土佐市 井上清澄です。
今より40年位前になるだろうか。
正確な年月は定かでないが、
市原麟一郎さん・須崎工業高校の坂本先生・高知西校の近藤先生集まる
“土佐民話の会”に出たことがあった。
その中で吾北や池川の赤カブの話が出て、
日本最後の焼畑が出来ないようになって、
今は作られていないと言う。
私の小さい頃は葉山カブ・弘岡カブ・小カブなどが作られていて、
それぞれおいしいカブであった。
今は全国同じ品種で味も同じようなもので、
その土地の味はない作物が多い。
残念である。
それがある時、遠縁の若者が池川で
農業支援員をされているというので聞いてみた。
少し考えて、そんな話聞いた事があると言う。
これがたまるかと、すぐ行ってみた。
日本最後まで焼畑があったツベ山ではなくて大西集落にあった。
急な坂道をしばらく登って行くとポツポツの集落があり、
桑、楮の間に2ウネ位の赤カブが並んでいた。
おばあさんはカブの手入れをしながら、
「今はもう作る人は居なくなった。私一人が牛乳瓶1本の種をとる」と言う。
これがたまるか、誰かが種を伝えなければ赤カブは消えると思った。
その秋、少し種をいただいて蒔いてみた。
赤ムラサキ色の赤カブは、煮ても良し、
酢カブにしても赤い色がでて大変おいしい。
今は葉山カブ・弘岡カブ・柚ノ木カブも見ることはなくなった。
赤カブは今、種の保存会が出来ているとの事、安心している。
今より40年位前になるだろうか。
正確な年月は定かでないが、
市原麟一郎さん・須崎工業高校の坂本先生・高知西校の近藤先生集まる
“土佐民話の会”に出たことがあった。
その中で吾北や池川の赤カブの話が出て、
日本最後の焼畑が出来ないようになって、
今は作られていないと言う。
私の小さい頃は葉山カブ・弘岡カブ・小カブなどが作られていて、
それぞれおいしいカブであった。
今は全国同じ品種で味も同じようなもので、
その土地の味はない作物が多い。
残念である。
それがある時、遠縁の若者が池川で
農業支援員をされているというので聞いてみた。
少し考えて、そんな話聞いた事があると言う。
これがたまるかと、すぐ行ってみた。
日本最後まで焼畑があったツベ山ではなくて大西集落にあった。
急な坂道をしばらく登って行くとポツポツの集落があり、
桑、楮の間に2ウネ位の赤カブが並んでいた。
おばあさんはカブの手入れをしながら、
「今はもう作る人は居なくなった。私一人が牛乳瓶1本の種をとる」と言う。
これがたまるか、誰かが種を伝えなければ赤カブは消えると思った。
その秋、少し種をいただいて蒔いてみた。
赤ムラサキ色の赤カブは、煮ても良し、
酢カブにしても赤い色がでて大変おいしい。
今は葉山カブ・弘岡カブ・柚ノ木カブも見ることはなくなった。
赤カブは今、種の保存会が出来ているとの事、安心している。
※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知せ』2020年4月号より転載しました。