「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

呑み鉄本線 日本旅 Long Good-bye 2024・06・10

2024-06-10 04:10:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、NHK衛星放送の番組

 「 呑み鉄本線 」の中で流れる 六角精児 さんの歌「 お

 父さんが嘘をついた 」の一節 。書き留めたのはこんな

 歌詞 。

 「 若い頃からの偏食が祟り 
  尿酸値が異常に高い 
  痛風になった様だ
  医者から食事制限を告げられる  ♪♫

  でも好きなものは 
  なかなか辞めれず
  汐からエイヒレあん肝このわた
  今日もおいらは痛風に怯える  (^^♪ 

  「 ディーゼル 」というタイトルが付いた こんな歌詞

 の歌も流れます 。番組のテーマ曲みたいに 。

 走る列車の リズムにあわせ
  缶ビールが ゆれている
  窓の景色も そこそこに
  あ~ 少し 酔って しまったな~

  海岸線は 故郷 へ 向かう道
  負けたんじゃない
  逃げるんじゃないさ
  ほんの 少し 弱くなっただけ

  時間調整 の 小さな 駅で
  ディーゼルの音 を 聴きながら
  ホームにおりて 背伸びをすれば
  あ~ 少し 気が晴れる

  海岸線は 故郷へ 向かう道
  負けたんじゃない
  逃げるんじゃないさ
  ほんの 少し 弱くなっただけ

  故郷の名を告げる 社内放送
  カラダが 急に 重くなる
  このまま 降りずに
  通り過ぎよか
  あ~ 少し くちびる かみしめる

  海岸線は 故郷へ 向かう道
  負けたんじゃない
  逃げるんじゃないさ
  ほんの 少し 弱くなっただけ

  走る列車の リズムにあわせ
  オレの心も ゆれている
  窓の外には キラキラと
  海が少し 缶ビールも少し

  走る列車の リズムにあわせ
  オレの心も ゆれている
  窓の外には キラキラと
  海が少し 缶ビールも少し (^^♪  」

     何度も 再放送 される 六角精児 さんの「 呑み鉄 」や 火野正平

 さんの「 こころ旅 」を あきずに みてるのは 、日本の中高年

 だけかもね 。

  癒されるんです 、これが 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 火野 正平( ひの しょうへい 、1949年〈昭和24年〉
        5月30日 -  )は 、日本の俳優・歌手 。東京都目黒区
        生まれ 。シーズ・マネージメント所属 。

        本名 二瓶 康一( にへい こういち )

        以上ウィキ情報 。

        人間 七十五にもなれば 、身体の節々が痛むのは 不可避 、

       生きてるだけで めっけもん 。楽には死なせて貰えない 。

        がんばりましょう 、ご同輩 。)

 

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ヒマラヤ山系 Long Good-bye 2024・06・08

2024-06-08 04:14:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、今読んでいる本の中

 からの 抜き書き 。久しぶりに読む 内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 車窓の稲光り 」とした小文

 の一節 。鉄道旅をこよなく愛した 内田百閒さん の

 「 百鬼園随筆 」や「 阿房列車 」を 、五十年以上

 も前の若い頃 、読みふけったものです 。 

  百閒さんの旅のお供をする「 ヒマラヤ山系君 」

 ( 国鉄職員の平山三郎さん ) のお名前も懐かしい

 達意の文章 。

  引用はじめ 。

 「  お午頃に博多を出た東京行の特別急行列車が 、
  快い轟音を立ててごうごうと走つて行く内に 、
  狭いコムパートの中で時が過ぎ 、もう外は薄暗
  くなつて来た 。
   同室のヒマラヤ山系君をうながして二三輌先の
  食堂車へ来た 。丁度今その時刻である 。席が
  あるかどうかあやぶんだが 、幸ひ向かひ合ひの
  二人卓が空いてゐた 。そこに落ちつき 、もうか
  うなれば天下泰平国土安楽である 。ついお酒が
  廻つて 、旅行は楽しいものであると 、しみじみ
  思ふ 。
   しかし 、その中に在つて一つひどく気になる事
  がある 。通路を隔てた向う側の食卓の窓に 、時
  時鋭い稲光りが射す 。大体汽車に乗つてゐれば
  雷様はそれ程こはくないものだが 、あんまり窓
  近くでピカピカやられては矢張り不安である 。 」

