今日の「 お気に入り 」は 、ジャン=ジャック・ルソーさん ( 1712 - 1778 ) のお言葉 。
( " Happiness is a good bank account, a good cook and a good digestion. " )
「 幸福とは 、銀行口座が豊かで 、よい料理人がいて 、胃腸が丈夫なことだ 。
( 逐語訳:「 幸福とは 、良い銀行預金口座〔残高〕、良い料理人、良い消化 」)
― ジャン・ジャック・ルソー ( Jean-Jacques Rousseau )」
もう一つ 、どこぞの 、どなたかのお言葉 。
( " Exercise regularly. Eat sensibly. Die anyway. " )
「 ほどほどに食べ 、定期的に運動し 、どちらにせよ死ぬ 。」
ルソーさんについて 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」にかなり
長い解説記事が掲載されています。以下は 、その書き出しと「 幼年期 」の部分のみ 。
「 ジャン=ジャック・ルソー( Jean-Jacques Rousseau 、
1712年6月28日 - 1778年7月2日 )は 、フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ 、
主にフランスで活躍した哲学者 、政治哲学者 、作曲家 。」
「 ジャン=ジャック・ルソーは 、1712年6月28日 、ジュネーヴの
グラン・リュ街にて誕生した 。父はイザーク・ルソー 、母はシュザンヌ・ベルナール 。
ルソー家の先祖はパリ近郊モンレリに由来し 、
1549年にディディエ・ルソーがプロテスタント弾圧から
逃れるためにジュネーヴに移住したことに起源がある 。
ジュネーヴはカルヴァン派のユグノーが構成するプロテスタント
の都市共和国であり 、当時はまだスイス誓約者同盟に加盟して
いなかった 。ジュネーヴはルソーの故郷であり続け 、自分を
ジュネーヴ市民として見ていた 。
父イザークは陽気で温和な性格をもった時計職人であり 、
ルソー家が代々営んでいた『 時計師 』は 、当時のジュネーヴでは
上位身分であった市民と町民のみに限定される職であった
(母方の祖父も時計師であった )。要するにジャン=ジャックは
貧困層ではない中間的な職人階級の家に生まれたのであるが 、
幸せな家庭環境や安定した人生に恵まれなかった 。
7月7日 、ジャン=ジャックは生後9日にして母を喪っている 。
母シュザンヌ・ベルナールは裕福な一門の出で、賢さと美しさを
具えていたと言われている 。ジャン=ジャックは母からこうした
美点を受けついで誕生するが 、幼いころは病弱であった 。
病気がちであったことは精神面の敏感さと共に生涯にわたって
苦悩の原因になっていく 。
5年後の1717年にルソー家は上流階級の住む街グラン・リュから
庶民の住むサン=ジェルヴェ地区に居を移し 、
ジャン=ジャックは父方の叔母シュザンヌ・ルソーの養育を受け 、
父親を手本に文字の読み書きなどを教わりながら育った 。
7歳の頃から父とともにかなり高度な読書をおこない 、小説や
プルタルコスの『 英雄伝 』などの歴史の書物を読む 。
この時の体験から 、理性よりも感情を重んじる思想の素地が培われた 。
1722年 、ルソーが10歳のころ 、彼の人生は一変する 。」
ルソーさんの寸言と言われるものを二つ、三つ 。
どうやら 、お言葉どおりの人生は歩まなかった方のようですが 、
二百年以上あとの現代にも通じるようなことを仰ってるから不思議です 。
「 節制と労働こそが、人間にとって最良の医者である。
労働は食欲を活発にし、節制が過剰に食におぼれるのを防いでくれる。
Temperance and labor are the two best physicians of man;
labor sharpens the appetite, and temperance prevents from
indulging to excess.
自由なる人々よ 、この言葉を忘れるな 。我々は自由を得るかも知れない 、
しかし一度それが失われると取り戻す事はできぬ 。
Free people, remember this maxim: We may acquire liberty,
but it is never recovered if it is once lost.
自然に還れ。
Back to Nature. 」
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