りものですが、これが本当に美味しいのですよ

 

     

 

         

 

「人生フルーツ」は伏原健之監督による2016年製作のドキュメンタリー映画(91分)です

名古屋近郊にある、自身が設計を任された高蔵寺ニュータウンの一角にある平屋で50年間暮らす90歳の津端修一さんと、300坪の敷地内の雑木林で育てた野菜や果物で得意の料理を手掛ける87歳の妻・英子さんが主人公です 子どもが独立し、夫婦二人だけでほぼ自給自足の生活を営んでいます

 

     

 

二人の日常生活を見ていると、お互いにリスペクトしながら生きていることが垣間見られます 多くの人がお二人に老後の夫婦の理想形を見ると思います 妻の英子さんは雑木林(大きな庭と言うべきか)で取れた野菜や果物を使って何でも作れるのですが、夫の修一さんは絵心があり、手先が器用でマメなところがあります 英子さんはバスや列車を乗り継いで街に買い物に出ますが、同じ店に40年以上も通い 肉や魚を買いつけます 英子さんは店の主人に食材について相談しながら買い物をしますが、「この人が言うなら、ということで買います。要は物ではなく人です」と語ります スーパーやコンビニが跋扈する現代では、こういう買い物ができる人は稀なのではないかと思います 一方、修一さんは、買い求めた食材で美味しい料理をいただくと、その店あてにイラスト入りの礼状(絵はがき)を出したりするのです はっきり言って、今 ここまでやる人はほとんどいないでしょう 人生の豊かさとは、いつも感謝の気持ちを忘れない、心の持ちようではないか、と思います

修一さんが死去した後・・・そうです、カメラは残酷にも修一さんの臨終に立ち会う英子さんの顔にも向けられます。無慈悲と思うけれど それがプロというものかも知れません 修一さんが死去した後、英子さんは語ります。「夫はいつも『何でも自分でやれることは自分でコツコツとやっていると何かが見えてくる』と言っていましたが、その通り、コツコツやっていると何かが見えるように思います」と

映画の中で、樹木希林さんのナレーションで何度か語られる次の言葉が 深く印象に残ります

     風が吹けば 枯葉が落ちる

     枯葉が落ちれば 土が肥える

     土が肥えれば 果実が実る

     こつこつ ゆっくり

     人生、フルーツ

何でもかんでもお金を出せば手に入る世の中ですが、自分で作れるものも安易に買って済ませていないか、何でも手っ取り早くやることだけを考えていないか、と自問してしまいました

私としては、このブログを 毎日コツコツゆっくりと 休むことなく書き続けていくことを 当面の課題にしようと思います いつかはきっと 何かが見えてくることがあるでしょう

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METライブビューイング2018‐19の第1作 ヴェルディ「アイーダ」を観る~最強の恋敵 アンナ・ネトレプコのアイーダとアニータ・ラチヴェリシュヴィリのアムネリス

2018年11月05日 07時16分42秒 | 日記

5日(月)。わが家に来てから今日で1494日目を迎え、来年10月の消費増税に備えた経済対策として、政府が購入金額に一定額を上乗せした「プレミアム商品券」の発行を検討している というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     それって結局バラマキだし 仕組みを複雑にしたら個人商店は対応できないと思う

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーで「METライブビューイング2018‐19」のシリーズ第1作、ヴェルディ「アイーダ」を観ました これは今年10月6日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です

オペラ「アイーダ」はジュゼッペ・ヴェルディ(1813‐1901)が58歳の円熟期に完成させたオペラです スエズ運河の開通を祝って建設されたカイロのオペラ座の記念行事の一環としてヴェルディに作曲の依頼がきたのです。最初ヴェルディは断ったのですが、再度の要請があり、その時に示された台本の草案に興味を惹かれて作曲を承諾したのです 1871年12月24日にカイロのオペラ座で初演され、大成功を収めました

キャストは、アイーダ=アンナ・ネトレプコ、アムネリス=アニータ・ラチヴェリシュヴィリ、ラダメス=アレクサンドルス・アントネンコ、アモナズロ=クイン・ケルシー、ラムフィス=ディミトリ・ベロセルスキー、エジプト王=ライアン・スピード・グリーンほか。演出=ソニヤ・フリゼル、管弦楽・合唱=メトロポリタン歌劇場管弦楽団・同合唱団、指揮=二コラ・ルイゾッティです

 

     

 

物語の舞台は古代エジプト。武将ラダメスは密かに女奴隷のアイーダと愛し合っていた しかし、王女アムネリスもラダメスを愛しており、アイーダが恋敵ではないかと疑う ラダメスはエチオピアと戦う軍の総司令官に任命される。アイーダは身分を隠しているが、実はエチオピアの王女である。アイーダは恋人が祖国を征伐に向かうのを悲痛な想いで見送る(以上 第1幕)

