毎日のように病院でリハビリの様子を見学しているが、恵子の足の強さがそれほど骨折前と比べて衰えていないことに驚く。
荷重ゼロのリハビリというのは、体重を足に乗せてはいけないというリハビリなので歩行の練習はまったくできないので、筋肉がまたこの数週間のうちに衰えてしまうのではないかと心配していたが、彼女の右足は案外とその筋力を保ったままなようだ。
療法士さんが「はい、右足で私の手を押して」という声に、療法士の彼も驚くほどの力でけり返す。
「これなら骨折前は装具なしでも歩けたでしょう?」と療法士が聞くが、彼女はこれまでにまだ一度も装具なしで歩いたことはない。
もちろん、今しばらく歩行訓練はできないのだが、これが元の歩行訓練に戻った時に装具を手放すことができるかどうかは彼女の精神状態次第なのではないかと思う。
私が大丈夫だと言おうが、療法士が大丈夫だと言おうが、本人が自分の身体の筋力や体力を信頼していないことには彼女の足は一歩も先に進まないだろう。
私たちの身体を動かしているのは、彼女の身体の筋肉それ自身なのではなくあくまで「脳」なのだということを、私はこれまでの彼女のリハビリをずっと見てきて確信している。
これは、私たちが「あがる」時の状態によく似ている。
「あがる」ということは、すなわち脳にかかるプレッシャーが私たちのことばや身体の動きから本来の機能と能力を損なわせてしまうということだ。
できるはずのことがいとも簡単にできなくなってしまう。
つまり、それは自分で自分にかける「暗示」の結果に他ならない。
恵子はそれをこれまでに何度も何度も体験している。
そんな動きなんてすぐできるだろう。できないはずはないじゃないかという動きが「固まり」まったく動けなくなってしまう。
もちろん、彼女の場合は、あがったわけではない。
「できないかもしれない」という怯えと恐れと自信のなさが身体を硬直させてしまうのだ。
そうした時の私の役目はいつも彼女の脳から「呪縛」を解き放つことだ。
なので、今の入院生活は、彼女に新たな「暗示」をかけ直す期間なのかもしれないと思っている。
昨日も知り合いの別の療法士から「これが怪我の功名になればいいですね」というメールをもらったが、私の望んでいるのはまさしく「それ」だ。
文字通りの「ケガの功名」。
今回の骨折で、彼女の頭の中からこれまであった「自信」は一度取り除かれてしまったかもしれないが、また「新たな自信」が作り直されてくれればよいなと思っている。
私の目から見ても、これまでの彼女の動きには「無駄(これが彼女の脳の中のプレッシャーから来ていることは明らかだ)な動きが多かった。
そうした私が直そうと思っていた無駄な動きがもう一度修正されて「もうこれで大丈夫」という新たな自信を彼女の脳が持つための再訓練期間であってくれればと願っている。
荷重ゼロのリハビリというのは、体重を足に乗せてはいけないというリハビリなので歩行の練習はまったくできないので、筋肉がまたこの数週間のうちに衰えてしまうのではないかと心配していたが、彼女の右足は案外とその筋力を保ったままなようだ。
療法士さんが「はい、右足で私の手を押して」という声に、療法士の彼も驚くほどの力でけり返す。
「これなら骨折前は装具なしでも歩けたでしょう?」と療法士が聞くが、彼女はこれまでにまだ一度も装具なしで歩いたことはない。
もちろん、今しばらく歩行訓練はできないのだが、これが元の歩行訓練に戻った時に装具を手放すことができるかどうかは彼女の精神状態次第なのではないかと思う。
私が大丈夫だと言おうが、療法士が大丈夫だと言おうが、本人が自分の身体の筋力や体力を信頼していないことには彼女の足は一歩も先に進まないだろう。
私たちの身体を動かしているのは、彼女の身体の筋肉それ自身なのではなくあくまで「脳」なのだということを、私はこれまでの彼女のリハビリをずっと見てきて確信している。
これは、私たちが「あがる」時の状態によく似ている。
「あがる」ということは、すなわち脳にかかるプレッシャーが私たちのことばや身体の動きから本来の機能と能力を損なわせてしまうということだ。
できるはずのことがいとも簡単にできなくなってしまう。
つまり、それは自分で自分にかける「暗示」の結果に他ならない。
恵子はそれをこれまでに何度も何度も体験している。
そんな動きなんてすぐできるだろう。できないはずはないじゃないかという動きが「固まり」まったく動けなくなってしまう。
もちろん、彼女の場合は、あがったわけではない。
「できないかもしれない」という怯えと恐れと自信のなさが身体を硬直させてしまうのだ。
そうした時の私の役目はいつも彼女の脳から「呪縛」を解き放つことだ。
なので、今の入院生活は、彼女に新たな「暗示」をかけ直す期間なのかもしれないと思っている。
昨日も知り合いの別の療法士から「これが怪我の功名になればいいですね」というメールをもらったが、私の望んでいるのはまさしく「それ」だ。
文字通りの「ケガの功名」。
今回の骨折で、彼女の頭の中からこれまであった「自信」は一度取り除かれてしまったかもしれないが、また「新たな自信」が作り直されてくれればよいなと思っている。
私の目から見ても、これまでの彼女の動きには「無駄(これが彼女の脳の中のプレッシャーから来ていることは明らかだ)な動きが多かった。
そうした私が直そうと思っていた無駄な動きがもう一度修正されて「もうこれで大丈夫」という新たな自信を彼女の脳が持つための再訓練期間であってくれればと願っている。