「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

GENGHIS KHAN 成吉思汗の末裔たち Long Good-bye 2022・03・06

2022-03-06 06:16:00 | Weblog

  今日の「 お気に入り 」は 、ネットで見かけた楽曲「 Dschinghis Khan ( ジンギスカン ) 」の「 和訳歌詞 」 。

  以下は 、その「 和訳歌詞 」。

  「 大草原の風と共に 馬に乗り先頭を争う
   数千人の男たち
   先頭を切り 後続のもの全ての目を眩ませる男 
   それがジンギスカン
   砂を打ち鳴らす奴らの馬のひづめ
   奴らは全ての地に不安と恐怖を運んでくる
   稲妻も雷鳴も奴らを阻むことはできない  ♬

   *
   ジン ジン ジンギスカン
   ヘイ戦士たち ホー手下ども ヘイ戦士たち もっと何度も!
   ジン ジン ジンギスカン
   さあ兄弟 飲めよ兄弟 喧嘩だ兄弟 もっともっと!
   ウオッカをもっと持ってこい――hohohoho
   俺たちはモンゴル人なんだから――hahahaha
   どうせもうすぐ悪魔の腕の中さ  ♬

   ジン ジン ジンギスカン
   ヘイ戦士たち ホー手下ども ヘイ戦士たち もっと何度も!
   ジン ジン ジンギスカン
   ヘイ野郎ども ホー男だろう 踊れよ野郎ども いつものように!
   奴の高笑いが聞こえる――hohohoho
   どんどん大きくなる――hahahaha
   そして奴は一息で杯を空にする*

   そして気に入ったアマっこは全て
   自分のテントの中に奪い取る
   奴を愛さなかった女は
   世界中どこにもいなかったという
   奴は一晩で7人の子供を仕込んだ
   その敵は笑い飛ばされるだけ
   奴の力に立ち向かえるものは誰もいなかったのだから  ♬

   *―*repeat   」

   どこぞのサイトで英語の歌詞も見かけました 。備忘のため 、コピペ 。

  「 They rode the fastest horses, Left the wind behind, thousand men
   And one man lead the way, the others followed blind, Genghis Khan
   They galloped over mountains, and desert sands
   They carried desolation throughout the land
   And nothing there could stop them in this world
   * Geng, Geng, Genghis Khan!
   Hey rider, ho rider, go rider, let us follow
   Geng, Geng, Genghis Khan!
   Hey brother, ho brother, hey brother, hear us holler
   Who cares where we're going, Ho ho ho ho
   There's no way of knowing, Ha ha ha ha
   And we'll let the Devil take our souls
   Geng, Geng, Genghis Khan!
   Hey rider, ho rider, go rider, let us follow
   Geng, Geng, Genghis Khan!
   Go brother, {drink/dream} brother, dance brother, hear us holler
   You can hear his laughter, Ho ho ho ho
   Now and ever after, Ha ha ha ha
   When he lifts his glass up in the air

   He was the greatest lover, And the strongest man of his day
   And we have heard that all the women fell for him, so they say
   And he bred seven children in one long night
   He had his girls around him at his very sight
   And nothing that could stop him in this world
   * Repeat                      
  」
   
   因みに 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」には楽曲「 ジンギスカン 」
  について次のような記事が掲載されています 。この記事書いたの だーれだ 。

   長いけど引用はじめ 。
 
   「 ジンギスカン ( 独:Dschinghis Khan ) は 、ドイツ( 当時は西ドイツ )の音楽グループ
    であるジンギスカン ( Dschinghis Khan , 日本では契約上『 Genghis Khan 』と英語表記
    される ) のデビュー曲
。作詞はベルント・マイヌンガーで 、作曲はラルフ・ジーゲル 、
    英訳はスティーヴ・ベンダー 。」

   「 概 要

    モンゴルの英雄であるチンギス・ハーン( ジンギス・カン:成吉思汗 )を
    モチーフにしたこの曲は 、1979年3月に西ドイツの出場曲として『 ユーロ
    ビジョン・ソング・コンテスト 』で発表された 。同大会での最終結果は
    4位であった 。

