2014年3 月 9日 (日曜日)
創作欄 真田の人生
「何とかできなかったのか?」と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。真田は木村哲夫に手紙を書いた。
思えば、真田はほとんど手紙を書かない。
心は目には見えないが、真田の心を木村に届けるために手紙を書いた。
「木村哲夫様 ここ数日、見せてもらった遺書について考えてみました。
現在、哲さんはうつ状態にありますね。
うつ病は心の風邪とも言われ、誰でも罹るものです。
ですから、それに押しつぶされて死を選ぶのは、できれば避けてほしいですね。
生きてさえいれば、人生はどうにでもなると思うのです。
南の戦場で九死に一生を得た私は、死んだ戦友のためにも、また、東京大空襲で亡くなった妻子のためにも、生き続けたいと今日まで生きてきました。
つまり、儲けものような生をありがたく思って生きてきました。
自殺は自分だけの問題ではありません。
『何とかできなかったのか?』と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。
哲さん何時でも相談に乗ります。
朝の散歩では八坂神社で哲さんのことを祈っています。
真田」
手紙を出してから、数日後、真田は木村を八坂神社の祭に誘った。
真田は加賀友禅の浴衣姿であった。
「俺も浴衣を着るか」と木村は笑顔で言い、部屋へ戻った。
玄関へ出てきた木村は頭に白地に藍染めの手ぬぐいを巻いて板前時代のように、粋な雰囲気であった。
http://www.toride-kankou.net/etc/event3
投稿情報: 07:46 カテゴリー: 創作欄 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
2014年3 月 7日 (金曜日)
創作欄 真田の人生
未練である。
死ぬことを決意した木村哲夫は、自分を裏切った妻初子に会いたくなったのである。
家計の足しにと夜の勤めに出た家庭の主婦が、ヤクザ者に誑(たぶらか)されるのは容易なことである。
家庭の主婦は言わば無防備であり、世間知らずであり、野獣にとっては飛び込んできたウサギのような餌食と同然である。
「店を終わったら、ラーメンでも食べにいくかい?」と客の1人に誘われた。
優しそうな男であった。
何時も控え目にカウンターの片隅で飲んでいた。
「そうね。美味しい店知っているの?」
「ああ、牛久にあるんだ」
牛久駅は取手駅から水戸方面へ向かった三つ目であった。
「牛久沼の前の店だ」
「それじゃあ、連れていってね」
時計を確認すると、午前0時を過ぎていた。
深夜の道路は車が順調に走行し、17分ほどでラーメン店に着いた。
男には魂胆がった。
ラーメン店の傍のモーテルに連れ込む算段であったのだ。
初子は食べたラーメンに満足した。
「美味しかった。取手にもこんなに美味しいラーメンがあればいいのに」
「そうかい。満足したかい。今夜はお前さんを食べたくなったな」男は店を出ると唐突に初子を抱き寄せたのだ。
「やめて!」と叫んだが唇を塞がれた。
後は強引な男の意のままにされたのだ。
「今夜は帰えさないぞ!」優しいそうに想われ男はヤクザな正体を現した。
結局、初子は夫からは得られなかったような男のテクニックに翻弄されたのだ。
しかも、相手は性に淡白な夫とは比べられないほどの絶倫男であったのだ。
「これが性愛の?」初子は女の喜びに初めて開花した。
投稿情報: 07:06 カテゴリー: 創作欄 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
2014年3 月 5日 (水曜日)
創作欄 真田の人生
人生如何にいきるべきか?
