今日の「 お気に入り 」。
「 地球上に10億人がすむようになったのは1804年です 。西暦1年の前
を4000年と考えると 、人口が10億人になるまでに6000年近くか
かったわけです 。
その後は 、約120年後に20億人 、その約30年後に30億人 、以降は
15年後、13年後、12年後に10億人ずつ増えてきています。これは
幾何級数的といったくらいのものではありません 。L字を左右逆さにした
ようなものすごい勢いで伸びています 。
1950年 、私が5歳の時 、世界人口は25億人でした 。今は77億人 。
この私の短い一生の間に 、地球上の人口がなんと3倍以上になっている
のです 。
まもなく100億人を突破しようとしています 。どうやって資源や食料を
確保していくのか非常に心配な思いがします 。
物理のブラウン運動の法則のように 、一定の空間に分子が閉じ込められれ
ば 、熱や圧力が加わることで 、分子の活動がものすごく活発になる 。
それがいま世の中に出てきていると思います。 」
「 私たちは 宗教に関して あまりにも無頓着です 。12月24日に教会へ行って
ミサに参列して 、31日にはお寺に行って除夜の鐘をついて 、1月1日には
神社へ行って柏手を打っても 、何の矛盾も感じない 。
それはそれで1つの生き方です 。神道というのは 、木にも 、森にも 、川に
も 、水にも 、すべてに精霊が宿る 、八百万 ( やおよろず ) の神様がいる 、
そういう宗教ですね。
でも世の中はそれだけではない 。あの中近東の砂漠の照りつける太陽 。一歩
外にさまよい出れば砂漠しかない 。死が待っています 。ギラギラとする真っ青
な空が 、夜になると宝石を散りばめたような星の空になりますけれども 、非常
に冷え込みます 。そのままいれば凍え死ぬような気候です 。
生と死 。闇と明るさ 、そういった非常にハッキリした二分法の世界で初めて 、
正か邪かという一神教の世界が出てくるんです 。
世の中に神様はただ1人 、それ以外はすべて宗教ではないという厳しさ 。私は
中近東に行くまでは愚かにも 、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が同じ宗教
だということを知りませんでした 。でも 、言われてみればそうなんですね 。
この3つの宗教はいずれも唯一神 、つまり唯一絶対無二の神様が1人いらっし
ゃるだけ 。となると 、その差は 、その神様のメッセージを我々人間に伝える
預言者は 、モーゼであり 、キリストであり 、ムハンマドであり 、と違います
が 、神様は同じ神様なんです 。
だからこそ 、その中で正統派争いの 、厳しい妥協を許さない社会がある 。」
「 今後30年 、東アジアで節目となる出来事
2045年 光復節100周年
2047年 香港返還50年
2048年 北朝鮮建国100周年
2049年 中国建国100周年 」
「 習近平は『 偉大なる中華民族の大復興の夢 』というフレーズを繰り返し
使ってきました 。それはどういう意味か 。
( 中 略 )
台湾を併合することが習近平の言う 『 大復興の夢 』なのだと私は確信
しています 。
彼が終身国家主席の道を拓いたのは 、単に政治的な野心が成せる業では
ないと思います 。台湾併合という中国国家の最大の目標を 、自分の手で
実現するのだという固い決意のためでしょう 。
( 中 略 )
2019年1月2日の演説でも 、習近平は 、『 自分たちは台湾と統合
するのが目標であり 、武力を使わないという約束はできない 』とはっき
り言っています 。
2049年に 、中国が自らを祝福して 、世界の 強大国として君臨する 。
その時には台湾は完全に中国のものになっているというのが彼らのシナ
リオです 。これを中国が行えば 、日本に対する最大の危機が起こります 。 」
「 私は 、日本に対する最大の危機は北朝鮮ではないと思っています 。日米
安保条約がありますから 、もし北朝鮮が日本にミサイルを飛ばせば 、ア