アムネリスはアイーダに罠を仕掛けてラダメスを愛していることを白状させ、対決姿勢を露わにする 場面が転換し、凱旋行進の場となる。戦いに勝利を収めたラダメスは、人々の歓喜に迎えられ凱旋する エチオピア人の捕虜の中にアイーダの父(王アモナズロ)がいる。ラダメスは王に捕虜たちの釈放を願い出て、アモナズロを除く奴隷たちを開放する(以上 第2幕)

ラダメスとアムネリスの婚礼が決まり、傷心のアイーダはナイル河のほとりでラダメスを待っている。そこに現れたアモナズロは、ラダメスからエジプト軍の機密を引き出すようアイーダに迫る ラダメスが現われ、アイーダに変わらぬ愛を誓い、軍の機密を口にする。その途端、アモナズロが現われて自分はエチオピアの王だと名乗り、ラダメスは驚く アムネリスらに見つかり、ラダメスは2人を逃がして捕えられる(以上 第3幕)

ラダメスに「生き埋めの刑」の審判が下る。彼の命を助けたいアムネリスはラダメスに赦しを請うよう説得するが、彼は死を選ぶ 地下牢に閉じ込められたラダメスは、牢に潜んでいたアイーダに出会う。2人は天国で結ばれることを願いながらこと切れる(以上 第4幕)

 

     

 

指揮者の二コラ・ルイゾッティがオーケストラ・ピットに入り前奏曲の演奏に入ります 彼は2009年から12年まで東京交響楽団の首席指揮者を務めていたので親しみを感じます 頭に白いものが目立ち、彼も歳を重ねたものだと思いました 映像から オケはヴァイオリン・セクションを左右に分ける対向配置をとっていることが分かります

第1幕第1場ではラダメスのアリア「清きアイーダ」が歌われますが、1975年ラトヴィア生まれのテノールのアントネンコはどうも本調子ではないように感じました   無理やり声を張り上げているような印象です。しかし、そこは「オテロ」などでも主役を張っている彼のこと、第2幕以降は調子を上げていきました

次いでアイーダの恋敵アムネリスの登場です 1984年ジョージア生まれのアニータ・ラチヴェリシュヴィリのメゾ・ソプラノは深みがあり、強靭です 何より彼女の存在感は抜群です。ヒロインのアイーダに負けていません

さて、そのアイーダを歌うのは1971年ロシア生まれのアンナ・ネトレプコです 彼女の声は分厚くまろやかでありながら合唱を突き抜けて客席に届きます 彼女こそルネ・フレミングの後を継ぐMETを代表するディーヴァと言えるでしょう 抜群の歌唱力で声自体に力があり、役に成り切っています

ところで、第1幕第2場の冒頭、舞台裏で巫女の長が「全能なる神よ」を歌いますが、これを歌っていたのはMET若手育成プログラム研修生のG.レイエスです 幕間のインタビューで姿を現していましたが、「チャンスを与えてもらって感謝している」と話していました。これからの活躍が楽しみなソプラノの卵です

「アイーダ」で楽しみなことの一つはバレエです とくに第2幕第2場の有名な「凱旋行進曲」の直後に踊られるバレエは、音楽に魅力があるので観ても聴いてもウキウキします

イギリス出身の女性演出家ソニア・フリゼルによる舞台作りは、絢爛豪華さにおいてはフランコ・ゼフィレッリの「アイーダ」に及ばないものの、スケールが大きく、舞台に組み込まれた7台の大きな昇降機を自在に使い、古代エジプトの神殿を現出させていました

今回のライブビューイングを観て気が付いたのは、上演中の舞台を真上のカメラから映し出すシーンが何度か観られたことです 前シーズンまでは幕間の舞台作り映像で紹介されたことはありましたが、本番の中では初めての試みではないかと思います とくにバレエのシーンは真上から見下ろすととても動きが綺麗で、カメラの本領を発揮していました

ところで、次回作「サムソンとデリラ」でサムソンを歌うロベルト・アラーニャが、幕間のインタビューで「モンセラート・カバリエさんがお亡くなりになりました。弔意を表したいと思います」と語っていましたが、先輩歌手へのリスペクトを忘れないところは若い歌手たちにも見習ってほしいところです

METライブビューイング「アイーダ」は休憩、歌手へのインタビューなどを含めて3時間45分の上映です 都内では新宿ピカデリー(8日まで=10時開始)、東劇(9日まで=10時半、14時半、18時半開始。10日~15日=18時半開始)ほかで上映中です

