相手の命を蘇らせよ

2016年09月26日 07時32分49秒 | 社会・文化・政治・経済
常套句では伝わらない

★一つの基本を妥協せず、徹して磨き抜く。
その努力で培った自信と実力があれば、万事に応用している。
★わが生命力を吹き込んで相手の命を蘇らせよ。
★ポスターが氾濫しているが、ポスターの効果は?
伝える側にも大きな問題がある。
ポスターを見る側の気持ちに立っていないからだ。
ただ「伝えた」ことだけでよしとしている。
伝えはしているけれど、まったく効力を発揮していない。
これでは伝えていないのと同じ。
「伝えただけでは0割」なのだ。
人は正しいことを言われたからといって、素直にそうしよとは思わないもの。
むしろ、過剰に強く伝えることで、聞き手の心を閉じてしまい、逆効果になることも。
言葉は上手に使えば、相手の気持ちを動かす切り札になる道具だ。
言葉が変わると、日本の景色が変わる。
常套句では伝わらない。コピーライター・川上徹也さん

日本酒ミーティング「茨城の酒と出会う」

2016年09月26日 06時41分16秒 | 日記・断片
まさか、戸頭公民館まで行ってカラオケ大会に出るとは我ながら驚きである。
地元の新道町内のカラオケ大会、白山商店会のカラオケ大会、さらに取手駅前広場でのカラオケ大会に出た。
家人の友人と家人が土浦の「ホテル マロウド筑波」へ行くため、代わりに戸頭まで行くこととなった。
家人たちは、岡千秋ディナーショーへ行く。

戸頭公民館は直ぐ分った。
友人の林さんが車で送ってくれて、だいたいの場所を教えてくれたのだ。
戸頭団地の手前にあり、関東鉄道の戸頭駅の近くであった。
10時30分ころ到着したら、すでに7曲が終わっていた。
歌も音楽も表通りまで響いていた。
シニアの大会だが、若カップルも聞きに来ていた。
44人の後、プロが最後に歌う。
昼休み前に、声楽の先生のピアノ演奏で「青い山脈」と「故郷」の曲をみんなで歌った。
発声の練習のつもりで当方は会場に響くように歌った。
野球場では国歌も高らかに歌い、家人に何度も制止されているが、マイクなしで取手市民会館で歌ってみたいものだ。
若い頃、キャバレーで歌ったら「声楽習ったことあるのでは」と言われた。
その店に居た女性が声楽家であった。
「今度、府中の会館で歌うので来て」と言われた。
キャバレーでバイトをする声楽家と店が終わって飲みに行く。
別れたのは午前2時頃で、タクシー代だと1万円を渡した。
当方は新宿の旅館へ泊る。

カラオケは12時から13時まで昼で休憩。
酒を飲み出番を待つ。
約20分、団地周辺を散策し、偶然、中村酒店の前へ出た。
取手の駅ビル4階で日本酒ミーティング「茨城の酒と出会う」が9月24日に行われ、戸頭3丁目33-13の中村酒店の存在をしる。
純米大吟醸「渡船」も知る。
常陸太田市の「松盛」、日立市の「大観」、水戸市の「百歳」、石岡市の「渡船」、「太平海」、潮来市の「愛友」、つくば市の「男女川」、「すてら」。「霧筑波」、筑西市の「来福」、結城市の「武勇」
、常総市の「一人娘」などが出品されていた。
100円で盃一杯。


























集団的自衛権は国際法で認められた権利

2016年09月26日 05時52分05秒 | 社会・文化・政治・経済
集団的自衛権は国際法で認められた権利であり、もともと国家はそれを正当に行使することができる。
憲法の中で、集団的自衛権の行使を明確に禁止している条文は、見あたらない。
憲法九条は「自衛のための武力行使」を禁止していない。
これに基づいて個別自衛権の行使は正当化されてきた。
では、なぜ個別的自衛権はよくて、集団的自衛権はいけないのか。
その明らかな根拠を憲法の中で見だすことはできない。
憲法が明確に示していない以上、集団的自衛権の行使が違憲であるとは断定できない。
今回の安保法制の成立の意味は、できるだけ範囲を広げた「備えをより充実させた」ということだ。
それを実際に行使しるかどうかは、また別の議論になる。
一連の安保法制の議論では、憲法が掲げる国際協調主義が忘れていてるという点だ。
日本国憲法には平和主義とともに、、国際協調主義も高らかに掲げられている。
集団的自衛権や集団安全保障というのは国連憲章で認められ、かつ、国際社会の平和と安定のために各国が協力して取り組んでいる事柄だ。
それなのに、それらを単純に「戦争」と決めつけて頭ごなしに否定するのは、本当に憲法の趣旨に適った議論なのか疑問に感じる。
その意味で、憲法は平和主義とともに国際協調性も要請しているということを忘れずに、今後も丁寧な議論を重ねていってほしいと思う。

井上武史・九州大学大学院准教授

「自由人」

2016年09月26日 05時50分05秒 | 創作欄
好きなことをしようよ
恥もかこうよ
失敗だって気にしない
いじめられても平気になろう
死ぬことはずっと先だよ

