アズキ豆(小豆)をワリバシで挟む訓練をやっている最中に恵子が頼んできた。
何で?と聞くと、見て確認しながらやれば絶対にできないことはないから、と言う。
手を挙げるにしても足を曲げるにしてもその動作を見ながらやるのと見ないでやるのではリハビリの効果が全然違うと療法士さんたちも言う。
「じゃあ、鏡の前で歩けば普通に歩けるはずじゃん」と私が彼女に言うと、ウンそうだよ、歩けるはずと彼女はすかさず応える。
もちろん、まだちゃんと歩けているわけではないのだけれども、こういうイメージトレーニング、つまり、どんな動作でも目で確認しながら練習をすれば絶対にできるようになるという「確信(というよりはイメージなのかな)」のようなものを彼女は持っているのかもしれない。
それがたとえ思い込みであっても、人間の脳なんていうのは、常に意識に「ダマされている」のだから、リハビリというのも脳をいかにダマしていくかの作業に他ならない。
まったく一単語も発音できない失語症の人も、歌を歌えばどんなことばでもしゃべれるようになる。
これも脳がダマされた結果なのか。
そんなバカなと思う人は、映画『英国王のスピーチ』のジョージ六世の例や、アメリカの上院議員で頭に銃弾に受けことばを失ったガビー・ギフォード女史が「歌う」音楽療法でことばを取り戻した例を見れば容易に理解できることだ(こんなことは常にいろんな所で言われたきたことだ)。
この事実に対して精神科医や音楽療法士は、「ことばは左脳の機能だが、音楽は脳の全ての場所を使って行う作業なので、音楽が言語の機能回復に多大な影響を及ぼす」といった説明をするが、多分これだけでは音楽が言語を回復させるメカニズムの完全な説明にはなっていないと思う。
おそらく、まだ誰もこの「歌がことばの回復を助けるメカニズム」を完璧に説明できてはいない。
であっても、私の素人考えで言えるのは、脳というのはスーパーコンピューターよりもはるかに優れた作業を行える場所であるのと同時に、簡単にダマされてしまい易いものでもあるということだ。
普通、我々は電気製品や車、その他の工業製品の寿命を長持ちさせるために「ダマしだまし」使う。
道具をどうやったらうまくダマして長持ちさせるかにも私たちは工夫する。
きっと、人間の脳にもそんなところがあるのかなと思ってみたりする。
動かない手を、動かない足を無理矢理ひっぱたいてみても絶対に動きはしない。
しかし、どうやったらこの動かない手を動かせるか、どうやったらダマせるのか(「俺は動くんだ、動くんだ」と手に思い込ませること)を、ある程度機能的に、合理的に考えるのがリハビリだとすれば、恵子が言う「見ていれば動かせる気がする」というのも、(視覚が脳をダマすという意味では)ある意味、正しいリハビリの方法なのかもしれない。
何で?と聞くと、見て確認しながらやれば絶対にできないことはないから、と言う。
手を挙げるにしても足を曲げるにしてもその動作を見ながらやるのと見ないでやるのではリハビリの効果が全然違うと療法士さんたちも言う。
「じゃあ、鏡の前で歩けば普通に歩けるはずじゃん」と私が彼女に言うと、ウンそうだよ、歩けるはずと彼女はすかさず応える。
もちろん、まだちゃんと歩けているわけではないのだけれども、こういうイメージトレーニング、つまり、どんな動作でも目で確認しながら練習をすれば絶対にできるようになるという「確信(というよりはイメージなのかな)」のようなものを彼女は持っているのかもしれない。
それがたとえ思い込みであっても、人間の脳なんていうのは、常に意識に「ダマされている」のだから、リハビリというのも脳をいかにダマしていくかの作業に他ならない。
まったく一単語も発音できない失語症の人も、歌を歌えばどんなことばでもしゃべれるようになる。
これも脳がダマされた結果なのか。
そんなバカなと思う人は、映画『英国王のスピーチ』のジョージ六世の例や、アメリカの上院議員で頭に銃弾に受けことばを失ったガビー・ギフォード女史が「歌う」音楽療法でことばを取り戻した例を見れば容易に理解できることだ(こんなことは常にいろんな所で言われたきたことだ)。
この事実に対して精神科医や音楽療法士は、「ことばは左脳の機能だが、音楽は脳の全ての場所を使って行う作業なので、音楽が言語の機能回復に多大な影響を及ぼす」といった説明をするが、多分これだけでは音楽が言語を回復させるメカニズムの完全な説明にはなっていないと思う。
おそらく、まだ誰もこの「歌がことばの回復を助けるメカニズム」を完璧に説明できてはいない。
であっても、私の素人考えで言えるのは、脳というのはスーパーコンピューターよりもはるかに優れた作業を行える場所であるのと同時に、簡単にダマされてしまい易いものでもあるということだ。
普通、我々は電気製品や車、その他の工業製品の寿命を長持ちさせるために「ダマしだまし」使う。
道具をどうやったらうまくダマして長持ちさせるかにも私たちは工夫する。
きっと、人間の脳にもそんなところがあるのかなと思ってみたりする。
動かない手を、動かない足を無理矢理ひっぱたいてみても絶対に動きはしない。
しかし、どうやったらこの動かない手を動かせるか、どうやったらダマせるのか(「俺は動くんだ、動くんだ」と手に思い込ませること)を、ある程度機能的に、合理的に考えるのがリハビリだとすれば、恵子が言う「見ていれば動かせる気がする」というのも、(視覚が脳をダマすという意味では)ある意味、正しいリハビリの方法なのかもしれない。