これだけのキャスト・舞台をライブで観たら数万円かかります ライブビューイングなら3,500円(3枚セットなら@3,100円)です 歌手の顔のアップもあり、舞台裏も覗けます これを高いと思うか、安いと思うか、あなた次第です

 

     

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ジョナサン・ノット✕ヒンリッヒ・アルパース✕東響でブラームス「ピアノ協奏曲第2番」、ラフマニノフ「交響曲第2番」を聴く / 東響名曲全集「チャイコフスキー三大ピアノ協奏曲」のチケットを取る

2018年11月04日 07時20分58秒 | 日記

4日(日)。わが家に来てから今日で1493日目を迎え、安倍晋三首相が2日の衆院予算委員会の答弁で、自らを「立法府の長」と言い間違える場面があった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                行政府の長が立法府の長と言うから 安倍一強意識が抜けないと言われるんじゃね?

 

         

 

来年2月3日(日)にカルッツかわさき(川崎市スポーツ・文化総合センター)で開かれる東京交響楽団の名曲全集「チャイコフスキー 三大ピアノ協奏曲!」のチケットを取りました チャイコフスキーのピアノ協奏曲は第1番は何度も聴いたことはありますが、第2番と第3番はまだ一度も聴いたことがありません 全3曲を演奏するコンサートは滅多にないので、今回は絶好のチャンスだと思います ソリストは奥井紫麻さん(第1番)、ミロスラフ・クルティシェフさん(第2番)、福原彰美さん(第3番)ですが、残念ながら一人も存じあげません でも 指揮者が秋山和慶さんなので その点は安心しています

ミューザ川崎シンフォニーホールが改修工事のため使えないので、会場がカルッツかわさきになったのですが、私にとっては初体験です JR川崎駅からはバスもあるようですが、徒歩で約15分とのことなので 健康のため歩こうと思います

 

     

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで東京交響楽団第665回定期演奏会を聴きました プログラムは①ブラームス「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調  作品83」、②ラフマニノフ「交響曲第2番ホ短調  作品27」です ①のピアノ独奏はヒンリッヒ・アルパース、指揮はジョナサン・ノットです

 

     

 

ジョナサン・ノットの人気か、それともプログラミングの良さか、いつもの東響定期公演より客の入りが良いようです ステージ上には10数本の収録マイクが林立しています 次年度の会員継続特典CDの収録かどうかは不明です

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります これを私はノット・シフトと呼んでいます。コンマスはグレヴ・二キティンです

1曲目はブラームス「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調  作品83」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833-1897)が1881年に作曲しました。それまでのピアノ協奏曲はブラームスの第1番を含めて3楽章形式が普通だったのに対し、この第2番は4楽章から成ります これはブラームスが「ピアノ付の交響曲」を意識していたことを物語っています 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アレグロ・アパッショナート」、第3楽章「アンダンテ」、第4楽章「アレグレット・グラツィオーソ」の4楽章から成ります

名前からしてドイツ人のヒンリッヒ・アルパースがピアノに向かい、ノットのタクトで第1楽章に入ります 冒頭のホルン独奏が崩れると曲全体が台無しになりますが、首席の上間善之は無難にクリアしました ノットは冒頭のラルゴの後は比較的速めのテンポで引き締まった演奏を展開します アルパースの演奏は肩の力が抜けてリラックスしているというか、ブラームスの曲にしては重さを感じさせません 極めて自然体で演奏しているように見えます これは第1楽章に限らず全楽章に通じて言えることです。ピアノとオケとの丁々発止のやり取りがみられる第2楽章こそシンフォニックな演奏と言えるでしょう 第3楽章は冒頭、首席チェロの伊藤文嗣が素晴らしい演奏を展開し、思わず聴き惚れてしまいました ベートーヴェンの緩徐楽章も良いけれど、この楽章を聴くとブラームスも良いなと思います 第4楽章はアルパースの軽快なピアノが会場に響き渡ります ノット✕東響のメンバーはしっかりとピアニストを盛り立てていました

盛大な拍手にアルパースは、ブラームス「3つの間奏曲  作品117-1」を自然体で演奏、聴衆のクールダウンを図りました この演奏を聴きながら、かつて紀尾井ホールで聴いたアファナシエフによる アルパースとは趣の異なる超スローテンポの演奏を思い出しました


     


プログラム後半はラフマニノフ「交響曲第2番ホ短調  作品27」です この曲はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が1906年10月から1908年1月にかけて作曲し、1908年2月8日にペテルブルクで作曲者自身の指揮で初演された作品です 広く知られているように、1897年(24歳の時)に発表した「交響曲第1番」が大失敗に終わり ラフマニノフは失意の中にあったのですが、その後、1900年末から1901年にかけて作曲した「ピアノ協奏曲第2番」が成功し、彼は自信を取り戻したのでした   その流れに乗って作曲したのがこの「交響曲第2番」でした 第1楽章「ラルゴ~アレグロ・モデラート」、第2楽章「アレグロ・モルト」、第3楽章「アダージョ」、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