    ジュピターレコードからシングル( B面は「 砂漠の国サハラ Sahara 」)
    として発売されて西ドイツ国内では4週にわたりチャート1位 、50万枚
    の大ヒットになった 。さらにヨーロッパにのみならず世界的な大ヒットと
    なり 、日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1979年8月6日付から5週
    連続1位を獲得した 。オリジナルのドイツ語だけでなく『 ジンギスカン 』
    自身による英語版 ( 英詞はメンバーのスティーヴ・ベンダーが担当し 、
    moskau の英詞も彼である 。) や 、中国語 、日本語( 3種類の歌詞 )、
    ロシア語 、韓国語でのカバーも出された 。そして同年7月にリリース
    されたファーストアルバム『 ジンギスカン 』にも収録された 。

    1970年代末期のディスコミュージックではあるが 、現在でも保育園・幼稚園
    および小学校での遊戯や運動会 、キャンプファイヤーなどのレクリエーション
    にもよく用いられる 。またテレビ番組で料理のジンギスカンを紹介する際に
    BGM として起用されることが多い 。

    2000年発表のモーニング娘の『 恋のダンスサイト 』( 作詞・作曲:つんく)の
    モチーフ元とされる。同年5月24日、オリジナルの『 ジンギスカン 』が日本で
    シングルCDとして再発される 。

    2003年にはドラマ『 ウォーターボーイズ 』の中で流されている 。

    2004年6月には KinKi Kids が出演しているサントリーのスーパーブルーのCM
    ソングで使用された 。

    2004年12月16日にはサッカー国際親善試合『 日本対ドイツ 』戦で『 ジンギス
    カン 』を基にした応援歌が披露される 。これは2006年の FIFAワールドカップ
    の会場がドイツということもあり 、アメリカ大会( 1994年 )へ向けて行われ
    たアジア地区予選( 1993年 )で歌われたアメリカ民謡『 リパブリック讃歌 』
    の替え歌『 アメリカへ行こう 』、1998年のフランス大会本戦で披露された
    フレンチポップ歌手ミッシェル・ポルナレフの大ヒット曲『 シェリーに口
    づけ 』の替え歌『 アレー ジャポン 』に続くケースとなった 。

    2005年2月9日の 2006 FIFAワールドカップ・アジア最終予選の第1戦となる
    北朝鮮戦が行われたこの日には『 成吉思汗( ジンギスカン )~ドイツへ行
    こう~ 』として『 ウルトラスニッポン 』により インディーズレーベルに
    より CDも発売され 、『 みんなでドイツへ行こう 』のフレーズとともに 、
    このメロディが会場に鳴り響いた。この声援がテレビ中継などを通じて
    話題となり 、3月2日にはメジャーレーベルから発売となった 。 また 、
    日本でいわゆる空耳ソングとして『 もすかう 』のタイトルで『 めざせモスクワ
    がブームになったのを受け、同曲のカップリング曲として発売された
    ( ユニット名は『 ボートでヘイコラホー 』とされているが 、実際はマルコ
    ポーロである )。

    2007年には Dschinghis Khan 自身によりセルフカバーが行われている( アルバム
    『 7 Lebens 』に収録 )。

    2008年には Berryz工房が 、5カラットや川崎麻世のカバーと同じ山本伊織の日本
    語詞でカバーした 。このBerryz工房盤のヒットにより 、Berryz工房のカバーと
    ジンギスカンのオリジナルをリミックスした『 ジンギスカン タルタルミックス 』
    が発売された 。続いて 、Berryz工房盤やオリジナル盤を含む『 ジンギスカン 』の
    各バージョンを20曲集めたコンピレーション盤『 ジンギスカンだらけ 』が 2008年
    11月26日に発売された 。

    また 、2008年4月11日の金曜バラエティーのなかで芋洗坂係長が本作の替え歌で
    ある『 人事課 』を歌っている 。

    プロバスケットボール bjリーグの 仙台 89ERSブースター によるジンギスカンダンス
    は名物になっている 。

    日本プロ野球の北海道日本ハムファイターズのチャンステーマにもこの曲が使わ
    れている 。

    また東北楽天ゴールデンイーグルスの中谷仁はこの曲を登場曲にしている 。

    2011年初夏よりアサヒフードアンドヘルスケアのクリーム玄米ブランのテレビCM
    で替え歌が使用された 。

    2018年3月よりドミノ・ピザのテレビCM『 踊るカン・シャーサイ 』篇で替え歌が
    使用された 。

    ほか日本の高校野球の応援歌( 鹿児島県・神村学園高等部や北海道・帯広大谷
    高等学校など演奏 )としても有名である 。

    2019年5月 Y! mobile のCMでアレンジされた歌詞で使用されている 。

    2021年9月よりミクシィが運営するケイリンネットサービスコンテンツ
    『 TIPSTAR 』のCMソングに使用されている 。 」

   引用おわり 。

   インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」の「 モンゴル帝国 」の項には 、こんな記事も 。
 
