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今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私が正義をほとんど憎むのは、自分のことを棚にあげて初めて正義だからである。戦前は修身が説かれた。戦後は修身は追放された。けれども新聞の『天声人語』のたぐいは、自分が決して実行しない正義を説いて好評を博した。キャンペーンと称して正義と良心を読者に強い、賛成して共に言うならよし、なお言わないと読者は読者を村八分にした。書き手と読み手はぐるなのである。
イデオロギイが違えば戦争があるのは必然なのだ、核兵器があってそれができなくなって、いま人類はじたばたしているところなのだ。
南京大虐殺があったとかなかったとか、言いあうのはよせ。むろんなかった。大虐殺はあった派となかった派がいて互に証拠を出しあって、その証拠がニセ写真だと分ってもなお永遠に承知しないふた派がいるだけだ。慰安婦の強制連行があった派となかった派も同じ。
再びわが国は独立国ではない。60年安保のたぐいはわが国の独立運動ではなかった。ソ連または中国の属国になって、宗主国から首相に任命されて、にこにこして組閣する写真を見たような気がする、どうしてこんな事になったか。日本人のすべて(軍国少年を除く)は日米戦争なんかのぞんでいなかったからだ、あの時我らはすでに『ニセ毛唐』だったのだ。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
「私が正義をほとんど憎むのは、自分のことを棚にあげて初めて正義だからである。戦前は修身が説かれた。戦後は修身は追放された。けれども新聞の『天声人語』のたぐいは、自分が決して実行しない正義を説いて好評を博した。キャンペーンと称して正義と良心を読者に強い、賛成して共に言うならよし、なお言わないと読者は読者を村八分にした。書き手と読み手はぐるなのである。
イデオロギイが違えば戦争があるのは必然なのだ、核兵器があってそれができなくなって、いま人類はじたばたしているところなのだ。
南京大虐殺があったとかなかったとか、言いあうのはよせ。むろんなかった。大虐殺はあった派となかった派がいて互に証拠を出しあって、その証拠がニセ写真だと分ってもなお永遠に承知しないふた派がいるだけだ。慰安婦の強制連行があった派となかった派も同じ。
再びわが国は独立国ではない。60年安保のたぐいはわが国の独立運動ではなかった。ソ連または中国の属国になって、宗主国から首相に任命されて、にこにこして組閣する写真を見たような気がする、どうしてこんな事になったか。日本人のすべて(軍国少年を除く)は日米戦争なんかのぞんでいなかったからだ、あの時我らはすでに『ニセ毛唐』だったのだ。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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