ノットの流麗な指揮による東響の演奏を聴きながら、私は6~7年前の「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」でこの曲を演奏したドミトリー・リス指揮ウラル・フィルによる雄大な演奏を思い出していました 指揮台の上で”一人ボクシング”をしているような激しい身振りのドミトリー・リスと、彼のタクトから生まれるダイナミックな音楽に感動しました それまでCDではこの曲を聴いたことはあったのですが、特に印象が残るまでには至りませんでした リス✕ウラル・フィルの演奏こそ この曲の真価を認識させてくれた演奏でした

それに比べると、ノットの指揮はスマートで、すべてが冷静な計算に基づいて音楽が進められてるように見えます しかし、それでも、東京交響楽団の面々は音楽監督ジョナサン・ノットがタクトを取るときは、異常なくらいの集中力を見せ、素晴らしい演奏を展開します 第3楽章はロマンティシズムの極致をいく演奏で、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」は、聴いているこちらも身体が熱くなってくるのを感じるほど熱い演奏です

最後の音が鳴り終わると、いつもだと一瞬のしじまの後におもむろに拍手が起こるのですが、この時はほとんど間髪入れずに拍手とブラボーが飛び交いました これほどのブラボーを聴いたのは最近では思い出せないくらい、会場のそこかしこから大きな声でブラボーがかかっていました これでこそ、ステージにマイクを立てた甲斐があったというのもです   東京交響楽団のしたたかさを感じさせるコンサートでもありました

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読売日響2019-2010シーズン「名曲シリーズ」の年間会員券を取る / パーヴォ・ヤルヴィのリーダー論 ~ 日経の記事から / 米澤穂信著「王とサーカス」を読む

2018年11月03日 07時20分41秒 | 日記

3日(土・祝)。昨日のブログで、「NTT東日本N響コンサート」のプログラム冊子に記載された第167回公演の指揮者が「高岡健」と表記されていたことについて、手元にある当日配布のアンケート用紙に「その他、お気づきの点があれば、ご記入ください」とあったので、「高岡健ではなく高関健の間違いである」旨を記入し、NTT東日本N響コンサート事務局(fax03‐5790-0308)あてコンビニからfax送信しておきました こちらの E-mail アドレスを記入しておいたので、返信があればこのブログでご報告します

ということで、わが家に来てから今日で1492日目を迎え、朝食を抜くと 肝臓での脂質代謝や体温に関する体内時計が乱れ エネルギーの消費が減って太ることを、名古屋大の小田裕昭准教授らの研究チームが解明し、31日付の米科学誌に発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                 朝食抜きで太るなら1日4回食べて太った方が精神的にはいいような気がするなぁ 

 

  昨日は娘も私も外食だったので 夕食作りはお休みしました  

 

         

 

昨日は読響2019‐2020シーズンの年間会員券先行発売日だったので、読響チケットWEBを通じて取りました 現在、私は「定期演奏会」のS会員ですが、次シーズンは「名曲シリーズ」のA会員に変更しました とは言え、1階センター後方のS席の一列後ろの席で通路側なので同じA席でも条件は良い方だと思います これで読響は確定したので、さっそく来年の手帳に日程を記入しておきました 予定が確定した時点で記入しておかないと、後で他のコンサートのチケットを買う時にダブってしまう恐れがあるからです

 

     

 

         

 

1日の日経夕刊「ニュースぷらす」面の「私のリーダー論」でN響首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが取り上げられていました ヤルヴィは現在N響のほか、ドイツ・カンマ―フィル芸術監督などを兼任しており、2019‐20シーズンからチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任予定です インタビューを超訳すると次の通りです