メリカが北朝鮮に反撃 、ミサイルを飛ばす 。そうすれば 、北朝鮮は無く
なってしまいますから 、金正恩はそこまでやらないと考えます 。
しかし 、中国の台湾問題は現実の脅威です 。中国が台湾を攻撃するのは
現実的な可能性があると思います 。その時に日本は巻き込まれる 。巻き
込まれたとき 、アメリカがどう出るかです 。
中国が仮に台湾を取りに行ったらどうなるのか 。アメリカの国民は5割
以上が『 台湾を助けろ 』となるでしょう 。アメリカは台湾の方から独立
宣言をするような挑発的な行動をとらない限りは 、台湾を防衛すること
になると思います 。つまり 、台湾海峡で中国軍を阻止するということで
す 。それは台湾を守る 、中国にまだ台湾が取られてない時にアメリカが
助けに行くという意味です 。
ところが 、中国がその時に台湾を既に取っていたら 、人民解放軍がすで
に掌握していたらどうか 。そこをアメリカが数万人の兵隊の血が流れる
ことを覚悟してまで奪取するでしょうか 。私は 、それはないと思います。
中国はそれをよくわかっていると思います 。
中国はアメリカと戦争をしたくない 。それは核兵器を使った戦争になり
ますから 。中国の狙いは 、電光石火のうちに台湾を完全に降伏させて 、
自分たちの軍事支配下においてしまうことだと思います 。中国は着々と
それを実現するために軍事の拡張を進めているわけです 。
ミサイルの飽和攻撃を行うことによって台湾の戦意を挫 ( くじ ) き 、降
伏させる。その時の台湾政府が中国寄りかどうかでだいぶ違います 。
中国にとってみれば 、台湾政府は非常に大事なんです 。国民党が勝っ
たからといって 、中国との統合に賛成とは思わないでしょう 。民進党が
勝ったからといって 、直ぐに独立はしないでしょう 。
しかし 、戦争になった時に 、いち早く中国の軍門に降る 、そういう政
権が中国にとってはほしいのです 。 」
「 アメリカもそのことを知っています 。自分たちが行く前に台湾が占領
されてしまったら 、国民世論も議会も 、アメリカの行政府も 、軍事介
入を支持しないでしょう 。
台湾関係法にある『 合衆国は 、十分な自衛能力の維持を可能ならしめ
るに必要な数量の防御的な機材および役務を台湾に供与する 』は 、とに
かく台湾に長く持ちこたえてくれということなんです 。
これが功を奏して1週間 、2週間持ちこたえることができれば 、アメ
リカは出動するということでしょう 。
その時に日本は 、日米安保条約があればアメリカについていかなけれ
ばなりません 。後方支援をしなければならない 。
そうなると 、日本と中国の軍事衝突の可能性すら出てきます 。これが
下手をすれば 、2020年代の後半ないし2030年代の前半に起こる
可能性があるわけです 。
なぜなら 、2049年の大祝賀行事 、その記念すべき時に 、中国は世
界中から祝福されなければならない 。世界中と敵対して孤立化した中国
になることは 、習近平は絶対に避けたい 。そのために 、早めに 、20
年くらい前に台湾を押さえておく 。
当然 、中国は孤立して世界中から非難されますが 、20年経てば記憶
が薄れると彼らは考えています 、というのがアメリカの専門家の議会証
言でした 。
1989年の天安門事件で中国は世界中から攻撃されましたが 、北京
オリンピックでは世界中から歓呼の声を浴びて開催できました 。『 だ
から2020年代後半 、30年代前半が危ないんだ 』という見立てで
す 。
日本の最大の外交目標が何かと言えば 、中国をその誘惑に駆らせない
ことです 。中国がそういうことをしないように 、まずは平和的に中国
を説得することです 。
ただし 、それだけでは将来的には不十分でしょう 。あとは軍事的に対
応する必要があります 。
つまり 、アメリカと一緒になって 、きちっとした抑止力を作ること 。
そして台湾を攻撃したら日米両国からどういうしっぺ返しがくるかとい
うことを 、彼らにわからせておく必要があります 。 」
( 出典:岡本行夫著 「 日本にとって最大の危機とは?
