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掲載の記事「 フリヴニャ( ウクライナ語 : ривня ) 」。
フリヴニャは、ウクライナの通貨単位。
国際通貨コード( ISO 4217 )は「 UAH 」。ウクライナ語の略称は「 грн. (hrn.) 」。
補助単位はコピーカ (копійка ) であり 、1フリヴニャ = 100コピーカ 。独立国に通貨あり 。
ウクライナのキエフ市に本店があるウクライナの中央銀行「 ウクライナ国立銀行 」が
発行する通貨 フリヴニャの歴史が解説されています 。適宜 、取捨抜粋して引用します 。
「 歴 史
20世紀まで
フリヴニャは11世紀にキエフ大公国で通貨として使われていた(グリヴナ)。
これは、ルーシ全体の通貨であったとされる 。
フリヴニャはスラヴ語のgrivaから派生している 。現在ではフリヴニャは馬のたてがみ
という意味であるが 、もとはサンスクリットに由来する言葉で『 首 』という意味で
あった 。同様にして 、そこからフリヴニャは 、金や銀で作られた首の周りに着用さ
れる装飾品を指し示すようになり 、転じて一定の重さの金塊か銀塊を示すことにな
った 。当時は他にもノガタ、クナ、ベクシャの3つの補助単位が使われていた 。
ノガタ ( nogata ) は 熊や狼のような大きな動物の毛皮を意味し 、クナ ( kuna ) は
テンなどの小動物の毛皮を意味している 。最も小さなベクシャ ( veksha ) はリスの
毛皮を意味している 。
ロシア帝国時代は 、ウクライナではカルボーヴァネツィと呼ばれた ルーブル が通貨
単位として用いられた 。ウクライナにおけるルーブリは 、それまでのフリヴニャに
新たに名称を与えるという形で現れた 。のち 、ズロトニクなど帝国共通の単位が用
いられるようになった 。
ウクライナ内戦期
1917年に成立したウクライナ人民共和国では 、共和国成立以前からウクライナ中央
ラーダによって新しいウクライナの通貨の選定が行われていた 。最初に採用された
のはカルボーヴァネツィで 、1917年7月18日に決定された 。これは 、ロシアの通貨
単位ルーブリのウクライナ名がカルボーヴァネツィであったことを考えれば 、ウク
ライナが独自の通貨を定めることにより自国の独自性を強調すると同時に、ロシア
との連携関係も重視していたことを意味していると考えられる 。補助単位としては
シャーフが採用され 、200シャーフで1カルボーヴァネツィとされた 。
しかし 、十月革命でボリシェヴィキが政権を奪取すると 、それを非難したウクライ
ナとソビエト・ロシアの関係は急激に悪化 、ウクライナ・ソビエト戦争が開始され
た 。12月19日には100カルボーヴァネツィに相当する単位としてクピュラが制定さ
れた 。1918年1月 、赤軍によって首都を追われたウクライナ政府はドイツ帝国と同
盟することで首都を奪還した 。
こうした中 、3月1日には 、新たな通貨単位としてフリヴニャが選定された 。補助
単位としてはシャーフが用いられた 。この単位は 、100シャーフおよび1/2カルボー
ヴァネツィに相当するとされ 、2、10 、100 、500 、1000 、2000フリヴニャ紙幣が
発行された 。これらは、ドイツで造幣された 。
4月のヘーチマンの政変によって成立したウクライナ国では 、カルボーヴァネツィ
とクピュラ 、シャーフが基本単位として用いられた 。12月にディレクトーリヤが
政権を奪取しウクライナ人民共和国を復活させると 、基本単位はフリヴニャに置か
れた 。しかし 、1919年10月までカルボーヴァネツィの発行は続けられた 。その後 、
ウクライナ人民共和国は戦争に敗れて壊滅し 、政府は海外へ亡命した 。
ソ連時代
ソ連時代 、ウクライナではソ連カルボーヴァネツィと呼ばれる通貨が使用されたが 、
これはソ連全体で言うところのソ連ルーブリと同じものであった 。ウクライナ的な
フリヴニャは排除され 、多くは破棄された 。
1941年から1944年のあいだナチス・ドイツによってポーランドからベラルーシ 、
南ロシアにかけて建国された国家委員領ウクライナ( ライヒスコミッサリアート・
ウクライナ )では 、ソ連ルーブリにかわってカルボーヴァネツィが通貨単位とし
て採用された。これは 、ドイツの撤退と国家委員会の崩壊により廃止され 、再び
ソ連ルーブリに戻された。
ウクライナの独立時代
ウクライナの独立により 、1992年にソ連時代に使用されていたソ連ルーブリにかわ
って採用されたのがカルボーヴァネツィ( 通称クポーン )であった 。
しかし 、経済の混乱もありこの通貨は一時的単位に終わった 。極度のインフレによ
り流通する通貨の桁は数万から10万にまでなり 、1996年には新たな通貨単位フリヴ
ニャへの転換が実行された 。それまでの10万カルボヴァーネツィが1フリヴニャに
換算され 、切り替えは年内に実施された 。これは 、実質的なデノミネーションで
あった 。なお 、補助単位としては1992年よりコピーカが用いられているが 、ロシ
ア系のこの単位のかわりにウクライナ系のシャーフを採用するという動きもあった
が 、実現されなかった 。
2003年には 、公募によりフリヴニャのサインが決定された 。2004年にウクライナ
国立銀行が 、フリヴニャを示す綴りとして混同されていたгривня ( hryvnia ) とгривна
( hryvna ) の語源の公式調査に着手した 。その結果 、гривна ( hryvna ) が女性用の
装飾品を示していたこと 、そしてгривня ( hryvnia ) が中世に使われていた通貨単位
であることが確認され 、以後гривня ( hryvnia ) が 、正式名称となった 。」
引用おわり 。
ウクライナの都市で 、団塊世代に馴染み深いのは 、ヤルタ 、オデッサ 、キエフ 。
あっ 、ヤルタはクリミアだっけ 。ロシアが2014年の侵攻でとっちゃったとこ 。
今回もその続き 。
ヤルタと言えば 、ヤルタ会談 、スターリンを思い出す 。ダーチャが沢山ある保養地 。
今スターリンのプーチン・ロシアがほっとく訳がない 。
そう言えば 、プーチン大統領のダーチャは ソチ にありましたっけ 。
因みに 、
ロシアのプーチン大統領のフルネームが 、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンで 、
ウクライナのゼレンスキー大統領のフルネームが 、ウォロディミル・オレクサンドロヴィチ・
ゼレンスキー 。ロシア語とウクライナ語の読みの違いはあるけれど 、ファースト・ネームの
ウォロディミルをロシア語読みすればウラジーミルで 、お二人は同名のよう 。
69歳 vs. 44歳 。親子ほども年が違う。ネクタイきりりと締めた爺さん vs. Tシャツ姿の若造 。
片や 「 ロシアの政治家、元諜報員 。ロシア連邦第2・4代大統領( 2000年 - 2008年 、2012年 - 現在 )
である。また 、1999年から2000年まで 、2008年から2012年まで首相を務めた 。欧州ではベラルーシ
のアレクサンドル・ルカシェンコに次いで2番目に長く現職の大統領を務めている 。」と紹介され 、
片や 「 ウクライナの政治家、元俳優、コメディアン 。ウクライナ第6代大統領 」と紹介される 。
ヒール vs. ベビーフェイス 、お互い 、腹に一物 ( いちもつ ) 、手に荷物 ( にもつ ) 。