それは人類の命題である。
人類史上、最悪な人間が出現し、前代未聞の悪事をなす。
神や仏が存在するなら、当然、悪事は未然に防ぐだろう。
だが、厳密な意味で人が生み出した神や仏に特別な力が備わったいるわけではないので、悪事を止める力が神や仏ににあるわけではない。
真田は太平の南の島での戦争で現実者となった。
現実者とは死線を超えないとなりえないはずだ。
現実者は虚無者でもあるが、真田は人間の善性を失っていなかった。
つまり、人間の可能性「復元力」「蘇生力」に期待していた。
わずか5000円のために人を殺す17歳の高校生も居る。
殺した相手は15歳の中学生の少女である。
真田は取手駅前の喫茶店「たまりば」で新聞の社会面を毎朝見ながら、暗澹たる気持ちとなった。
だが、昭和40年代に犯罪が増加したとは思っていない。
戦後、昭和20年代、30年代は40年代以上の凄惨な犯罪が行われてきた。
ある意味では、昭和40年代は希望が見えるとさえ思われた。
だが、真田は山崎豊子の小説「白い巨塔」を読み、医療界に疑念を抱いた。
また、真田にとって従軍看護婦問題も無視できなかった。
真田は戦後、元従軍看護婦との交情もあったのである。
--------------------------------
<参考>
満州事変・日中戦争・太平洋戦争において出動した従軍看護婦は、日赤出身者だけで960班(一班は婦長1名、看護婦10名が標準)、延べにして35,000名(そのうち婦長は2,000名)で、うち1,120名が戦没した。
太平洋戦争終了時に陸軍看護婦として軍籍にあった者は20,500名、そのうち外地勤務は6,000名にも上った。
応召中の日赤看護婦は15,368名であった。
海軍においても病院船などで従軍看護婦が活動していたが、そのデータは欠けている。
敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の看護補助者に雇用せよとの通達が発見されている。
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2014年3 月 9日 (日曜日)
創作欄 真田の人生
「何とかできなかったのか?」と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。真田は木村哲夫に手紙を書いた。
思えば、真田はほとんど手紙を書かない。
心は目には見えないが、真田の心を木村に届けるために手紙を書いた。
「木村哲夫様 ここ数日、見せてもらった遺書について考えてみました。
現在、哲さんはうつ状態にありますね。
うつ病は心の風邪とも言われ、誰でも罹るものです。
ですから、それに押しつぶされて死を選ぶのは、できれば避けてほしいですね。
生きてさえいれば、人生はどうにでもなると思うのです。
南の戦場で九死に一生を得た私は、死んだ戦友のためにも、また、東京大空襲で亡くなった妻子のためにも、生き続けたいと今日まで生きてきました。
つまり、儲けものような生をありがたく思って生きてきました。
自殺は自分だけの問題ではありません。
『何とかできなかったのか?』と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。
哲さん何時でも相談に乗ります。
朝の散歩では八坂神社で哲さんのことを祈っています。
真田」
手紙を出してから、数日後、真田は木村を八坂神社の祭に誘った。
真田は加賀友禅の浴衣姿であった。
「俺も浴衣を着るか」と木村は笑顔で言い、部屋へ戻った。
玄関へ出てきた木村は頭に白地に藍染めの手ぬぐいを巻いて板前時代のように、粋な雰囲気であった。
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2014年3 月 7日 (金曜日)
創作欄 真田の人生
未練である。
死ぬことを決意した木村哲夫は、自分を裏切った妻初子に会いたくなったのである。
家計の足しにと夜の勤めに出た家庭の主婦が、ヤクザ者に誑(たぶらか)されるのは容易なことである。
家庭の主婦は言わば無防備であり、世間知らずであり、野獣にとっては飛び込んできたウサギのような餌食と同然である。
「店を終わったら、ラーメンでも食べにいくかい?」と客の1人に誘われた。
優しそうな男であった。
何時も控え目にカウンターの片隅で飲んでいた。
「そうね。美味しい店知っているの?」
「ああ、牛久にあるんだ」
牛久駅は取手駅から水戸方面へ向かった三つ目であった。
「牛久沼の前の店だ」
「それじゃあ、連れていってね」
時計を確認すると、午前0時を過ぎていた。
深夜の道路は車が順調に走行し、17分ほどでラーメン店に着いた。
男には魂胆がった。
ラーメン店の傍のモーテルに連れ込む算段であったのだ。
初子は食べたラーメンに満足した。
「美味しかった。取手にもこんなに美味しいラーメンがあればいいのに」
「そうかい。満足したかい。今夜はお前さんを食べたくなったな」男は店を出ると唐突に初子を抱き寄せたのだ。
「やめて!」と叫んだが唇を塞がれた。
後は強引な男の意のままにされたのだ。
「今夜は帰えさないぞ!」優しいそうに想われ男はヤクザな正体を現した。
結局、初子は夫からは得られなかったような男のテクニックに翻弄されたのだ。
しかも、相手は性に淡白な夫とは比べられないほどの絶倫男であったのだ。
「これが性愛の?」初子は女の喜びに初めて開花した。
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2014年3 月 5日 (水曜日)
創作欄 真田の人生
人生如何にいきるべきか?
