今日の「 お気に入り 」は 、「 ましろきふじのね 、
みどりのえのしま 」という歌いだしで始まる歌曲 。
6番まである歌詞のうち 、筆者がそらで歌えるのは
1番 のみ 。
因みに 、歌詞全文は以下のとおり 。
「 一 真白き富士の嶺 、緑の江の島
仰ぎ見るも 、今は涙
歸らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる 、胸と心
ニ ボートは沈みぬ 、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に
力も尽き果て 、呼ぶ名は父母
恨みは深し 、七里ヶ浜辺
三 み雪は咽(むせ)びぬ 、風さえ騒ぎて
月も星も 、影を潜め
みたまよ 何処に迷いておわすか
歸れ早く 、母の胸に
四 みそらにかがやく 、朝日の み光
暗(やみ)に沈む 、親の心
黄金(こがね)も宝も 、何にし 集めん
神よ早く 、我も召せよ 。
五 雲間に昇りし 、昨日の月影
今は見えぬ 、人の姿
悲しさあまりて 、寝られぬ枕に
響く波の 、音も高し
六 帰らぬ浪路に 、友呼ぶ千鳥に
我も恋し 、失(う)せし人よ
尽きせぬ恨みに 、泣くねは共々
今日も明日も 、かくて とわに 」
「 真白き富士の根 」または「 真白き富士の嶺 」の題名
で知られ 、「 七里ヶ浜の哀歌 」とも呼ばれる 、明治時
代 末 、神奈川県下 相模湾で起きた海難事故の鎮魂歌である 。
1910(明治43)年1月23日 、逗子開成中学校生徒11名
と逗子小学校児童 1名 を乗せたボート「 箱根号 」が 、
許可なく 葉山 を出艇し 、七里ヶ浜の 行合川沖で 突風
に煽られ転覆した 。悪天候の中 、海軍 、漁船 、潜水器
船等による懸命の捜索が続けられたが 、事故発生から4
日後の1月27日までに 、遭難者全員が遺体で発見される 、
という最悪の結末となった 、という 。
時代的には 、日本海海戦のあった 1905(明治38)年5
月から四年半経った 、真冬の海で起きた事故である 。
115年後の今 、七里ヶ浜は夏でも遊泳禁止の海であるが 、
サーフィンはいいらしく 、サーファーはうようよいる 。
+!(〇∇〇)!*
( ついでながらの
筆者註:「『 真白き富士の根 』(ましろきふじのね)は 、
1910年に逗子開成中学校の生徒ら12人を乗せた
ボート『 箱根号 』が七里ヶ浜沖で転覆 、全員
死亡した事件を歌った歌謡曲である 。
『 真白き富士の嶺 』 、『 七里ヶ浜の哀歌 』
(しちりがはまのあいか)とも呼ばれる 。
逗子開成の系列校である鎌倉女学校(現在の鎌倉
女学院中学校・高等学校)の生徒が鎮魂歌として
合唱し 、世間に知られるようになった 。
生徒の死が美しく表現された この歌により 、世
間は事件への同情を深めることとなった 。1915年
にレコードが発表され 、日本全国で歌われた 。
この歌を演奏することは逗子開成中学校ではタブ
ーとされてきたが 、逗子開成創立90周年の1993年
にPTAが歌うことを希望して記念式典で合唱され 、
解禁となった 。この時に『 PTAコーラス 』が発足
し 、2004年には在校生と卒業生の保護者による女
声コーラスグループ「 逗子開成コール・レーネ 」
が発足した 。
基本データ
・成立年: 1910年(明治43年)
・作詞者: 三角錫子(みすみ すずこ、1872年生 -
1921年没)
作詞当時、系列校である鎌倉女学校の数学教師。
東京都目黒区にあるトキワ松学園中学校・高等
学校の設立者でもある。
・作曲者: ジェレマイア・インガルス
・当初三角が発表した題名は『 哀悼の歌 』。『 七
里ヶ浜の哀歌 』の方が原題に近いが 、一般には 、
歌い出しの歌詞から『 真白き富士の根(嶺)』 と
呼ばれた 。
・歌詞: 6番まで
・拍子: 6/8拍子
歴 史
・1910年(明治43年)1月23日: ボート転覆事故発
生。
・1910年2月6日: 逗子開成中学校で追悼大法会開
催 。
鎌倉女学校生徒約70名により 、鎮魂歌として
この歌が初演された 。オルガン伴奏は三角錫
子 。
・1915年(大正4年): 事故から5年を節目に雑誌
『音楽界』159号(1月号)41ページに歌詞が掲
載 、翌月160号(2月号)巻頭に楽譜付で掲載さ
れた 。
・1915年(大正4年)8月: レコードが発売された。
・1916年(大正5年)1月23日: 楽譜が音楽社から
刊行された 。楽譜の題名は『 哀歌 』といい 、
三角の「眞白き富士の根」と山本正夫作曲の
『 母のなげき 』が収録された 。このころから
演歌師によって一般に広められた 。
・1916年(大正5年)6月: 『 七里が浜の哀歌 』
の題名で単行本の楽譜が出版された 。世間は
この歌の楽譜を待ち望んでいた 。
・1935年(昭和10年)8月29日: 松竹により映画
化 。題名は『 真白き富士の根 』。主題歌は
覆面歌手ミス・コロムビア(松原操)が歌唱 。
・1954年(昭和29年)8月4日: 大映により映画
化 。題名は『 真白き富士の嶺 』。主題歌は
菊池章子が歌唱 。
・1962年(昭和37年):逗子信用組合の屋上に
『 真白き富士の根 』のオルゴール時報が流
れるスピーカーを設置 。1992年(平成4年)
まで 。
・1963年(昭和38年):逗子開成正門入って右側
に 、折れたオールと『 真白き富士の根 』1番
の歌詞を共にして『 ボート遭難の碑 』建立 。
・1964年(昭和39年):稲村ヶ崎公園にボート遭
難事故慰霊像建立 。これは『 真白き富士の
根 』1番と2番の歌詞を刻んだ犠牲者の兄弟像
であり 、小学生であった坊やは沈まぬように
兄に抱きかかえられている 。
・1993年(平成5年)4月18日:逗子開成創立90周年
式典において PTAコーラスにより合唱 。」
「 行合川(ゆきあいがわ)は 、神奈川県鎌倉市
七里ヶ浜を流れる 、単独水系の川 。日蓮に関
する逸話が多い事で知られる 。
地 理
全長 670メートル と短い河川ではあるが 、
鎌倉市の下水処理場(七里ガ浜浄化センター)
からの処理水が大量(約40000立方メートル/日)
に流れ込む事から 、水流は比較的急である 。」
「 カッターボート(cutter boat)は 、船舶に
搭載される大型の手漕ぎボートである 。省略
して『 カッター 』と呼ばれることが多い 。」
以上ウィキ情報 。
小学生の坊やは 、日頃から ボートのコックス〈操舵手〉
役を務めていたんだろうか 。漕ぎ手12人の6mカッタ
ーと呼ばれる大きさのボートかと思われる 。)
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