「N響はずばらしいオーケストラで大変満足している。シカゴ交響楽団やロンドン交響楽団と比べても決して引けをとらない 地理的に欧米から遠いので知名度や認知度が高くないのが残念だ 知名度を上げるために海外ツアーなどのプロモーション活動を強化することも首席指揮者の重要な任務だ。指揮者と企業経営者はよく似ている 例えば、製薬会社のCEOは、必ずしも薬の作り方を知っているわけではないが、会社の経営はできる。人を雇い、組織を管理し、長期戦略を立て、どうすれば組織を成長させられるか、知名度を上げることが出来るかという課題に取り組み、成果を上げる。それがCEOの仕事だ 指揮者も同じで、すべての楽器を演奏できるわけではないが、オーケストラを束ねることは出来る 指揮者の仕事は、単にタクトを振るだけではない。その楽団の成長戦略を練り、採用オーディションに立ち会い、自らメディアに出るなど先頭に立って組織を売り込むこともする。総勢100人規模になるオーケストラの奏者は、みな選ばれし者だけに個性の強い人たちばかりで、一流の音楽学校を出ているので 技術には自信を持っていてプロ意識も高い   音楽に関しては頑固な面もある。そんな奏者たちと良好な関係を築きながら一緒に仕事をしていく能力がないと、良い指揮者にはなれない オーケストラのメンバーとの人間関係をどう築くかは、音楽学校では教えてくれない。自分もそうだったが、日々の仕事の中で 失敗を積み重ね、試行錯誤しながら 身に着けていくしかない。師事したバーンスタインから学んだのは、技術的なことのほか、個々のモチベーションを高めることで全体のパフォーマンスを上げることだ  指揮者の中には、リハーサルがうまくいかないと大声で怒鳴り散らす人もいる。それでは奏者のモチベーションは上がらないし、演奏にも響く   かつては権力を振りかざして言うことを聞かせようとする指揮者も大勢いたが、今は時代が違う。バーンスタインのように、奏者を褒めてモチベーションを上げた後で、厳しく注文を出すのが優れたリーダーの条件だと思う

エストニア生まれのパーヴォ・ヤルヴィは現在55歳。まだまだこれから 世界のコンサートホールを股にかけての活躍が期待されるマエストロです

 

         

 

米澤穂信著「王とサーカス」(創元推理文庫)を読み終わりました 米澤穂信は1978年岐阜県生まれ。2001年に「氷菓」で第5回角川学園小説大賞奨励賞を受賞してデビュー。14年に「満願」で第27回山本周五郎賞を受賞しています

 

     

 

この小説の主人公は、2004年発表の「さよなら妖精」で女子高生として初登場し、2015年発表の「真実の10メートル手前」で新聞記者になって登場した大刀洗万智(たちあらい まち)です

「さよなら妖精」の物語から約10年後の2001年6月、東洋新聞を辞めフリーになった28歳の大刀洗万智は、雑誌「月刊深層」のアジア旅行特集の事前取材のため、単身ネパールの首都カトマンズに赴く 「トーキョーロッジ」という名のホテルに滞在する万智は、機転のきく少年サガル、アメリカ人の大学生ロブ、インド人の商人シュクマル、長期滞在し”破戒僧”と自認する八津田らと知り合う 万智はサガルをガイド役にカトマンズを取材しようとしていた矢先、王宮で国王暗殺事件が勃発する 大刀洗は早速取材を開始するが、トーキョーロッジの女主人チャメリの紹介で事件当夜、王宮にいたネパール国軍のラジュスワル准尉と面会することになる しかし、ラジュスワルは『国王が殺されたことは軍の恥だから、それを世界に向けて発信するような手伝いは出来ない。ジャーナリストは読者に飽きられる前に次の悲劇を供給しているだけで、サーカスの座長のような万智の書くものなどサーカスの出し物に過ぎない』として取材を断る 後日、取材から帰る途中、ビルの合い間にある空地に死体があるのを発見する。その背中には”密告者”という意味も持つ「INFORMER」の文字が刻まれていた。その死体はラジュスワル准将だった 彼はなぜ誰に殺されたのか    万智は深まる謎の解明に挑むが、意外な結末が待っていた

この物語は2001年6月1日に実際に起きたネパール国王らの暗殺事件を題材にしています   ナラヤンヒティ王宮で開かれた王族の晩餐会で、ディペンドラ皇太子が、国民の人気も高い父のビレンドラ国王、母のアイシュワリャ王妃らを射殺し、自殺したという事件です

国王暗殺事件当夜、王宮にいた准尉を取材したものの、その本人が暗殺されるという設定から、「王宮を巻き込んだ大事件に発展するのか」と浮足立ちますが、実はもっと身近に殺人犯がいて、死体を動かす別の人間もいたという結末で落ち着きます そこに至るまで、読者を引っ張っていく筆力は並外れています 「このミステリーがすごい!」(2016年版)などで3冠を達成したというのも頷けます 読み始めたら止まらない面白さです。お薦めします

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高関健 ✕ パスカル・ロジェ ✕ N響でサン・サーンス「ピアノ協奏曲第2番」、ラヴェル「ボレロ」「スペイン狂詩曲」「道化師の朝の歌」他を聴く ~ 第175回NTT東日本 N響コンサート

