
今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「私はそうは思わない」から、「二つ違いの兄が居て」と題した小文です。
「二つ違いの兄が居た。兄は心臓が右にあって弁膜症で紫色の唇と紫色の爪をもち、やせこけて、目玉ばかりが大きかった。
私達は手をつないで眠り、父が兄を叱ると私は側で泣いていた。私が失敗すると兄は私のまわりでうろうろし、時には、
私のおやつを力ずくでうばい取り、私は恨みで身もだえ、やがてケロリとして、一緒に遊んだ。
私は兄が絵を描くのを誇りと尊敬でほとんど恍惚とし、兄が命令すれば、私は全能力をふりしぼってそれにこたえようと願った。
私が外でいじめられると、兄はどこにいてもすっとんで来て、『誰だ?』目をむいて細い足をふんばり、全く強そうでないので、
散っていく子供達の態度は実に歯切れが悪かった。兄がころがされて男の子達にけとばされている時があった。私は太い薪を拾って、
泣きながら、一人ずつ、男の子達のおしりを力まかせになぐって回った。『すげえ』と言って、男の子達はどこかへ行き、泣きながら、
兄は立ち上がり、立ち上がりながら私をにらみつけた。
私は誰に教わったわけでもない。兄も又、知っていたわけではない。私達は共に生きて行くのに助け合わねばならなかった。
助け合うという気持さえなかったかも知れない。成長して離れて一人ずつの人間になる前に、兄は死んだ。
『愛』ということばを知らない私達はそうやって生きていた。兄の死はかけがえのないものが、奪われ失われることがあるという事を
私に教えた。多分私は愛というものの原型を意識化する前に覚えたのだと思う。
男を愛し子を産んだ。子を産むことで、私は与えるだけの喜びを知らされた。それは私が創ったわけではない。子供が誕生と共に私に
与えたものであった。
愛した男を失った。それは私の中で失われ、失われたものをまじまじと見つめる地獄を知った。あらゆる宗教はやがて失われていく愛
をおそれた人間の知恵が創ったのかも知れない。
ゆるやかに崩壊していった家庭を営みながら、私は一冊の絵本を創った。一匹の猫が一匹のめす猫にめぐり逢い子を産みやがて死ぬという
ただそれだけの物語だった。『1〇〇万回生きた猫』というただそれだけの物語が、私の絵本の中でめずらしくよく売れた絵本であった
ことは、人間がただそれだけのことを素朴にのぞんでいるという事なのかと思わされ、何より私がただそれだけのことを願っていることの
表われだった様な気がする。('85)」
(佐野洋子著「私はそうは思わない」ちくま文庫 所収)

