今日の「 お気に入り 」は 、田原総一郎さんと佐藤優さんの
共著 「 人生は天国か 、それとも地獄か 」( 白秋社 刊 ) から 、
「 知の巨人 」佐藤優さんの述懐 。備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 世の中を見渡せば 、理不尽な事故や事件に
巻き込まれ 、肉親が不幸に見舞われている人
が少なくありません 。なぜ私の子が 、親が 、
妻が 、夫が ・・・ その悲嘆はいかばかりで
しょう 。しかし 、思いもかけない不幸は 、
残念ながら誰の身にも起こり得ることです 。」
「 私の場合 、命の危険には晒されませんでし
たが 、身に覚えのない事件に巻き込まれてし
まいました 。逮捕されたとき 、父はすでに
他界していましたが 、母はどんな思いだった
のでしょうか?」
「 母と私はプロテスタントのキリスト教徒です 。
キリスト教では 、人間は死ぬと肉体も魂も
完全に滅びてしまいます 。しかし 、イエス・
キリストの再臨で復活し 、審判にかけられま
す 。これが『 最後の審判 』であり 、神を信
じ 、神の意向にならって生きた者はイエス・
キリストと共に神の国に行き 、永遠の命を得
るとされています 。キリスト教徒はそれゆえ 、
死こそが信仰の完成であると考え 、死という
ものを恐れません 。
ですから 、キリスト教徒は 、死や孤独 、そ
して危機に強いといえるでしょう 。自分の命は
神のものであり 、命が終われば神のもとに帰る
と信じているのですから 。
実際 、私が512日間の拘留と厳しい取り調
べに耐えられたのも 、信仰を持っていたことが
非常に大きかったと思います 。ここで受けた試
練は神の意志であり 、それを乗り越えることで
神に近づくことができる 、どんな不条理な出来
事に直面しても 、不条理であればあるほど 、自
らと自らの信仰を確立する機会だ 、と思いまし
た 。
拘置所の外に出て作家として働き 、その後 、
腎機能が低下して透析を受けることになっても 、
また新型コロナウィルスが蔓延しても 、どこか
醒めた目で見ています 。」
(⌒∇⌒)
「 ここで『 旧約聖書 』の『 ヨブ記 』の話をし
ましょう 。
ヨブは 、信仰が篤く 、たくさんの子どもを授
かり 、また働き者で 、資産に恵まれた人物で
した 。そんなヨブに嫉妬した悪魔は 、神に対
して賭けを持ちかけます 。
『 ヨブの信仰は 、しょせん財産と子どもに恵
まれたからだ 。それを奪ったら 、きっと神を
呪うに違いない 。賭けをしよう 』
ヨブの信仰を疑わない神は 、『 ヨブの命を奪
わない範囲で好きにするがいい 』と 、賭けに応
じます 。
悪魔は事故を起こし 、ヨブの子どもたち 、そ
してヒツジなどの家畜をすべて殺してしまいま
す 。すべてを失い 、打ちひしがれるヨブに対
し 、悪魔は追い打ちをかけ 、疫病に罹らせて
しまいました 。
ところが 、ヨブの口から出てきたのは 、次の
ような言葉でした 。
『 私は裸で母の胎を出た 。裸でそこに帰ろう。
主は与え 、主は奪う 。主の御名は褒め称えられ
よ 』(『 ヨブ記 』1章21節 )
ヨブは神を呪うどころか 、神を称え 、そう叫
びました 。
賭けに負けた悪魔は退散し 、ヨブは再び 、家
族と財産を得ることになります 。
私は『 ヨブ記 』を読むたびに思います 。生
きていれば 、神と悪魔の賭けではないかという
ような 、あまりに不条理な試練に立たされるこ
とがままあるのだ 、と ―― 。」
(⌒∇⌒)
引用おわり 。
上の小文のタイトルは「 神と悪魔の賭けにも似た
不条理な試練に直面することがある 」。
長く生きれば 生きるほど 、いろんな目に遭います 。
(⌒∇⌒)
( ついでながらの
筆者註:「 佐藤 優( さとう まさる 、1960年〈昭和35年〉
1月18日 - )は 、日本の作家 、元外交官 。
同志社大学神学部客員教授 、静岡文化芸術大学
招聘客員教授 。学位は神学修士( 同志社大学・
1985年 )。
在ロシア日本国大使館三等書記官 、外務省国際
情報局分析第一課主任分析官 、外務省大臣官房
総務課課長補佐を歴任 。その経験を生かして 、
インテリジェンスや国際関係 、世界史 、宗教な
どについて著作活動を行なっている 。」
「 Wikipedia に対する評価:
ウィキペディア(日本語版を含む)に対して 、
百科事典が本来果たすべき『 歴史をある時点
で切断し 、その時点での体系知の構造を提示
する 』という目的・機能をウィキペディアは
果たすことができないとしている 』 また 、
ウィキペディアへの批判として 、それが『 世
界大百科事典 』といった従来の事典と比較し
て『 信憑性が根本的に異なる 』としている 。」
以上ウィキ情報 。)