  「 2004年にオクスフォード大学の遺伝学研究チームの報告によると 、チンギス・カンが最も遺伝子を
   遺した人物
とし 、その数はアジア・ヨーロッパを中心に1,600万人いるとされる。 」

   中国 、ロシア 、北朝鮮のトップのお顔を見ていると、中露朝共通の遠いご先祖のお血筋に
   思いがいくのは筆者だけ 、・・・ ?!
   ウクライナの人々のお顔や体型からは 、どちらかというと北欧バイキングの血を感じます 。
   血の気が多い 「 傭兵 」の元祖 。甘く見た プーチン・ロシア の誤算 。
   「 キエフ大公国 」、「 モスクワ大公国 」の時代まで遡れば 、・・・ 。
   













                      


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難兄難弟・黒幇子弟 Long Good-bye 2022・03・05

2022-03-05 05:30:00 | Weblog

  今日の「 お気に入り 」は 、筆者が生まれて初めて目にする四字熟語 、二つ 。

   「 文政の三蔵」と言えば 、江戸時代の間宮林さん 、近藤重さん、平山行さんのお三方 。
   中国の習近さん 、中国人民解放軍少将の劉衛さん 、中国のプロ棋士 聶衛平さん 、このお三方は竹馬の友 、
   「 北京25中学の三平 」と言われたそう 。60年ほど前の話 。
   習さんはよく知られた方ですが 、インターネットのフリー百科事典 「 ウィキペディア 」には 、あとの
   お二人 、劉さん と聶さんについて 、次のような解説記事が掲載されています 。

  1 現代中国のプロ棋士制度の第1号 、聶衛平 さん の経歴記事 。

   「 聶衛平

    聶衛平(じょう えいへい 、聂卫平 、ニエ・ウェイピン 、1952年8月17日 - )
    は 、中華人民共和国の囲碁棋士 。河北省深県出身 。
    現代中国のプロ棋士制度の第1号であり、1982年に3人 の九段となる 。
    1980〜90年代の中国の代表的棋士であり、世界最強棋士の一人でもあった 。
    孔祥明八段は元夫人 、日本棋院の孔令文は実子 。
    中国囲棋協会副主席 、中国棋院技術顧問 。

    経歴
    瀋陽市に生れ 、全国科学技術協会に勤める父の転勤で翌年北京に移る 。
    父が友人と打っているのを見て碁を覚え 、文化宮の囲碁クラブにも通い 、
    9歳のときには陳毅副総理とも対局する 。この頃に張福田に師事 、その
    後雷溥華 、過惕生 、過旭初に学ぶ 。また本因坊秀栄の打碁を並べて大き
    く影響された 。1965年には13歳で全国少年少女囲碁大会児童の部で優勝 。