〝 情熱の外交官 〟岡本行夫 最後の講演録 」 文芸春秋社刊 )
( 筆者註 :・ 「 エルサレム または イェルサレム( ヘブライ語 : יְרוּשָׁלַיִם He-Jerusalem .
ogg Yerushaláyim ; アラビア語 : القُدس ArAlquds.ogg al-Quds )は 、
イスラエルにある都市 。エルサレムは 世界最古の都市の一つであり 、
エルサレム は ユダヤ教 、キリスト教 、イスラム教 の 聖市 と見なさ
れている 。
イスラエル は エルサレム が 自国の『 首都 』であると宣言している
ものの 、国際連合など 国際社会は これを認めておらず 、イスラエル
の首都は テルアビブ であるとみなしており 、パレスチナ自治政府は
東エルサレム を パレスチナ国の首都 と主張している 。イスラエルと
国交を持つ諸国も 、大使館や領事館は エルサレム でなく テルアビブ
に置いてきたが 、2017年に アメリカ合衆国 の ドナルド・トランプ
大統領 は エルサレムをイスラエルの首都であると明言し 、2018年5月
にアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた 。」
・「 岡本 行夫( おかもと ゆきお 、1945年〈 昭和20年 〉11月23日 - 2020年
〈 令和2年 〉4月24日 )は 、日本の外交評論家 ( 産経新聞「 正論 」メン
バー )、実業家 。元外交官 。内閣総理大臣補佐官( イラク担当・沖縄
担当 )、内閣官房参与 、内閣総理大臣外交顧問等を経て 、マサチュー
セッツ工科大学国際研究センターシニアフェロー 、立命館大学客員教授 、
青山学院大学特別招聘教授 。
・略 歴
神奈川県生まれ 。鎌倉市及び藤沢市で育つ 。父親は 農林省職員 で 、
父親の仕事の関係で 、中学時代2年間マレーシアの首都クアラルンプール
に滞在した 。神奈川県立湘南高等学校を経て 、1968年( 昭和43年 )に
一橋大学経済学部を卒業し 、外務省入省 。外務省同期に 東郷和彦 、馬渕
睦夫らがいる 。在アメリカ合衆国日本国大使館参事官 、北米局安全保障
課長 、同北米第一課長 など 日米外交の有力ポストを歴任し 、将来を嘱望
される存在だったが 、1991年( 平成3年 )に退官( 辞職 )した 。
管理職となって現場に関われなくなることに不満があったという 。なお 、
退官時の 外務事務次官 は 栗山尚一 、ナンバー2 の 外務審議官 は 小和田
恒( 皇后陛下の父 )と 渡邊幸治 。
・外交評論家として
外務省退官後はコンサルタント会社「 岡本アソシエイツ 」を経営しながら 、
産経新聞の提言コラム「 正論 」欄の「 正論メンバー 」としてに定期的に
執筆 。2019年6月 ホルムズ海峡タンカー攻撃事件では 翌7月『 自国の船は
自分で守れ 』と題して「 今度こそ自分の力で自国民を守るという課題に 、
正面から向き合うときだろう 」と寄稿するなど 、親米派の外交評論家と
して活動した 。
また 、第1次橋本内閣 、第2次橋本内閣で 内閣総理大臣補佐官 、小渕内閣
で 科学技術庁参与 、第1次小泉内閣で 内閣官房参与 、第2次小泉内閣で
内閣総理大臣補佐官 、第3次小泉内閣で 内閣総理大臣外交顧問 、福田康夫
内閣で 外交政策勉強会メンバー を務める等 、政府要職も数多く歴任して
いる 。 特に橋本内閣においては 、沖縄問題担当として 60回以上に渡り
沖縄入りして 現地との信頼関係を築きながら 、普天間基地の返還・代替地
移設問題や沖縄振興策策定の最前線で活動したとされる 。2009年12月には 、
