「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

いい遺言の日 2018・11・15

2018-11-15 07:00:00 | Weblog


 


     紫陽花が庭に咲く11月中旬、今日の「お気に入り」。


    「 二十九年の夏の終わりに、広島の元宇品(もとうじな)の森に行った。子供たちの昆虫採集の

     お付き合いである。浜でイヌが遊んでいた。紐でつながれていない。しばらくの間、イヌが波

     と戯れ、無心に遊ぶ姿を飽きずに見ていた。これが生きているということで、これが幸せとい

     うことだなあ。それにしては、ヒトの子供のこういう姿をしばらく見ていないなあ。

       
      遊びをせんとや生れけむ 戯(たわぶ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さ

      えこそ動(ゆる)がるれ


      日本にもそういう時代があった。私の子供時代も思えばそうだったかもしれない。塾なんかな

     い、テレビはない、スマホもない、将来なんて知ったことではない、今日のご飯をどうする。

     年寄りは昔は良かったというものらしいが、それだけかなあ。いまの時代は、皆さんいろいろ

     おっしゃるけれど、本当は変なんじゃないか。 」



    「 コンピュータにできることを、ヒトがする必要はない。コンピュータと将棋を指したりする

     のは意味がない。私はそう思う。百メートル競争を、だれがオートバイと競うのか。走るのに

     特化した機械と、ヒトが争う必要はない。ゼロと一とで書かれ、アルゴリズムで動くような思

     考を、コンピュータと競う必要はない。コンピュータが邪魔なら、電源を抜けばいい。自分で

     電源を入れてしまうコンピュータを創るのは犯罪である。そう決めたらいい。

      ヒトにはたちの悪い性質があって、できることなら、たいていのことは機械にやらせようと

     する。だからリニアが走り、ドローンが飛び、コンピュータが動く。でもそれをコントロール

     するのは、あくまでも人でなければならない。そんなことは当たり前で、言うまでもないこと

     であろう。 」



    「 そもそもなぜヒトはコンピュータが代表するような、デジタルの世界を必死で作ろうとする

     のか。便利だから、合理的だから、経済的だから。多くの局面でヒトはこの種の説明を採用

     する。それを私は機能的な説明と表現してきた。人体でいうなら、心臓は血液を送り出すポ

     ンプである。そういえば、ほとんどの人は納得して、それで話は終わりになる。心臓はそれ

     ほどにわかりやすいから、人工臓器としては最初に作られ、私が現役時代には、人工心臓を

     移植されたヤギが一年間生存するようになった。

      その裏にある暗黙の意図は、どういうものだろうか。人工的に心臓を置き換えれば、また

     具合が悪くなった時には、交換すればいい。それを延長していくと、おのずから最終的な

     答えが浮かんでくる。不死である。

      デジタルとどういう関係があるのか。デジタル・パタンとは、永久に変わらないコピー

     だと述べた。なんとコンピュータの中には、すでに不死が実現されている。デジタル・パ

     タンが死にそうになったら、つまり消えそうになったら、どんどんコピーを作ればいい。

     だからクラウドなのである。どこにコピーが存在しているのか、よくわからないけど、と

     もかくどこかにコピーが存在している。これをいたるところに置けば、実際的には死によ

     うがなくなるではないか。だから自分の記憶、感情のすべてをコンピュータに入れたらど

     うなるんでしょうね、という質問がなされる。その暗黙の裏は『俺は死なない』というこ

     とであろう。

      政治は世界を支配しようとする。世界とは、はじまりが空間である。それがローマ帝国

     を作り、大英帝国を作った。空間の支配が行き着くところまで行くと、時間の超克(ちょ

     うこく)が次の目標となる。時間を超越するために、ヒトはさまざまな極端なことをして

     きた。ものを書きだした若いころに、書いたことがある。秦の始皇帝は万里の長城を作

     り、エジプトの王たちはピラミッドを作った。それはいまだに残っている。石で作った

     巨大なものなら残る。もはや世界つまり空間を支配したと思った王たちは、時を超越し

     ようとして、ああいうとんでもないものを作った。

     それを置き換えたのはなにか。文字である。書かれたものは、永久に変わらないから

     である。文字を使えば、あんな巨大なものを作る必要はない。『もっと安く作れますよ。

     なにか書いときゃいいんです』。それを指摘された始皇帝は、たぶん腹を立てたのであ

     ろう。だから焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)だった。生き残るのは俺の特権だ。そう思っ

     たのであろう。エジプトのピラミッドは文字とともに消えていく。だんだん小さくなっ

     て、代わりに中に文字が書かれるようになる。その傾向は現在のデジタル・データで、

     いわば終止符を打ったことになる。

      コンピュータに代表される世界のどこが変なのか。 」


    「 もうおわかりだと思う。現代人は一定の手順でキイボードを押す。いまやっている作

     業が何のためか、そんなことは関係がない。しかも手順がきちんとしていないと、コン

     ピュータは反応しない。それどころか、うっかり別なキイを押すと、違うことを始めて

     しまう。だから厳密な手続きに従って、『きちんと働く』ようになる。 」


    「 手続き通り、きちんとやっている。それで何が悪い。現代人の多くがそう思って生活

     しているはずである。 」


        ( 養老孟司著 「遺言。」新潮新書 所収 )






                         





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