昭は偶然、中央線の電車内で大学時代の親友であった岡本幸助と出会った。
卒業以来、彼とは出会う機会がなかった。
岡本は、国会議員であった伯父の計らいで当時の労働省の役人となっていたのだ。
彼は遊び人であり、成績は常にギリギリであり何とか留年せずに卒業していた。
「岡本が役人になるとはな、驚きだ」昭は率直に気持ちを表す。
「そうなんだ。同期生の奴らも、俺のこと驚いていたぜ」岡本は自嘲ぎみに言う。
卒業以来、再会した二人は新宿で途中下車する。
そして、新宿西口に近い居酒屋へ向かう。
25歳の岡本は既に同郷である福島郡山の人と結婚していた。
「島田、お前には今、彼女いるのか」岡本は単調直入に聞くのだ。
岡本は昭が大学生時代から女性とは縁がなかったことを知っていた。
昭がビールを飲みながら胸の内を明かす。
焼き鳥の煙が店内に充満していた。
段々酔いも回り、大衆酒場の喧騒の中、昭は心の内を解放する。
昭は愛する彩音が、妊娠していこと、母親が結婚に反対していることを告げた。
「そうか。あとはお前さんの気持ち、覚悟だな。まずは、実家を出ることだ」
昭は、実家を出ることはまでは覚悟していなかった。
「実は、雇用促進住宅があるんだ。とりあえずそこへ入れ、俺が斡旋する」
中野の実家を出て母親の束縛を解く。それは昭にとっては、渡りに船だった。
昭は25歳にして実家を離れ、彩音と同棲生活を船橋で始めた。
参考
雇用促進住宅とは、かつて雇用保険事業の一つであった雇用福祉事業により整備された勤労者向けの住宅。
移転就職者用宿舎とも呼ばれる。管理・運営は独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構であるが財団法人雇用振興協会に委託していた。
独立行政法人雇用・能力開発機構の前身である特殊法人の雇用促進事業団は、労働者の技能習得、技能向上、雇用促進、福祉増進、就職援助、経済発展を目的として、1961年(昭和36年)に設立された。
雇用促進事業団は、それまで労働福祉事業団(現・独立行政法人労働者健康福祉機構)が設置・運営していた職業訓練施設(失業保険法に基づく福祉施設)を引き継ぐと共に、1959年(昭和34年)に設立されていた炭鉱離職者援護会(炭鉱離職者の支援が目的)の事業を引き継いでいた。
2011年(平成23年)10月1日、独立行政法人雇用・能力開発機構の解散により、事業は高齢・障害・求職者雇用支援機構に引き継がれた。
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