愛媛県宇和島市 八坂石鹸 増田明宏です。
リサイクル粉石けんを作り続けて
「リサイクル石鹸は、地球を守る」
との信念で、今まで47年間、釜を焚いている。
1932年、父の時代には、
工業用の石鹸屋として発足。
家庭用洗濯機(二層式)の普及とともに、
粉石けんがメインで、
原料が無いころ、
じゃこ天屋の廃油を使って
粉石けんを製造していました。
色も黒く、匂いも臭い、
今では考えられない粉石けんで、
当たり前に、汚れが落ちれば、良い時代でした。
私が、石けんの良さを知り、帰宇した頃、
宇和島でも婦人会より依頼があり、
家庭用リサイクル石けんを作るようになった。
水を守る運動が起こり、日本中に広がり、
リサイクル製造工場が出来、
市民がこぞって、
リサイクル石けんを使っていた。
有名なのは、滋賀県。
しかしながら、洗濯機の変化とともに
粉石けん使用も低迷していった。
現在、大手の石鹸屋が、
粉石けんの製造を中止し、
液体石けんに力を入れています。
廃油も、バイオディーゼルや、
航空機の燃料として、使用され、
中々入手できなくなっている。
浮き沈みのあるリサイクル石鹸ですが、
形は変わっても、製造、使用され続けると思っています。
私も、まだまだ現役で釜を焚き、頑張っています。
リサイクル粉石けん、使いましょう。
リサイクル粉石けんを作り続けて
「リサイクル石鹸は、地球を守る」
との信念で、今まで47年間、釜を焚いている。
(この写真は、八坂石鹸HPより転載)
1932年、父の時代には、
工業用の石鹸屋として発足。
家庭用洗濯機(二層式)の普及とともに、
粉石けんがメインで、
原料が無いころ、
じゃこ天屋の廃油を使って
粉石けんを製造していました。
色も黒く、匂いも臭い、
今では考えられない粉石けんで、
当たり前に、汚れが落ちれば、良い時代でした。
私が、石けんの良さを知り、帰宇した頃、
宇和島でも婦人会より依頼があり、
家庭用リサイクル石けんを作るようになった。
水を守る運動が起こり、日本中に広がり、
リサイクル製造工場が出来、
市民がこぞって、
リサイクル石けんを使っていた。
有名なのは、滋賀県。
(1970年代石けん運動の様子:滋賀県HPより転載)
しかしながら、洗濯機の変化とともに
粉石けん使用も低迷していった。
現在、大手の石鹸屋が、
粉石けんの製造を中止し、
液体石けんに力を入れています。
廃油も、バイオディーゼルや、
航空機の燃料として、使用され、
中々入手できなくなっている。
浮き沈みのあるリサイクル石鹸ですが、
形は変わっても、製造、使用され続けると思っています。
私も、まだまだ現役で釜を焚き、頑張っています。
(この写真は、八坂石鹸HPより転載)
リサイクル粉石けん、使いましょう。
※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年7月号より転載しました。