みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

骨折

2014-03-14 07:49:32 | Weblog
三年前に妻の恵子が脳卒中を発症した時にもそう思ったことだが、人生には何が待ち受けていてそれがいつ目の前にやってくるのかということは本当に予測がつかない。
いわゆる「一寸先は闇。
それが人生」みたいなことなのだろう。
こんなこと当たり前と言えば当たり前のことなのだけれども、いざそれが現実となるとそこから自分の立ち位置をどう変えるのか、あるいは変えないのかでその後の人生に対する処し方も大きく違ってくる。
つまり、「運命」はいつも変わり続けているということだ。

一昨日恵子が室内で転び、大腿部頸骨骨折という診断で急遽手術をすることになった。
手術は昨日の午前。
損傷した骨の代わりにピン(一本の長さが12cmぐらいと医師は説明してくれたが)を二本取り付けて固定するという方法だったが、手術自体は問題なく終わったものの、問題は、彼女の骨自体が相当弱っていたということ。
医師の説明によれば、長期に渡る入院中に骨が弱ってしまったことと、年齢による骨の老化などで、せっかく入れたピンがちゃんと固定されるかどうかを長期に渡って経過観察し、なおかつ「体重の負荷をかけないリハビリ」を行っていかなければならないということで、また長い入院生活を強いられることになった。

病気の発症から2年半たって相当調子が上向いてきた矢先でもあり、私自身の介護メソッドを綴った著書『奇跡のはじまり(新潮社)』という本を出版したばかりなので残念至極には違いないのだが、リハビリを本当に長い目で見ればこういう事態もある程度予測できたことであり、悔やんでみても始まらない。
落胆はしているものの、気持ちだけは前向きにひたすら「頑張ろう」と自分自身を励ますのみだ。
昨日も義理の妹(妻の亡くなった弟のお嫁さん)から電話があり、「お義姉さんには悪いけど、この二年間24時間介護を続けてきた義兄さんに小休止をくれたと思えば良いんじゃないのかナ。別に後ろに戻ったわけじゃないし、単なる足踏みと思って骨休めしてください。お義兄さんが倒れてしまったら、それこそ一番困るのは義姉さんなのですから...」。
彼女は、医療関係の大手出版社に勤めるキャリアウーマンなので、仕事柄お医者さんとのおつきあいが多い。
ひょっとしたら、こういう状況を他で経験してきたのかもしれない。

確かにそういう見方もあるなと思う。
ここ数ヶ月恵子の調子は寒い冬から脱出するように本当に上向きに推移していた。
特に手の動きは前とは比べ物にならないほど活発で、リハビリで毛糸の編み物までしているぐらい(もともとの得意分野なので手の不自由さがそれほど苦にならないようにも見えた)。
以前よくパッチワークを作っていたので「おう、また作れるじゃん」といった会話までしていたぐらいだった一方で、「なにか手伝うことない?」といったことばが頻繁に出て来るようになり、嬉しいと思う反面「焦り過ぎなければよいが…」という心配をしていた矢先でもあった。
よくスポーツの骨折事故で言われる「初心者はあまり事故を起こさない。ちょっとうまくなったぐらいはが一番事故を起こし易い」ということばが思い起こされた。
まさに、そういうことだったのかもしれない。
回復しなければ、しなければと焦る気持ちとハヤる気持ちが「事故」に結びついてしまったのかもしれない。

ただ、起きたことは仕方がない。
これは単なる「足踏み」。
けっして「振り出し」に戻ったわけではないし、人生「解決できない問題などない」といつも思いながら暮らしてきたのだから、どこかに「答え」は用意されているはず。
人生を俯瞰で見れば、一つ一つの事件はそう「たいしたことではない」のかもしれない。