    文革では黒竜江省の農場に下放され 、その後北京に戻される

    1975年に全国個人戦で優勝 。1974年の日中囲碁交流で 、訪中した宮本直毅
    に勝ち、初めて日本の九段に勝利 。1976年には中国代表団の一員として来日
    し 、石田芳夫 、藤沢秀行に勝利 。
    1979年 、囲碁で最初の本格的な世界選手権である世界アマチュア囲碁選手権
    戦の第1回に中国代表として出場 、優勝して初代王者となる 。
    1982年 、中国のプロ棋士( 専業棋手 )制度の発足とともにプロ棋士となり 、
    陳祖徳、呉淞笙とともに九段に認定され 、以後新体育杯他の中国の国内タイ
    トル戦で多数の優勝を飾った 。
    1984年から始まった日本と中国の勝ち抜き対抗戦「 日中スーパー囲碁 」では 、
    第1回から10回まで主将として出場し 、第1回に3人抜き 、第2回5人抜き 、
    第3回1人抜きと9連勝し 、下馬評では不利と言われていた中国の3連勝を導
    いた 。第4回にも2人抜き後に羽根泰正九段に敗れて連勝は11で止まったが 、
    『 鉄のゴールキーパー 』と呼ばれて中国の国民的英雄となり 、この功績により
    1988年3月26日に中国囲棋協会から「棋聖」の称号を授与された 。
    1985年 、米国において 、国交のない韓国の曺薫鉉と2番勝負を行い 、1勝1敗
    とした 。
    1989年 、第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦では決勝まで進み 、曺薫鉉に
    敗れて準優勝に終わったが 、世界トップの実力を印象づけた 。またこれらの
    国際的活躍により 、中国国内における囲碁の社会的地位の向上にも大きく寄
    与した 。1990年には 、中国十大傑出青年に選出される 。
    1993年 、全国体育大会の囲碁団体戦で北京チーム主将として初優勝 。中国囲
    棋甲級リーグ戦では2000年に北京大宝、2001-06年には貴州衛視チームの主将
    として出場 。その間の2002年に 、李昌鎬ら韓国人棋士を加えた他チームに対
    抗して日本の棋士を加えることを強く要望し 、中国囲棋甲級リーグでは初の
    日本からの参加者である林海峰が貴州衛視チームで出場した 。
    2009年から北京聶衛平道場チームを率いて乙級リーグに出場し1位 。
    2010年は安徽寧国市政チーム監督 。
    1980年 、孔祥明と結婚し 、一子孔令文をもうける 。91年離婚して 、人民
    解放軍政治部歌劇員の歌手王静と結婚 、2000年に離婚して 、01年に再婚 。
    2014年 、小学4年生の孫 ( 孔令文の一人息子 ) が日本第35回少年少女囲碁
    大会出場 、予選で山下敬吾九段の一人息子 ( 4年生 )を破り 、7位入賞 。
    習近平中国共産党総書記とは北京25中学からの友人で、聶氏は文革中のある
    事件を回想する際に 、習近平氏 、人民解放軍少将の劉衛平氏との三人で
    『 北京25中学の三平 』と言われていたことに触れている

    弟子に古力 、柯潔 、檀嘯 、於之瑩 、范廷鈺などがいる 。」

  2 中華人民共和国の軍人 、劉 衛平 さん の経歴記事 。やや不正確な内容ながら 、そのママ 引用します 。

   「 劉 衛平( りゅう えいへい 、1957年 - )は 、中華人民共和国の軍人 。
    前中国人民解放軍中国人民解放軍総後勤部司令部副参謀長 。
    階級は少将。

    父は劉震 ( zh ) 。1955年大将 ( 上将 ) 受領 、人民解放軍 空軍の草分けの
    ひとり 。


    経歴
    出典は記されていないが Wikipedia中国語 の 中国人民解放軍総後勤部
    司令部において 、2005年7月からの階級が少将の副参謀長として記述
    されている 。しかしながら、2016年に実行された人民解放軍の組織
    大改正以降の役職の確認が2016年3月時点でも取れていない 。

    人物
    1955年大将(上将)受領 、人民解放軍 空軍 の草分けの一員であり
    日本で太子党とされる紅二代のひとりである 。
    ( 筆者註:この最初の部分の記述は 、劉衛平さんの父親である劉震 ( ? ) さんについての説明らしい 。
         混同があるようで 、正確さに欠ける記述 。また生年が1957年なら 、年齢的には1953年
         生まれの習近平さんより 、四つ五つ年下のよう 。生年も怪しい 。 )
    劉衛平は 、習近平総書記の少年期の友人として知られている 。
    習近平の側近に関するアメリカ・ブルッキングス研究所の李成 ( Cheng
    Li ) による分析においても劉衛平も登場している 。文革により習近平
    の在学していた八一学校が解散させられたあとに 共に移った第二十五
    中学での親しい友人
と李は記述している 。それぞれの父親が文革で
    迫害された
ことに触れているが 、本文中では 難兄難弟 ( 苦難を共に
    した仲間 )であるとか 、習近平の父の習仲勲と同じく劉衛平の父の
    劉震 ( 人民解放軍空軍大将 ) も打倒された
ため 、彼らが黒幇子弟
    ( 犯罪者の子ども ) として過ごさねばならなかったことまでは触れて
    いない 。」

    引用おわり 。

    
   近平さんも 、ウラジミールさんも 、後世に「 暴走老人 」の名を残すこと必至だが 、ともに騎虎の勢い 、走り出したら止まらない 。
    その上 ( かみ ) のチンギス・カン( チンギス=ハン )
   (モンゴル語:Cinggis qagan.svg、キリル文字:Чингис хаан、
   ラテン文字化:Činggis Qan または Činggis Qa'an、漢字:成吉思汗、英語:Genghis Khan
   1162年5月31日? - 1227年8月25日? )のよう 。
   いつの間にやら 、図体の大きい「 北朝鮮 」が二つ 、・・・ 、世界は 「 混沌 」または
  「 渾沌 」の様相 、21世紀は始まったばかりなのに 、まるで世紀末 。
   



