今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 健康な人は本なんか読まない、その人たちに読ませなければベストセラーにはならない、故に
ベストセラーなら読むに及ばないとついこの間私は書いた。この人たちが争って読むのは『一杯
のかけそば』のたぐいである。
灰谷健次郎という作者は良心ではない。良心的な作者だから以前も売れたし今も売れている。
『風』という当時匿名の批評家は灰谷の『兎の眼』を評しておよそ次のように書いた(大意」。
主人公は工業地帯の塵芥処理所の子供に愛情をそそぐ小学校の先生である。弱者を切りすてる
世間のエゴと無理解と戦う人と聞いただけでああ、例の進歩的児童文学だなと気がつく。
この小説の特色は、弱者だけに本当の人間性がみられるというドグマが中心になっていること
である。強者はみなエゴの固まりで虚偽の生活しかしていないという設定である。そして弱者に
よって強者は自分の人間性の虚偽を悟らせられるという論法なのである。この論法だと当然弱い
貧しいということが一切の非行の免罪符になる。
たとえばこの教師は、他の一教師が手を洗わない処理所の子が給食当番になることに反対した
のに、その子が病原菌をばらまいたとしても『クラス全員は喜んで伝染病にかかる』と言ってい
る。また野犬狩りでつかまった犬を取り戻そうと、子供たちが保健所の車をこわしてもかえって
喜ぶ始末である。」
(山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫 所収)