 「 私共のテーブルと 、稲光りが頻りに走る暗い
  窓の間の四人掛けの食卓に 、一団のお客が著座
  してゐる 。いつその席へ来たのか 、こちらが気
  がつく前からゐたのか 、よくわからないが 、三
  人は今の新制中学の卒業生らしい年頃で 、もう
  一人は彼等の先生であると見受けた 。
   彼等はその頃の列車の等級別から云えば三等車
  から 、この食堂車へ出て来たらしい 。何か茶菓
  を前にして 、四人はむつまじく 、楽しげに団欒
  (だんらん)してゐる 。稲妻の光る食堂車の中で
  生徒達と先生 。何と云ふうれしい光景であらう 。
  こちらが少少廻つてゐて 、敏感になつてゐると
  ころへ 、痛いものにさはられた様な感激を覚え 、
  何度も思ひ返し 、躊躇した挙げ句に 、ボイを呼
  んでそのテーブルへちゃんとしたケーキとレモン
  紅茶を運ぶ様命じた 。
   又山系君にそっちへ行って 、お茶を召し上がつ
  て戴きたいと思つてボイに命じました 。よろし
  かつたら 、どうぞと云つて先方に失礼がない様
  に挨拶してくれと頼んだ 。
   矢つ張り酔つ払ひの大袈裟な仕業だつたに違ひ
  ない 。しかし幸ひ向うでも快く受けてくれた様
  であつた 。山系君が座に帰つてから伝へるとこ
  ろによれば 、連中はこの春鹿児島の中学を出た
  卒業生とその受持の先生で 、彼等は東京で就職
  する為上京する 。それに附き添つて一緒に東上
  する先生の一行であつた 。長旅の車中のつれづ
  れに 、宵のお茶受けを楽しまうと食堂車に出て
  来たところであつた 。
   よい先生 、いい生徒達 、彼等はこちらの差し
  出した茶菓を綺麗に平らげて 、その内に席を起
  ち 、私共の方に一礼して食堂車を出て行つた 。 」

 「 コムパートに帰り 、一晩寝て朝になつた 。
  もう東京に近い 。目がさめると 、先に起きて
  ゐた山系君が 、昨夜の連中からこれを差し上
  げてくれと頼まれたと云つて 、ボイが届けて
  来たと云ふ菓子折の様な包を出した 。
   何だらうと思つて山系君と開けて見たら 、鹿
  児島の軽羹(かるかん)饅頭であった 。思ひも掛
  けぬ事で 、先方の心遣ひを済まないと思ふ 。
  かるかんは鹿児島の名物で難有いけれど 、案ず
  るに彼等は今度の就職に就いて世話になつた人 、
  又知り合ひの先輩の所なぞへ贈る心づもりで 、
  遥遥南九州の果てから持つて来た物を 、私の方
  へ割愛してくれたに違ひない 。
   その後到来物や手土産品でかるかんを口にする
  度に 、稲光りの走った窓辺(まどべ)の中学生を
  思ひ出す 。 」  

  引用おわり 。

  かるかん 、だいすき 。

  ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 內田 百閒( うちだ ひゃっけん 、1889年〈明治
       22年〉5月29日 - 1971年〈昭和46年〉4月20日 )
       は 、日本の小説家 、随筆家 。本名榮造󠄁 。別号
       は百鬼園( ひゃっきえん )。号の「 百閒 」は 、
       故郷 岡山にある旭川の緊急放水路の 百間川 から
       取ったもので 、当初は「 百間 」と表記していた
       が 、後に「 百閒 」に改めた 。

        夏目漱石の門下生の一人で 、夢の光景のように
       不可解な恐怖を幻想的に描いた小説や 、独自の
       論理で諧謔に富んだ随筆を多数執筆し 、名文家
       として知られる 。代表作は『 冥途 』『 旅順
       入城式 』『 百鬼園随筆 』、紀行『 阿房列車 』
       など 。

        以上ウィキ情報 。

        文庫本 ( 電子書籍 )の解説は 、ヒマラヤ山系君

       こと 平山三郎さんが書いていらっしゃる 。)

 

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夜明けのヒッチハイク Long Good-bye 2024・06・05

2024-06-05 06:09:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、ニッポン放送制作

 の 早朝のラジオ番組「 上柳昌彦 あさぼらけ 」

 の 番組冒頭で流されるテーマ曲 「 夜明け

 ヒッチハイク 」。

  通常 平日 ( 火~金 )  の4:30開始の

 すので 、早起きしないと聴けません 。radiko

 ( ラジコ ) ならいつでも聴けますが 、寝床で聴

 くのがいいんだな 、この曲 。

  イギリスのロックバンド Vanity Fare の楽曲で 、

 原題は " Hitchin' A Ride " 。歌詞は 、次のよう

 なもの 。YouTube で聴くと 、韻を踏んだ わか

 りやすい内容の歌詞で 、イギリス人の英語を 

 聴き慣れているせいか 、とても聴きとりやす

 い感じがします 。

 “  A thumb goes up, a car goes by
   It's nearly one A.M. and here am I
   Hitchin' a ride, hitchin a ride
   Gotta get me home before the morning light

   I got no fare to ride a train
   I'm nearly drowin' in the pouring rain
   Hitchin' a ride, hitchin' a ride
   Gotta get me home to my baby's side

   Ride, ride, ride, hitchin' a ride
   Ride, ride, ride, hitchin' a ride

   Long distance call I got today
   She sounded lonely so I'm on my way
   Hitchin' a ride, hitchin' a ride
   Gotta get me home, to keep her satisfied

   Ride, ride, ride, hitchin' a ride
   Ride, ride, ride, hitchin' a ride

   A thumb goes up, a car goes by
   Oh, won't somebody stop and help a guy?
   Hitchin' a ride, hitchin' a ride
   Been away too long from my baby's side