2018年11月02日 01時30分25秒 | 日記

2日(金)。わが家に来てから今日で1491日目を迎え、22年ぶりの新作でシリーズ第50作となる「男はつらいよ50  おかえり、寅さん」(仮題)の撮影を開始した山田洋次監督らは、過去作に登場した後藤久美子さんや浅丘ルリ子さんらが出演することを発表した というニュースを見て芸能記者と後藤久美子さんの会話を再現するモコタロです

 

     

      芸能記者:後藤さんは山田組でしたね 後藤久美子:正確にはゴクミですけど

    

         

 

昨日の夕食は初おでんにしました 日本酒も初燗酒です 気分よく食べたいので紀文のおでんにしました。何の工夫のない駄洒落を反省しています その昔、コンビニのコマーシャルにありましたね。「お電話待ってます」に掛けた「おでんは待ってます」という名コピーが わたし的には座布団3枚あげても良いくらいでした

 

     

 

         

 

昨夕、東京オペラシティコンサートホールで「第175回NTT東日本  N響コンサート」を聴きました プログラムは①デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」、②ラヴェル「道化師の朝の歌」、③同「スペイン狂詩曲」、④サン・サーンス「ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22」、⑤ラヴェル「ボレロ」です ④のピアノ独奏はパルカル・ロジェ、指揮は高関健です

 

     

 

自席は2階2列7番、左ブロック右から2つ目です 会場は9割以上入っているでしょうか スポンサーの冠公演なのでS席で5,000円と格安だからでしょう 普段からこれくらいの料金設定だったら、いつも満席状態だと思うんだけど、考えが甘いかなあ

指揮者が高関健ということで、オケはヴァイオリン・セクションを左右に分ける対向配置をとるかと思っていたら、左サイドにヴァイオリンセクションを集め、右サイドにチェロ、ヴィオラ、コントラバスを集めています これは極めて珍しいことではないかと思います コンマスはマロこと篠崎史紀氏。ヴィオラの首席の位置には首席客員の川本嘉子さんがスタンバイしています

1曲目はデュカス:交響詩「魔法使いの弟子」です この曲はポール・デュカス(1865-1935)が1897年に完成した 彼の代名詞的な作品です この曲はディズニーのアニメ映画「ファンタジア」で使われていて、子どもたちが小さい頃にレーザーディスクでよく観ていました 物語は「見習いの魔法使いの弟子(ミッキーマウス)が、師匠の留守に見よう見まねの魔法を使い ほうきに水汲みの仕事をさせてみたものの、魔法を止める呪文が分からず水が止まらなくなり、家中水浸しになってしまい焦っていると、師匠の魔法使いが戻ってきて呪文を唱えると水は止まる 弟子は師匠から激しく叱られて終わる」というものです

目を閉じて音楽を聴いていると、ミッキーマウスが箒に水汲みを命令するシーン、水が溢れるシーン、魔法使いに叱られるシーンなどが浮かんできました これほど見事に音楽を映像化した作品もないだろうと思います 演奏ではファゴットのアンサンブルが楽しく聴けました

2曲目はラヴェル「道化師の朝の歌」です この曲はモーリス・ラヴェル(1875-1937)が1905年に作曲したピアノ曲集「鏡」(全5曲)の第4曲が原曲となっており、1921年にオーケストラ版に編曲されました 弦のピッツィカートから入りますが、後に続く管弦楽はスペイン情緒豊かな曲想で、7人の打楽器奏者を含めて色彩感豊かな演奏を繰り広げます この曲ではファゴットのソロが冴えていました

3曲目はラヴェル「スペイン狂詩曲」です この曲は1907年に作曲されました。第1曲「夜への前奏曲」、第2曲「マラゲーニャ」、第3曲「ハバネラ」、第4曲「祭り」の4曲から成ります 1曲目の「夜への前奏曲」はミステリアスな雰囲気の音楽が印象的です 「マラゲーニャ」と「祭り」ではコーラングレの池田昭子さんの演奏が冴え渡っていました 全体的に高関健✕N響はスペイン情緒溢れるダイナミックな演奏を展開しました

 

     


休憩後の最初はサン・サーンス「ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22」です この曲はカミーユ・サン=サーンス(1835‐1921)が、1868年にロシアのピアニスト、アントン・ルビンシテインの依頼により短期間(17日間というエピソードがある)で完成した作品です 第1楽章「アンダンテ・ソステヌート」、第2楽章「アレグロ・スケルツァンド」、第3楽章「プレスト」の3楽章から成ります

背の高いパスカル・ロジェと背の低い高関健が登場し配置に着きます 第1楽章冒頭はピアノのソロから入ります。最初からかなり高度な技巧を要する曲のようです 独奏が終わると高関健のタクトのもと渾身の一撃が加えられます。こういうところはサン・サーンスはいいなぁと思います 第2楽章は軽快な音楽が展開します 第3楽章は高速演奏によるタランテラ(イタリアの舞曲)です この楽章でピアノの技巧は極致に達します。初演はサン・サーンス自身のピアノで演奏したそうですが、サン・サーンスも相当の技巧派だったことが想像できます パスカル・ロジェの演奏は終始鮮やかでした 高関✕N響はぴったりつけていました