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塞翁が丙馬 Long Good-bye 2022・03・03

2022-03-03 04:30:00 | Weblog

  今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」に
 掲載されている青島幸男さん( 1932年〈 昭和7年 〉7月17日 - 2006年〈 平成18年 〉12月
 20日 )の直木賞受賞作「 人間万事塞翁が丙午 」についての記事 。

  引用はじめ 。

 「 『人間万事塞翁が丙午』( にんげんばんじさいおうがひのえうま )は 、青島幸男作の小説 。
  著者の母をモデルとしている 。書名は主人公ハナが丙午に生まれたことによる 。戦中から
  戦後にかけての下町の生活を 、講談調で記述している点に特徴がある 。タイトルは中国の
  古書『 淮南子 』に書かれている故事『 人間万事塞翁が馬 』のパロディ 。

   1981年第85回直木三十五賞(直木賞)受賞作品 。1982年にTBSによりテレビ
  ドラマ化された。

   なお 、本作には以下の様な特徴がある 。

  ・直木賞を取ると周囲に公言して執筆を始めた作品
  ・小説としては処女作
  ・処女作での主要文芸賞の受賞

   このような要素が重なった作品は日本の文学史を見渡しても他に無く 、『 超マルチタレン
  ト 』とも称された青島の優れた才能の一端を示すエピソードとして知られる 。

  あらすじ
   呉服問屋が並ぶ東京日本橋の堀留町にある仕出し弁当屋「弁菊」が舞台となっている 。
   主人公ハナは21歳のときに 、人情味あふれるにぎやかな下町に嫁いだ 。そして夫の
   次郎とともに謙一 、幸二の二人の息子を育て上げる 。また様々な事件に遭遇するが 、
   持ち前の明るさとたくましさで乗り越えていく 。

   夫の次郎に召集令状が届き従軍 、復員 、再召集 、帰還 、そして戦後に旅館業を営み
   次郎が亡くなるまでを描く 。

  テレビドラマ

   1982年4月28日から同年7月21日までTBS系列の『日立テレビシティ』で放送された 。
   全13回 。

   出演者
    桃井かおり
    梅宮辰夫
    殿山泰司
    加藤治子
    川田あつ子
    山口いづみ
    木内みどり
    大友柳太郎
    ケーシー高峰
    小松政夫
    柄本明
    左とん平
    野村昭子
    天地総子
    田武謙三
    鷲尾真知子
    宮崎達也
    風見律子
    三好鉄生
    草薙良一
    大本健
    佐野大輔
    神林佳代
    久保晶
    山崎満
    香山エリ
    小野充里
    福松進也
    成瀬明
    十日市秀悦
    斎藤宗一
   スタッフ
    原作 - 青島幸男
    脚本 - 寺内小春
    演出 - 久世光彦、近藤邦勝
    演出補 - 沢本功、小泉守、小川定孝
    記録 - 市島恵子
    技術 - 島崎孝雄
    映像 - 田中文夫、桜井茂、山崎秋夫、伊藤修、野条光一、白井昭至、石田伸夫
    照明 - 海老原靖人、浅田和男、的場謙一、三宅洋、斉藤幸一、川路淳
    音声 - 片岡博司、海老原伸行、石田滋之
    デザイン - 西亥一郎
    美術制作 - 澤井義雄
    タイトル文字 - 篠原英太
    制作補 - 高野正雄
    音楽 - 山本直純
    演奏 - オズ・ムジオ
    プロデューサー - 久世光彦、三浦寛二、雨傘明男
    制作協力 - 東通
    制作 - KANOX、TBS  」

   引用終わり 。

      おもしろい 。あさぼらーけ 。
      原作者の青島さんが昭和7年のお生まれ 、たしか桃井かおりさんは昭和26年生まれ 、
      筆者の連れ合いと同い年 。
      直木賞 、芥川賞 、大手出版社の「 お手盛り企画 」が長続きしてるって 、現状 、日本
      ってまだまだ平和ぼけだなあ 。
      有無を言わさぬ現状変更 、いったん動き出したらとどめを知らず 、理不尽な憂き世 。
      いやなら出ていけの「 住民総とっかえ 」も辞さない構え 。
      歴史は繰り返す 、回る 、回る 、回る因果の風車 。
      いずれみんな死にはするけれど ・・・、容赦ない 、プーチン・露西亜 。

   





























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