鳩山由紀夫内閣の普天間基地移設問題への対応で日米関係が悪化する中 、
鳩山由紀夫首相と総理大臣官邸で面会 。知米派の岡本が個人的な立場から
外交面で協力するとの合意をしたと報じられた 。
( 中 略 )
2020年4月24日に新型コロナウイルス感染症のため死去し 、5月7日に報じ
られた 。74歳だった 。死没日をもって正五位叙位 、旭日中綬章追贈 。
マイケル・グリーン、カート・キャンベル、リチャード・アーミテージなど
から追悼の言葉が寄せられた 。
・人 物
原点は湘南高校
3兄弟の次男で 、3人とも「 家のすぐそばだった 」湘南高校に進学 。「 自分
は( 私学の )栄光学園に入る 秀才タイプでもなく 、ましてや 慶應のお坊
ちゃんでもない 」といい 、「( 公立の )湘南( 高校 )は 自由で徒党も
組まず 、そこには惹かれたかも 」。
ただし 、卒業後に 兄は東京大学から三井物産に 、弟も東大から米国ニュー
ヨークの国際弁護士になった 。岡本1人だけ 一橋大に進学した理由について 、
湘南高で部活動のサッカーに熱中して成績が下がったためとしており 、
サッカー部も 両親から忠告され 高2の秋に退部した 。「 悔やみました 。
人生最大の敗北 」で「 不甲斐なくてね 、その後 、毎日家から海岸まで
夜走った 」といい 、「 高校時代に足腰を鍛えたおかげか 、今でも健康
ですよ( 笑 )」と 、月刊誌 Wedge のインタビューに語っている 。
湘南高の同級生 近藤誠一 も外交官( 第20代文化庁長官 )となり 、
同窓の先輩の 石原慎太郎( 政治家で元東京都知事 )と「 よく飲みに
行った 」。後年石原は 、後任の都知事に岡本を推したが辞退され 、
一橋大教授にも推薦したが 、これも叶わなかった 。後輩で国際政治学者
の 三浦瑠麗 について「 活躍は嬉しいですね 。僕も新聞の対談で知り合
って 、応援しなくちゃって( 笑 )」。なお 、一橋大で ヨット部に入っ
ているが 、「 “ 湘南ボーイ ” って呼ばれるのは嫌いでね 。底抜けに明る
くなれないんですよ 」。
一橋大では 、ゼミの同期に 鈴木典比古( 元国際基督教大学学長 。現・
国際教養大学学長 )が、同級生に 三幣利夫( 元中東住友商事社長 。
現・敬愛大学学長 )、岡本毅( 日本経済団体連合会副会長 )がいる 。」
「 年 譜
・ 1961年( 昭和34年 )3月 藤沢市立鵠沼中学校卒業
・ 1964年3月 神奈川県立湘南高等学校卒業
・ 1968年3月 一橋大学経済学部卒業( 板垣与一ゼミ )
・ 1968年4月 外務省入省
・ 1969年 英語研修( 米国スワースモア大学 )
・ 1971年 経済協力開発機構日本政府代表部
・ 1973年 経済局国際経済課事務官
・ 1975年 経済局国際機関第一課事務官( 貿易交渉担当 )
・ 1978年 北米局北米第一課首席事務官
・ 1981年 在エジプト日本国大使館一等書記官( 中東和平担当 )
・ 1983年 在アメリカ合衆国日本国大使館参事官( 政務担当 )
・ 1985年8月 北米局安全保障課長
・ 1988年7月 北米局北米第一課長
・ 1991年( 平成3年 )1月 退官
( 後 略 ) 」
以上 ウィキ情報 。46歳で退官 。74歳で他界 。
岡本さんといい 、安倍さんといい 、嗚呼 残念 ! )
二日草 ?
視座を変えると 、景色も変わる 。
日本海 と 東シナ海 を 眼窩 と見れば 、朝鮮半島は 鼻梁 。
樺太 から 台湾 までは 、宛転蛾眉 、それとも 目の上の たん瘤 ?
琉球あたりは島影うすい 。眉の向こうは 、遮るものとてない太平洋 。