演奏後、ソリストに花束が贈呈されましたが、パスカル・ロジェと同じくらい背の高い男性からでした 女性からの方が良かったのではないか、と思いましたが、いろいろあるんだろうなと思って詮索は止めました 鳴りやまない拍手に応え、エリック・サティの「グノシエンヌ第5番」をガラス細工のように繊細に弾き、聴衆のクールダウンを図りました 演奏後オケのメンバーを見渡すと、ヴィオラ首席の川本さんがハンケチで目頭を押さえていました あんた泣いてんのね(それとも 汗が目に入った?)。まあ、しみじみと良い演奏でした

プログラム最後はラヴェル「ボレロ」です この曲は1928年に完成したバレエ音楽です。曲の冒頭から最後まで、小太鼓がボレロのリズムを打ち鳴らし、2つのテーマが楽器を替えて反復され、最弱音から徐々に大きくなり最後に最強音に達し、どんでん返しで曲を閉じるという大管弦楽曲です フルートからクラリネット、そしてファゴットへと楽器が受け継がれていきますが、オーボエとホルンは本調子ではなかったようです そうは言うもののリレーはバトンを次の走者(奏者)に受け継がなければなりません ソロを担当する奏者は相当緊張するんだろうな、と想像します。そうしたことを乗り越えて、高関✕N響メンバーは色彩感に満ちたダイナミックな演奏を展開、会場の温度を2度上昇させました

ところで、プログラム冊子はそれなりに立派なのですが、2つの点で問題があります 1つ目は「プログラム・ノート」の筆者名が未記載のため誰が書いたのか不明であることです 2つ目は、4ページにわたり第1回(1985年4月10日)から第174回(2017年11月1日)までの「NTT東日本N響コンサート」の全公演が紹介されているのですが、たまたま今回の第175回と同じ指揮者とソリストが出演した第167回(2010年11月29日)の指揮者名が高岡健になっています これは明らかに高関健の間違いです。ネットで検索して確認しましたが、第167回の時は高関健✕パスカル・ロジェによりラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」「ボレロ」他が演奏されました

 

     

 

NTT東日本による長年にわたるコンサートを通じての社会貢献(企業メセナ)は高く評価されるべきものと思いますが、上記のミスプリは高関健氏に対し大変失礼なことだと思うので、この件については何らかの形でNTT東日本に伝え、訂正していただこうと思っています

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哲学者ケーベルとメンデルスゾーン / METライブ2018-19「ムビチケ」3枚セットを買う / 「ハッピーMOKU5アワー」のチケットを取る / 村田沙耶香著「コンビニ人間」を読む

2018年11月01日 07時23分34秒 | 日記

11月1日(木)。油断していたわけではないのですが 今日から11月です。今年も残すところあと61日となりました  

イタリアでは暴風雨などの悪天候が襲い、運河に囲まれる北部ベネチアは 街が冠水し、観光名所のサンマルコ広場は閉鎖されたといいます ベニスは「水の都」から「水浸しの都」になってしまいました イタリアに限らず世界中が異常気象に見舞われていますが、世界にとってアメリカのトランプ政権は予測不能の天変地異そのものです

ということで、わが家に来てから今日で1490日目を迎え、31日午後6時10分頃 渋谷区宇田川町の渋谷センター街付近の地上6階建てビルで火災が発生した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

         ハロウィーンで浮かれすぎて他人の迷惑を顧みない人たちへの警告じゃねーの?

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラの卵とじ」と「湯豆腐」を作りました 「豚バラ~」は杵島直美先生のレシピです。初めてにしては美味しく出来ました

 

     

 

         

 

音楽学者の瀧井敬子さんが日経夕刊に連載してきた「文豪が聴いたクラシック」の第5回(最終回)が昨日の紙面に載りました それによると

「ロシア生まれのラファエル・グスターヴォヴィッチ・ケーベルは哲学者にしてピアニストだった 来日して東京帝国大学で教鞭を執ったが、最初の美学の講義を夏目漱石が受講している ケーベルはメンデルスゾーンが好きで、ベートーヴェン以後の大作曲家のうちで『最も明晰にして、その意図がよくわかる作曲家だ』と評価していた そしてメンデルスゾーンの最も美しい器楽曲の一つとして『ピアノ協奏曲第1番』を挙げている この曲はメンデルスゾーン22歳の作品で、1831年10月17日、バイエルン国王隣席のもと、ミュンヘンで開かれた慈善演奏会で作曲者自身のピアノ独奏で初演された ケーベルは東京帝大との兼任で1898年5月から東京音楽学校(現・東京藝大)で11年間ピアノを教えた ケーベルは1905年に独奏者としてメンデルスゾーンの『ピアノ協奏曲第1番』を日本初演した