神も仏も受け入れる
無理することもない
恨まずに優しくなろう
嫌われようと平気になろう
生きてることを楽しもう

大好きな自由人
人も羨む
気楽な生き方
お金がなくても平気になろう
金は天下の回りもの

「生涯で、いちばん自分らしい」

2016年09月26日 05時45分55秒 | 社会・文化・政治・経済
★「父を見送ったとき、そうか、家族のために死んで見せることが最後にできるんだという、その姿勢こそが一番大事だと教えられたような気がしたんです」
この言葉はそのまま本人が、自宅で子どもや孫に看取られながら静かに眠るように亡くなったことで完結したのかもしれない。
まさに生き切ったと言える。
「死に方っててのは、生き方です」
永六輔さんは苦しいことも、辛いことも、笑って楽にする。
その考えは井上ひさしさんとも通じ合い、「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」という井上さんの有名な言葉を書名にした。
和田誠さん
★「70歳の日記」
70歳になる一人暮らしの女性作家の日々がこんなにも穏やかで充実しているとは。
「ひとりぽっち」と「豊かな孤独」の違いだろう。
ベルギー生まれのアメリカの詩人・作家メイ・サートン(1912~1995)
70歳になったいま、「生涯で、いちばん自分らしい」という。
迷いがなくなり、自己不信に陥ることもない。
若いころのような愛情に振り回されることもない。
文壇とは無縁だが、確実に読者が付いてくれている。
経済的余裕にも恵まれた。
家のなかには犬と猫が一匹ずついてなついてくれる。
好きな世界をいくつも持っていることが元気の秘訣だろう。
70歳では庭仕事は手に余るが、それでも止めない。
「庭仕事はとは一種の狂気、愚行」といいながら春になるとまた新しい種子を蒔くのがユーモラス。
とはいえメイ・サートンは決して隠者ではない。
サイン会にも応じる。
たくさんの読者に直接触れるとはやはりうれしい。
友人も多い。
住所録には千人もの名前が記されている。
手紙を書くのも日課で、未知の読者からの手紙にも返事を書く。
しかし、作家の基本はやはり、ひとりの時間を持つこと。
孤独な静寂を大事にすること。
「オアシスとは静寂のこと」
友人と旅を楽しんだあとは、家に帰って作家であるもうひとりの自分を取り戻す。
友情と孤独のバランスを取るのが上手。
70歳ともなると親しい友人たちの死に遭う。
メイ・サートンは同性愛者だったことを公にしている。
若き日、一緒に暮らした唯一の恋人が亡くなったことを彼女の甥から知らされるくだりは胸を衝かれる。
死だけは誰も避けられない。
70歳を迎えた著者は、ある高齢者コミュニティの入居を準備している。
死への心構えといえようか。
このことも平穏な日々の支えになっているかもしれない。
川本三郎評

清掃活動へ行く

2016年09月26日 04時59分14秒 | 日記・断片
午前8時30分、友人の林さんが、ミスターマックスの東側の通称グリーンベルトの前で待っていた。
今日(9月25日)は、早朝散歩をしていない。
当方が、倉庫の鍵を開けて掃除の道具を出して置いた。
前回は、倉庫の鍵が間違っていたりして、清掃の開始時間が8分ほど遅れた。
その日は、会合が重なり、約45分の清掃時間時間を30分にするはずであった。
それだから、8分の遅れはまずかったのだ。
だから、皆が集まる8時50分前に、当方が鍵を開け清掃道具を駐車場へ出して置いた。
桜の葉が広い駐車場をおおい尽くすように散っていた。
しかも連日の雨で、落ち葉は濡れてへばりついていたのだ。
清掃は、9時50分に終わる。
時間内に終わるのかと懸念されたが、約20人での清掃できれになった。
落ち葉は土の中に穴を掘り埋めた。
それから、戸頭公民館でのカラオケ大会へ行く。
「送って行きましょうか?」と林さんが言うので、送ってもらった。
シニアのカラオケ大会で、家人の友人の代わりに出た。
家人と友人は、つくば市のイベントへ行く。
会費は1000円、弁当とお茶を受付で受け取る。
カラオケ大会は午前10時~午後3時30分まで、44人が出た。
当方は26番目。
「スポットライト」を歌う。
隣に座る御婦人が着飾っていた。
「歌、習っているのですか?」と聞いたら、「教えています」と言う。
声楽家でピアノの先生とは思わなかった。
この人が44番目に歌った。
帰りに白山へ行く。
そして、牛久や土浦の知人に会う。
帰りのバスで、作曲家の御園さんと会う。
そして、先日のスナックプチと同様に、今日も日本酒を御馳走になる。
久しぶりの「焼き鳥・文ちゃん」。
近く、当方の作詞を御園さんに見せることにした。
「ポストに入れておいてよ。直してみるから」という。
彼は麻雀放浪記の世界を生きてきたのだ。
プロの麻雀の技ができる人であった。
北海道の富良野の出身。
土浦の山本さんも麻雀放浪記の世界を生きてきたような人であった。