今日の「 お気に入り 」は 、山田太一さんのエッセイ
「 夕暮れの時間に 」から「 七番目の子ども 」の一節 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 出生率が落ちている 。『 少子化対策 』ということがいわれている 。
しかし 、地球規模で見れば 、エネルギーのためにも 食糧のために
も 、人口減少は あきらかに のぞましい傾向で 、日本だけ なんとか
もう一度 人口を増やして 国力をつけようなんて 、いかにも 目先の
経済の御都合主義で 、子どもを産む人の 幸不幸 など とんと視野に
ないという気がする 。
第二次大戦中に 、兵力の減少を心配して『 生めよ 、増やせよ 』
と提唱した政策を思い出す 。戦死者が多いので 、もっと産んで 早
く育てて 次の戦力にしようというのだから 随分バカにした話であっ
た 。
それが敗戦となり 、どっと海外にいた日本人が戻ってくると 、
今度はなんとか人口を減らそうとして 、南米の荒地を楽園のよう
にいい 、数からいえば人口に大きな変動を生むわけでもないのに 、
何千人かの人々を嘘までついて移民船に乗せ日本から追い出した
りしたのである 。
国の政策なんていつもそんなものだし 、いま時の女性が『 少子
化対策 』のせいで どんどん子どもを産むとは到底思えないから 、
対策の犠牲者の心配はないだろうし 、この先は『 少子化 』を現
実として受けとめ 、それをプラスとして生きる他はないのだ 、と
いうように思っていた 。いまだってそう思っているが 、実は一点 、
ある事実に気が付いて 、幾分気持が複雑になっている 。
私事 ( わたくしごと ) である 。それを一般論に持ち込むのは無
理があるし 、根拠にして なにかを主張する気など さらさらない
のだが 、妙に頭をはなれない 。
それは 、私が両親の七番目の子どもだということである 。下に
妹が一人いて 、母は八人の子どもを産んだ 。
いまの日本なら七番目の子どもなんて 、まず生まれる機会がない
だろう 。八番目の妹はもっとない 。しかし 、妹も 私も たっぷり
いろいろな思いをして 七十年前後の人生を生きて来た 。妹には二
人の子どもがいて孫が一人いる 。私は三人の子どもがいて三人の
孫がいる 。
しかし 、妹も私も 、いまの日本なら 、ほとんど存在しない子ど
もなのである 。
時代によっては自分は存在しない人間なのだという感覚など奇妙
すぎて共感を求めようもないが 、街を歩いていると 、この雑踏の
大半は一番目か二番目か三番目に生まれた人だろうと思い 、たま
には五番目 、六番目もいるだろうが 七番目というのは少ないだろ
うと 、自分が生きていることの不思議に立ち止まったりするので
ある 。
テレビで動物のドキュメンタリイを見ていると 、大きかろうと
小さかろうと 、生物の生涯の最大のテーマは 次世代をつくること
で 、ほとんどの生物は 一生の大半を生殖 、出産 、子育て 、子
離れに費して 、あとは死ぬだけ 、他の目的はないかのようであ
る 。母もそれに近いところで死んだ 。五十歳であった 。
そのような女の一生から 、いまの日本は 半ば 脱したのである 。
女性が自分の人生を楽しむことを当然とし 、子どもではなく 自
分のために生きることを目指して 臆することのない社会 をかなり
のところまで手にしたのである 。それが少子化という現象の大
きな意味であり 、仮に それにマイナスがあったとしても それは
また 子どもをもっと産むということで解決することではなく 、
少子化の現実の中でなんとか工夫すべきことだろうと思う 。
理性は 、そう思う 。
だから 、それでいいのだが 、しかし 、もしこの理性が 私の生
まれた昭和初期の日本の社会で機能していたら 私はまず存在して
いない七番目の子どもであり 、そういう人間が 、自分はうまく
多産の時代に生まれて存在できたのをいいことに 、いま七番目に
生まれる順番の子どものことなどまったく知らん顔で 少子化を肯
定ばかりしていいのか 、という無茶苦茶といえば無茶苦茶 、極
私的といえば極私的な気持ちの始末をつけかねている 。
( 後 略 )
( 『 婦人公論 』 2006年2月22日 ) 」
引用おわり 。
( ´_ゝ`)
毎年10月の最終金曜日は 世界キツネザルの日 ( World Lemur Day ) 。
今年は今日 。