それは人類の命題である。
人類史上、最悪な人間が出現し、前代未聞の悪事をなす。
神や仏が存在するなら、当然、悪事は未然に防ぐだろう。
だが、厳密な意味で人が生み出した神や仏に特別な力が備わったいるわけではないので、悪事を止める力が神や仏ににあるわけではない。
真田は太平の南の島での戦争で現実者となった。
現実者とは死線を超えないとなりえないはずだ。
現実者は虚無者でもあるが、真田は人間の善性を失っていなかった。
つまり、人間の可能性「復元力」「蘇生力」に期待していた。
わずか5000円のために人を殺す17歳の高校生も居る。
殺した相手は15歳の中学生の少女である。
真田は取手駅前の喫茶店「たまりば」で新聞の社会面を毎朝見ながら、暗澹たる気持ちとなった。
だが、昭和40年代に犯罪が増加したとは思っていない。
戦後、昭和20年代、30年代は40年代以上の凄惨な犯罪が行われてきた。
ある意味では、昭和40年代は希望が見えるとさえ思われた。
だが、真田は山崎豊子の小説「白い巨塔」を読み、医療界に疑念を抱いた。
また、真田にとって従軍看護婦問題も無視できなかった。
真田は戦後、元従軍看護婦との交情もあったのである。
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<参考>
満州事変・日中戦争・太平洋戦争において出動した従軍看護婦は、日赤出身者だけで960班(一班は婦長1名2014年3 月 9日 (日曜日)
創作欄 真田の人生
「何とかできなかったのか?」と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。真田は木村哲夫に手紙を書いた。
思えば、真田はほとんど手紙を書かない。
心は目には見えないが、真田の心を木村に届けるために手紙を書いた。
「木村哲夫様 ここ数日、見せてもらった遺書について考えてみました。
現在、哲さんはうつ状態にありますね。
うつ病は心の風邪とも言われ、誰でも罹るものです。
ですから、それに押しつぶされて死を選ぶのは、できれば避けてほしいですね。
生きてさえいれば、人生はどうにでもなると思うのです。
南の戦場で九死に一生を得た私は、死んだ戦友のためにも、また、東京大空襲で亡くなった妻子のためにも、生き続けたいと今日まで生きてきました。
つまり、儲けものような生をありがたく思って生きてきました。
自殺は自分だけの問題ではありません。
『何とかできなかったのか?』と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。
哲さん何時でも相談に乗ります。
朝の散歩では八坂神社で哲さんのことを祈っています。
真田」
手紙を出してから、数日後、真田は木村を八坂神社の祭に誘った。
真田は加賀友禅の浴衣姿であった。
「俺も浴衣を着るか」と木村は笑顔で言い、部屋へ戻った。
玄関へ出てきた木村は頭に白地に藍染めの手ぬぐいを巻いて板前時代のように、粋な雰囲気であった。
http://www.toride-kankou.net/etc/event3
投稿情報: 07:46 カテゴリー: 創作欄 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
2014年3 月 7日 (金曜日)
創作欄 真田の人生
未練である。
死ぬことを決意した木村哲夫は、自分を裏切った妻初子に会いたくなったのである。
家計の足しにと夜の勤めに出た家庭の主婦が、ヤクザ者に誑(たぶらか)されるのは容易なことである。
家庭の主婦は言わば無防備であり、世間知らずであり、野獣にとっては飛び込んできたウサギのような餌食と同然である。
「店を終わったら、ラーメンでも食べにいくかい?」と客の1人に誘われた。
優しそうな男であった。
何時も控え目にカウンターの片隅で飲んでいた。
「そうね。美味しい店知っているの?」
「ああ、牛久にあるんだ」
牛久駅は取手駅から水戸方面へ向かった三つ目であった。
「牛久沼の前の店だ」
