みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

3D映像で頭痛被害

2010-08-08 22:00:30 | Weblog
とかいうニュースを聞いて「私もなるかも?」と思った。
というのも、私はディズニーランドのジェットコースターのシミュレーターや免許の講習で課せられる運転シミュレーターで何度も頭痛や気持ち悪さを体験をしているからだ。
おそらく、シミュレーターの擬似的な動きや圧力の変化が私の三半規管に何らかの影響を及ぼしているせいなのかもしれない。
それと同じような意味で3D映像が私の身体に何らかの「不快感」をもたらすかも?と思ったのだが、ひょっとしたらもたらさないかもしれない。
ただ、3D映像がこれから将来の標準映像になるかもしれないということに関してはいささか「?」だと思っている。
もちろん世の中の動きは私の思いなんかとは全く関係なく動いていくのだが「なぜにそんなものを求めるの?」という気がしてならない。
3D映像の方がよりリアルで迫力があるから。
という理由なのかもしれないが私は「3D映像って本当にリアルなの?」と思う。

絵画にしろ読書にしろ映像にしろ音楽にしろもともとが人間の五感の一部分に擬似的な感覚を呼び起こしてそれ以外の感覚を脳の中で総動員して(=イメージして)「何か」を作り上げ感じていくものだ。
だから、人間は、そうした五感による「空想力」をどんどん研ぎ澄ましアーティスティックな感覚というもので人の文化を育ててきたのだけれども、例えば「飛び出す絵本」だったり「匂いのでる映画」だったり、この「3D映像」だったりというものは、ある意味、人間から「想像力」というものを奪い取る役目をしているだけなのでは?と思ってしまう。
人は想像力からいろいろなモノを創造してきた歴史を持っているはずなのに、一方で人間はどんどん人間から想像力を奪い取ることも同時にしている。
そんな気がしてならない。
極端言えば、掛け軸に描かれた虎の絵を見てその虎の動きや色、鳴き声などを想像するところがアートなのであって、3D映像で虎の動きを「リアルに(?)」見せる作業は人間の感覚をただ単に堕落させているだけなのでは?と思ってしまうのは私だけだろうか。