対話による人類共生の道

2016年09月16日 10時39分34秒 | 社会・文化・政治・経済
★「人間尊厳」こそ、世界が抱える課題の中で最も重要である。
★民衆の力を与え、社会から悲惨を取り除く。
★普遍的な人類的価値が求められている。
★シリアの内戦で30万人死亡。
世界の悲惨な現実から目を背けることはできない。
★難民や避難を余儀なくされた人々は過去最高の6530万人。
★戦争を起こすのは、人間である。
平和な世界を創造できるか否かも、人間自身の手の中にある。
★対話による人類共生の道を求めたい。

社会貢献の生活が不可欠

2016年09月16日 10時20分21秒 | 社会・文化・政治・経済
★「何もせず暮らすのは一つの罪悪である」
渋沢栄一
★自ら行動を起こそうとしない態度は、社会への忘恩に通じる。
つまり責任、義務を果たしていないのだ。
★政治が嫌いという人がいる。
政治が嫌いとは生活が嫌いと言っているようなもの。
★事なかれ主義の生活で満足することは自分中心で、実は自分の生活が、いかに経済社会の活動で支えられているか、という視点がかけている―渋澤健さん
★人間は一人では生きられない。
社会に対して恩を感じ、恩に報いることは、単なる道徳ではなく、人間の実存、生の本質と深く関わっている。
★自分はいかに多くの人に支えされて生きているのかに感謝し、報いたい。
★結果的には、善いことをしないことは、悪いことをしたと同じ。
イジメ傍観も同じ。
★社会貢献の生活が不可欠。

落とし穴

2016年09月16日 08時41分15秒 | 創作欄
愛の道にも落とし穴
気がつけば あれが始まり
波長が合うと 甘いささやき
ダンスに酔えば時も忘れる

歌の道にも落とし穴
気がつけば あれが始まり
素敵な声と 甘いささやき
カクテル酔えば時も忘れる

旅の出会いも落とし穴
気がつけば あれが始まり
温泉好きと 吊り橋渡る
旅情に酔えば時も忘れる

創作欄 29歳の徹は酒場へ足を向ける

2016年09月16日 03時23分55秒 | 創作欄
2012年1 月21日 (土曜日)
創作欄 29歳の徹は酒場へ足を向ける
韓国料理の店で酒を飲む。
徹は、いつものとおり招待された。
若い人たちの中で、話を聞きながら雰囲気を楽しむ。
そして昔の職場を思い出した。
あの頃は何かと酒の席が多かった。
月に2、3回は社員全員で酒を飲んでいた。
段々と記憶が遠くなるが、鮮明に覚えていることもある。
それは、ほんの同僚の一言であったりする。
思えば些細なことであるが、棘のように胸に刺さっていたことも。
東京・神田の駅界隈で、酒を飲んでいたのは10年間くらいで、その後は、水道橋が多くなる。
何故、神田から離れたのか、と記憶を辿ってみた。
「昨夜、友だちとあの店に行ったら、1万円だったの」
同僚の峰子さんが怪訝な顔で言う。
「1万円ですか? 私のボトルを飲んだのでしょ?」
「そうなの」
徹は直観した。
「2度と来ないでね」と言う意思表示をママの綾さんがしたのだと。
徹は峰子さんをその晩、寿司屋に誘った。
「あのママさん、徹さんに惚れているのね」
「そうかな?」
「女の直観よ」
徹は6月になれば30歳になろうとしていた。
「29歳にもなって、結婚をしていないのは、お前だけだよ!」
母親から言われていた。
確かに、近所に住んでいる中学の同級生で未婚なのは、徹だけであった。
徹は8度も見合いをしていたが、結婚には至らない。
「会社には相手は居ないのかい」と母親が言うが、同僚の彼女たちには既に交際相手がいた。
先輩で社内結婚をした人たちが3組。
徹が良いなと思った新入社員の女性も、既に結婚相手が決まっていたり、同僚の誰かが逸早く手を出したりしていた。
徹は面白くない気分を抱いて酒場へ足を向ける。

創作欄  「小説・日本歯科医師会」を構想

2016年09月16日 02時53分10秒 | 医科・歯科・介護
なぜ「東京大学」と「京都大学」に歯学部ができなかったのか?

2012年1 月12日 (木曜日)
創作欄  「小説・日本歯科医師会」を構想
徹はある時期、機会があれば「小説・日本歯科医師会」を書こうとしていた。
そのために、歯科界の専門紙・誌の先輩記者と交流を図ってきた。
つまり、小説を書くためのネタ探し、取材目的であった。
元同僚の大森卓が、「小説・日本医師会」を書いたことが刺激となっていた。
大森卓は「医療新聞」の元編集長であった。
医療新聞は徹が勤めていた「病院新聞」のライバル新聞であったが、期待に反して呆気なく倒産した。
倒産の原因は、大森卓からおおよそ聞いていた。
その経緯を踏まえ、医療界、厚生行政、そして歯科界の問題などの推移が、「小説・日本歯科医師会」のドラマに繋がると思われていたのだが・・・
徹は日本歯科医師会の図書館で過ごすことが増えていた。
昭和30年代、40年代の「日歯広報」や先輩記者たちの専門紙・誌に目を通して、「小説・日本歯科医師会」のネタ探しをした。
そして、取材活動も初めていた。
だが、亡くなった歴史上の人物たちに迫る過程で、「つまらない。小説にする価値があるのだろうか?」と迷いも出てきた。
いわゆる村社会でもあったのだ。
医科と歯科との対比の問題は、結局、ボタンの掛け違いのように思われた。
なぜ「東京大学」と「京都大学」に歯学部ができなかったのか?
徹は昭和50年代初頭に問題を投げかけた。
それが小説日本歯科医師会のモチーフでもあった。