   Ride, ride, ride, hitchin' a ride
   Ride, ride, ride, hitchin' a ride

   Ride, ride
   Ride, ride
   Ride, ride  ”

  ChatGPTさんに頼んで 、日本語にして貰うまでも

 ないような 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「『 夜明けのヒッチ・ハイク 』
       ( 原題:Hitchin' a Ride )は 、ミッチ・マレー
       とピーター・カランダーによって書かれ 、1969年
       後半にイギリスのポップ・ロックバンドの ヴァニ
       ティ・フェア のシングルとして発表された楽曲 。
       1970年2月に全英シングルチャートで 16位を記録
       したが 、アメリカ合衆国では よりヒットとなり
       1970年6月27日に Billboard Hot 100 で 5位を記
       録した 。Billboard の1970年の年間チャートでは
       14位となった 。
        楽曲では 、所持金がないためヒ ッチハイクをし
       ようとする若者が描かれる 。前奏と 、コーラス
       とヴァースの間で使われる 2本のリコーダーが
       有名。

        ピアノの高音部 、ベース 、ドラム 、ギターと
       ともにベースラインを繰り返すエレクトリック
       ピアノをフィーチャーしたミドルセクションも
       有名で 、終盤のフェードアウト前でも使用され
       ている 。アメリカ版シングルでは 最後のフェー
       ドアウト前に繰り返す " RIDE, RIDE " を削除し 
       曲を短縮している 。

       本作はアメリカだけで100万枚を売り上げ 、
       ゴールドレコードとなった 。

       「『 上柳昌彦 あさぼらけ 』( うえやなぎまさひこ
        あさぼらけ)は 、ニッポン放送の制作により 、
       NRN系列局ほかで 2016年3月28日から放送されてい
       る 上柳昌彦 の 冠番組で 情報バラエティ番組 で
       ある 。」

       「 上柳 昌彦( うえやなぎ まさひこ 、本名:同じ 、
       1957年〈昭和32年〉8月1日 - )は、フリーアナ
       ウンサーでニッポン放送元アナウンサー 。ミッ
       クスゾーン所属 。愛称は『 うえちゃん 』。防
       災パーソナリティ( 同局における地震情報のア
       ナウンス担当 )指定を受けた一人 。ファッショ
       ンデザイナーの石津謙介と歌手 、タレントのフ
       ァーストサマーウイカ は遠戚にあたる 。

       プロフィール
        大阪府大東市出身 。父親が 転勤族 であった
       ため 少年期は転居を繰り返し 、群馬県高崎市
       (1歳)→ 兵庫県高砂市(幼稚園)→ 金沢市
       (小2)→ 高砂市(小2)→ 横浜市神奈川区
       (小4)→ 東京都 → 神奈川県小田原市(中1)
        → 東京(中2)→ 鎌倉市 と転々とした後 、
       東京都に定住した 。東京都立新宿高等学校 、
       立教大学法学部卒業 。1981年4月 、ニッポン
       放送にアナウンサーとして入社 。
       ( 後 略 )  」  

       以上ウィキ情報 。

        ついでながら 、試しにChatGPT さんにやって

       貰った邦訳の一部 。

       「 親指を立てて、車が通り過ぎる
        もうすぐ午前1時、ここにいる
        ヒッチハイク、ヒッチハイク
        朝の光が来る前に家に帰らなきゃ

        電車に乗るお金がない
        豪雨の中、ほとんど溺れそうだ
        ヒッチハイク、ヒッチハイク
        ベイビーのそばに帰らなきゃ      )

 

 

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四面初夏 Long Good-bye 2024・06・03

2024-06-03 06:03:00 | Weblog

 

 

 

  今日の「 お気に入り 」は 、水木しげる さん

 の 著書「 水木サンの幸福論 」に載っている

 という「 幸福の七か条 」。

  今読んでいる 平松洋子さんの随筆「 肉まんを

 新大阪で」( 文春文庫 )の中で 、この七か条 、

 読みました 。

  引用はじめ 。 

 「 第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に 、
    ことを行ってはいけない 。
  第ニ条 しないではいられないことをし続
    けなさい
  第三条 他人との比較ではない 、あくまで
    自分の楽しさを追求すべし
  第四条 好きの力を信じる
  第五条 才能と収入は別 、努力は人を裏切
    ると心得よ 。
  第六条 怠け者になりなさい 。
  第七条 目に見えない世界を信じる 。」

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

  ( ついでながらの

    筆者註:「 水木 しげる( みずき しげる 、本名:武良 茂
        〈むら しげる〉、1922年〈大正11年〉3月8日 - 
         2015年〈平成27年〉11月30日 ) は 、日本の漫画
         家 、妖怪研究家 、紙芝居作家 。」

       「 平松 洋子( ひらまつ ようこ 、1958年2月21日 -  )
        は 、日本のエッセイスト 。 」

        以上ウィキ情報 。)

 

 

 

 

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