「それじゃあ、連れていってね」
時計を確認すると、午前0時を過ぎていた。
深夜の道路は車が順調に走行し、17分ほどでラーメン店に着いた。
男には魂胆がった。
ラーメン店の傍のモーテルに連れ込む算段であったのだ。
初子は食べたラーメンに満足した。
「美味しかった。取手にもこんなに美味しいラーメンがあればいいのに」
「そうかい。満足したかい。今夜はお前さんを食べたくなったな」男は店を出ると唐突に初子を抱き寄せたのだ。
「やめて!」と叫んだが唇を塞がれた。
後は強引な男の意のままにされたのだ。
「今夜は帰えさないぞ!」優しいそうに想われ男はヤクザな正体を現した。
結局、初子は夫からは得られなかったような男のテクニックに翻弄されたのだ。
しかも、相手は性に淡白な夫とは比べられないほどの絶倫男であったのだ。
「これが性愛の?」初子は女の喜びに初めて開花した。
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2014年3 月 5日 (水曜日)
創作欄 真田の人生
人生如何にいきるべきか?
それは人類の命題である。
人類史上、最悪な人間が出現し、前代未聞の悪事をなす。
神や仏が存在するなら、当然、悪事は未然に防ぐだろう。
だが、厳密な意味で人が生み出した神や仏に特別な力が備わったいるわけではないので、悪事を止める力が神や仏ににあるわけではない。
真田は太平の南の島での戦争で現実者となった。
現実者とは死線を超えないとなりえないはずだ。
現実者は虚無者でもあるが、真田は人間の善性を失っていなかった。
つまり、人間の可能性「復元力」「蘇生力」に期待していた。
わずか5000円のために人を殺す17歳の高校生も居る。
殺した相手は15歳の中学生の少女である。
真田は取手駅前の喫茶店「たまりば」で新聞の社会面を毎朝見ながら、暗澹たる気持ちとなった。
だが、昭和40年代に犯罪が増加したとは思っていない。
戦後、昭和20年代、30年代は40年代以上の凄惨な犯罪が行われてきた。
ある意味では、昭和40年代は希望が見えるとさえ思われた。
だが、真田は山崎豊子の小説「白い巨塔」を読み、医療界に疑念を抱いた。
また、真田にとって従軍看護婦問題も無視できなかった。
真田は戦後、元従軍看護婦との交情もあったのである。
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<参考>
満州事変・日中戦争・太平洋戦争において出動した従軍看護婦は、日赤出身者だけで960班(一班は婦長1名、看護婦10名が標準)、延べにして35,000名(そのうち婦長は2,000名)で、うち1,120名が戦没した。
太平洋戦争終了時に陸軍看護婦として軍籍にあった者は20,500名、そのうち外地勤務は6,000名にも上った。
応召中の日赤看護婦は15,368名であった。
海軍においても病院船などで従軍看護婦が活動していたが、そのデータは欠けている。
敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の看護補助者に雇用せよとの通達が発見されている。
投稿情報: 01:55 カテゴリー: 創作欄 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
、看護婦10名が標準)、延べにして35,000名(そのうち婦長は2,000名)で、うち1,120名が戦没した。
太平洋戦争終了時に陸軍看護婦として軍籍にあった者は20,500名、そのうち外地勤務は6,000名にも上った。
応召中の日赤看護婦は15,368名であった。
海軍においても病院船などで従軍看護婦が活動していたが、そのデータは欠けている。
敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の看護補助者に雇用せよとの通達が発見されている。
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