今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文です。
「 私は五十九で、もう何カ月かで、還暦である。(女に還暦があるのかどうか知らないが。)
老いの問題となると私はとり乱すしか方法がない。平均寿命が延びて、あと二十年余も生き
るかと思うと、呆然と立ちつくし、あたりをキョロキョロ見回し、何? 何? 私なんでこ
んなところで、こんなことしているの? とリツ然とし、短くない六十年が、頭の中をぐる
ぐるかけめぐる。もう充分生きた。これ以上も以下もない私の人生だった。命を惜しむこと
など何もない。今すぐ死んだってどーってことない。昔は人生五十年だったのだ。しかし、
私には八十四歳の呆けた母親がまだ生きているのだ。自分の老いを考えていい年齢であるの
に、まだ片づかない呆けた母親、あと十年はあのままあの世とこの世の間でさまよっている
様に生き続けそうな気がする。七十七で母が呆けた時、私はまず、親の片がつかないことに
は、自分の老いの問題は、棚上げしようと考えた。物事は、順ぐりに順序というものがある
とその時は考えた。その決心もぐらついて来た。
私は新聞のどこを読まなくても死亡記事だけは目を通す。そして年齢だけをチェックする。
九十過ぎはゴロゴロいる。五十代、六十代の人は病死であっても事故死の様にしか思われな
い。(夭折と今では云うのだろうか。)
ウーン九十か。
新聞ばかりではない。私の友人の親はほとんどまだ生きている。
九十過ぎも全然珍しくない。
母が九十過ぎたら私も七十過ぎる。
七十過ぎてどう老いの設計を立てるのだ。
本当に事故にでも出合って昇天したくなる。
長生きは本当にめでたいことなのか。
豊かな老後など本当にあるのだろうか。」
(佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文です。
「 私は五十九で、もう何カ月かで、還暦である。(女に還暦があるのかどうか知らないが。)
老いの問題となると私はとり乱すしか方法がない。平均寿命が延びて、あと二十年余も生き
るかと思うと、呆然と立ちつくし、あたりをキョロキョロ見回し、何? 何? 私なんでこ
んなところで、こんなことしているの? とリツ然とし、短くない六十年が、頭の中をぐる
ぐるかけめぐる。もう充分生きた。これ以上も以下もない私の人生だった。命を惜しむこと
など何もない。今すぐ死んだってどーってことない。昔は人生五十年だったのだ。しかし、
私には八十四歳の呆けた母親がまだ生きているのだ。自分の老いを考えていい年齢であるの
に、まだ片づかない呆けた母親、あと十年はあのままあの世とこの世の間でさまよっている
様に生き続けそうな気がする。七十七で母が呆けた時、私はまず、親の片がつかないことに
は、自分の老いの問題は、棚上げしようと考えた。物事は、順ぐりに順序というものがある
とその時は考えた。その決心もぐらついて来た。
私は新聞のどこを読まなくても死亡記事だけは目を通す。そして年齢だけをチェックする。
九十過ぎはゴロゴロいる。五十代、六十代の人は病死であっても事故死の様にしか思われな
い。(夭折と今では云うのだろうか。)
ウーン九十か。
新聞ばかりではない。私の友人の親はほとんどまだ生きている。
九十過ぎも全然珍しくない。
母が九十過ぎたら私も七十過ぎる。
七十過ぎてどう老いの設計を立てるのだ。
本当に事故にでも出合って昇天したくなる。
長生きは本当にめでたいことなのか。
豊かな老後など本当にあるのだろうか。」
(佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)