創作欄 2人とも、30代なのにがんで逝く

2016年09月16日 02時46分57秒 | 創作欄
2012年1 月12日 (木曜日)

「日本医学協会は存在することに意義がある」
日本医学協会の立場について、吉田富三会長が述べた後、同協会の副会長で武蔵野日赤病院院長の神崎三益さんは、「私が吉田先生の過去の足跡に大きな傷を付けてしまったのです」と謝罪した。
話は徹が医療界に入る以前のことであった。
女医の京子は、徹に身を寄せながら、「吉田先生に何があったの?」と声を落として聞く。
「よく解りません」と徹は、京子の顔を見ないで檀上に目を注いでいた。
徹は後で、日本私立病院協会の近藤六郎会長に経緯を聞いてみた。
医療界のドンであった日本医師会の武見太郎会長に対して、当時の日医常任理事で中央社会保険医療協議会の委員であった神崎さんは、盾を突いたのだ。
昭和39年(1964) 日本医師会会長選挙に 「医師の本来あるべき姿、理想を示す」 として 出馬した。
昭和36年9月に日本医師会 の一斉スト宣言があった。
そして日赤を中心とした病院ストなどがあり、医療界そのものが大きく 揺れ動いていた。
吉田富三さんを担ぎ出したのは神崎さんであった。
日本医師会会長選挙は、下馬評どおり武見太郎さんが再選されるだろうと誰しも思っていた。
だが、予想をはるかに覆して吉田さんは大差で敗れた。
選挙の結果は武見太郎157票,吉田富三21 票という圧倒的大差で武見太郎が日本医師会長に再選されたのだ。
「徹ちゃん、吉田富三さんは、私が思っていた人と違っていたの」
京子はお茶の水の駅に近い音楽喫茶の席に座った時に、唐突な感じで言った。
それは、どのようなことであったのか?
徹は確かめることをしなかった。
徹が崇拝している吉田富三さんが、他人の目にどのように映ろうが関係のないことと思われたからだ。
「これから、どうするの?」
京子は煙草のピースをバックから取り出しながら徹を見詰めた。
徹はその時、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けていた。
聞いていると、ヴァイオリンの音色は眠り誘われような心地よい響きであった。
実は金曜日に中央社会保険医療協議会の徹夜審議が行われた。
「日曜日に夜勤なんて、因果な仕事ね」
京子は眉をひそめた。
結局、その日は銀座で食事をして、虎ノ門病院へ向かう京子と銀座線の中で別れた。
当時、徹は酒を控えていた。
「酒を飲んでいる徹ちゃんには、会いたくないの」
「なぜ?」
「何だか図太い感じがして、普段の徹ちゃんの感じでないから」
徹は言われると苦笑するほかなかった。
結局、新宿で降りて歌声喫茶 「山小屋」へ顔を出した。
大学時代の後輩の大崎みどりが働いていた。
徹はみどりと半年であったが、吉祥寺の神田川に面していたアパートで同棲していた。
後年、「神田川」の曲が流れると徹はみどりのことを思い出した。
そして、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲を聞くと女医の京子を思い出した。
2人とも、30代なのにがんで逝く。
京子は肺がん1人娘を遺して、みどりは乳がん男の子を遺して。

創作 「赤い靴をはいた少女」

2016年09月16日 02時40分40秒 | 創作欄
2012年1 月 9日 (月曜日)

「酒でも、飲もうか?」
徹は振り返って淑江に声をかけた。
コンサートの余韻が残っていて、会場を出てくる人たちの顔はいずれも上気しているように見えた。
「横浜に来たのだから、中華料理ね」
淑江は県民ホールの階段を下りながら徹に同意を求めた。
「そうだね」と言ったものの、徹は野毛山の居酒屋を頭に浮かべていた。
中華料理は好きな方であるが、2人でのフルコースは量的に重い感じがしていた。
できれば、4、5人で店に来て、色々な料理を注文してテーブルを回しながら味わうのが中華料理の醍醐味と思っていた。
創業40周年記念 1人前コース1860円。
ある店の看板を目にして徹は足をとめた。
「安いな。この店はどうかな?」
背後を振り返った。
淑江は微笑みを浮かべて頷いた。
水色の小旗を掲げた中年の女性に引率されて、20人ほどの観光客と思われる人たちが道の向かい側の大きな中華料理店に入るところであった。
「何処の国の人たちかしら?」
淑江は笑顔で肩車に乗った金髪の幼女を見つめた。
幼女は赤靴をブラブラさせながら、首を曲げて淑江へ笑顔を投げかけた。
「可愛い!」
子ども好きな淑江は歓喜したように言った。
「可愛い子だね」と応じて、徹は「赤い靴をはいた女の子」のメロディーを思い浮かべた。
そのメロディーは淡い哀愁を伴って、徹の胸に秘められていた。
1人っ子として育った徹は初めて幼稚園で、イジメを経験した。
徹の母親は高校の教師で昼間家に居ない。
祖母、祖父とも孫に甘いので、徹がねだれば何でも買ってもらえた。
温室育ちのような徹は、幼稚園で我がままが通じないことを知った。
そして意地悪も経験した。
同じ年であったが、徹より大きな体を少女はしていて、徹がイジメにあうと「いじわるはダメ」とかばってくれた。
奈菜子は何時も赤い靴を履いていた。
2人の兄と弟の間に育った奈菜子は確りした性格だった。
「徹ちゃんは女の子みたい」
徹は奈菜子から言われても悪い気持にはならなかった。
女の子みたいだから、女の子には仲良くしてもらえると徹は思ったのだ。
思えばあれは、徹にとって初恋のようなものであっただろうか?