この記事を読んで、「明治時代に ブラームスよりもメンデルスゾーンを高く評価していた人がいたのだ」と驚きました ケーベル博士が評価のポイントとして挙げている「明晰さ」こそメンデルスゾーンの魅力そのものです

 

         

 

来年1月29日(火)午後7時から紀尾井ホールで開かれる紀尾井ホール室内管弦楽団によるアンサンブル公演「ハッピーMOKU5アワー」のチケットを取りました どうやら「ハッピーアワー」と「木管五重奏」を合成した公演名のようです プログラムは①ヨハン・シュトラウス:喜歌劇「こうもり」序曲、②ロッシーニ「木管四重奏曲第1番」、③モーツアルト:歌劇「魔笛」から2曲、④ビゼー「カルメン組曲」、⑤ルーセル「ディヴェルティスマン」、⑥ミヨー「ルネ王の暖炉」、⑦ラヴェル「マ・メール・ロワ」です 

演奏はオーボエ=池田昭子(N響)、フルート=難波薫(日フィル)、クラリネット=勝山大輔(都響)、ファゴット=岩佐雅美(読響)、ホルン=日橋辰朗(同)、ピアノ=鈴木慎崇(洗足学園音大非常勤講師)です

 

     

 

         

 

待望の「METライブビューイング2018-19」が11月2日から始まります 今期は来年6月までの間に全10公演が上映されます

 

     

 

チケット代は@3,600円(学生@2,500円)ですが、特別鑑賞ムビチケカード3枚セットは9,300円と格安です 最低9公演は観る予定なので、迷うことなく3枚セットを取りあえず1セット購入しました

 

     

 

今期第1作はヴェルディ「アイーダ」です ヒロインのアイーダを 今やMETを代表するソプラノ歌手 アンナ・ネトレプコが歌います。全10公演の中でも必聴の公演です

 

     

     

     

 

         

 

村田沙耶香著「コンビニ人間」(文春文庫)を読み終わりました 村田沙耶香さんは1979年千葉県生まれ。玉川大学文学部卒。2003年「授乳」で第46回群像新人文学賞優秀作受賞。2016年「コンビニ人間」で第155回芥川賞を受賞しています

 

     

 

この小説の主人公はコンビニのアルバイト歴18年の古倉恵子36歳 郊外の住宅地で生まれ普通に育ったが、幼い頃から奇妙がられていた 公園で死んだ小鳥を見つけた時、他の子供たちは泣いていたのに、自分は母親に「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」と言った。母親は絶句した。変わった子どもと思われ、友だちから避けられるようになった それ以来、皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらにしても、自ら動くのは一切やめた そんな恵子は新しくオープンするコンビニにアルバイトで働くようになった。今や日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、コンビニで働いている時だけが世界の歯車になっているように感じるコンビニ人間になっていた そんなある日、婚活目的で新入りの男性・白羽がやってきた。立派な夢は語るくせに仕事はサボり、廃棄食品をこっそり食いし、遅刻常習犯の彼は 間もなく店長からクビを言い渡される ある日、コンビニ近くで店の常連客の女性をストーカーのように狙っている白羽を発見した恵子は、行くところがない白羽を家に連れて帰ることになる それから二人の不思議な”同棲生活”が始まる。そのことが店長や他の店員に知れ渡り、居ずらくなった恵子はコンビニを辞めてしまう 求職のため面接に行く途中でコンビニに立ち寄った時、恵子は「コンビニの声」を聞く。結局、自分はコンビニの店員が一番性に合っていると自覚する

この小説は、村田さん自身のコンビニ店員の経験に裏打ちされているので、コンビニでの”日常生活”が説得力をもって描かれています   まさに等身大の彼女を描いているようです

しかし、この恵子という主人公はやっぱりおかしい 一緒に暮らすことになった白羽に、茹でただけの大根、もやし、じゃがいもを”エサ”だと言って与えます 恵子自身も食材に火を通して食べるが塩分が欲しくなれば醤油をかける、と言います。はっきり言って、これは料理ではありません

この本を読むと、「どこにもいるよな、ろくに能力もないくせに 自分を実力を認めないのは会社や世間が悪いのだとほざいている白羽みたいな救いようのないヤツが」と思います グダグダ言ってる暇があったら自分の実力を認めさせるような結果を出してみろよ と言いたくなります

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