「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

黄昏の独立13州  Long Good-bye 2021・10・16

2021-10-16 05:44:00 | Weblog


    今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典 「 ウィキペディア 」に掲載されている 、

   1776年 、 アメリカ合衆国の建国時の 「 13植民地 」についての 解説記事 。

   米国 建国時の歴史のおさらいです 。アメリカの子供たちは 、学校で 、いの一番 、 この時代のお勉強をするんでしょうね 。

   

  「 13植民地( じゅうさんしょくみんち 、 Thirteen Colonies )とは 、イギリス第一次植民地帝国 の

   北米植民地 をさす 。

    1776年の独立宣言 、その後のアメリカ独立戦争を経て 13植民地 は アメリカ合衆国として独立

   した( 建国時の13州は 「 独立十三州 」 とも呼ばれる )。」

   
   「 ニューイングランド植民地群

    ニューハンプシャー植民地( ニューハンプシャー )
    マサチューセッツ湾直轄植民地( マサチューセッツ )
    ロードアイランド植民地( ロードアイランド )
    コネチカット植民地( コネティカット )

    以上は 後に「 ニューイングランド 」と総称されるようになる各地域。

    中部植民地群

    ニューヨーク植民地( ニューヨーク )
    ニュージャージー植民地( ニュージャージー )
    ペンシルベニア植民地( ペンシルベニア )
    デラウェア植民地( デラウェア )

    南部植民地群

    メリーランド植民地( メリーランド )
    バージニア植民地( ヴァージニア )
    ノースカロライナ植民地( ノースカロライナ )
    サウスカロライナ植民地( サウスカロライナ )
    ジョージア植民地( ジョージア )             」


   「 概 要

    イギリス帝国では 、1607年のヴァージニアに始まり 、1732年のジョージアにいたる北アメリカ

    大陸東海岸に13植民地が形成された 。フランス北米植民地とくらべると 、ヨーマン( 自営農民 )

    として家族単位での植民と定住が一般的であり 、そのため人口も多く 、かれらは農地の確保を

    指向していたため 、先住民であるインディアンと衝突することも多かった 。

    イギリス国王の特許状による自主的な運営がおこなわれ 、政治的自由が認められており 、その

    緩い支配は「 有益なる怠慢 」と称されていた 。


    13植民地の経済的な特色は 、北部南部では著しく異なり 、中部はその中間的な特色を有していた 。


    プリマスやマサチューセッツなどを中心とするニューイングランド植民地( 北部植民地 )は

    ピューリタンが多く 、自主独立の気風が強かった 。この地域では庶民の立法機関であるタウン

    ミーティング制度が発達していた 。豊富な水力や木材を利用した工業も発達し 、産業資本家や

    労働者の形成もみられた 。農業の大規模経営は発展しなかった 。



    ヴァージニアやサウスカロライナなどの南部植民地では 、プランテーションとよばれる大規模

    農業経営が広まった 。そこでは当初白人の年季契約農を使用していたが 、労働力不足からしだいに

    アフリカ大陸から黒人を奴隷として輸入するようになった 。プランターの多くは保守的で 、

    またカトリックの勢力が多かった 。そこでは 、本国の議会制度を模したカウンティ( 郡 )の

    制度が採用されることが多かった 。



    ニューヨーク、ペンシルベニアなどの中部は小麦を中心とする農産物輸出がさかんであったが 、

    奴隷制プランテーションは発達せず 、農業と商業を中心に発達した 。


    植民地人口は18世紀に入って急増した 。


    独立戦争へ

    『 有益なる怠慢 』と呼ばれた植民地支配が転機を迎えたのは 、フレンチ・インディアン戦争

    であった 。この戦争で勝利したイギリスは 、1763年宣言でアパラチア山脈を越えての植民地人

    の進出を規制した 。これが 、「 イギリス人 」として戦争に協力した植民地人の怒りを買うこと

    となった 。イギリスは戦費支出の増大による財政難から 、それまでの緩やかな植民地支配から

    厳しい産業統制に転じ 、砂糖法( 1764年 )、印紙法( 1765年 )などを施行して13植民地に

    対する課税を強化した 。これに対し 、イギリス議会に代表を持たない植民地議会は「 代表なく

    して課税なし
」ととなえて抵抗し 、一連の税法を廃止に追いこんだ 。しかし 、イギリス議会は

    1773年に東インド会社に茶取引を独占させる茶法を制定したため 、植民地側の不満が頂点に

    達し 、インディアンに扮した植民地人が 、ボストンに入港したイギリス船内の茶を海に投棄する

    ボストン茶会事件
が起こった 。イギリス側はボストン港閉鎖などでこれに対処したため 、

    1774年 、13植民地は大陸会議を開いた 。1775年 、両者はついにレキシントン・コン

    コードの戦いで武力衝突し 、植民地軍は ジョージ・ワシントン を総司令官に選んでアメリカ

    独立戦争
に突入した 。」

    引用はここまで 。

    バイデンさんは 、ペンシルベニア州生まれの 、デラウェア州育ち 、トランプさんは 、生まれも 、育ちも 、ニューヨーク州 ニューヨーク市 。

    カマラ・ハリスさんは 、ニューフロンティア 、カリフォルニア州 オークランド のお生まれ 、線路は続くよ 、アパラチア山脈を越えて「 時代は西へ 」 、

    となるのかどうか ?




                        
コメント
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