高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、47年の歴史をもつ共同購入の会です。

食べる日々(6)

2024-01-15 09:00:00 | 連載
会員の丸井一郎です。

食べる日々(6)

アフリカを出た人類の祖先は、
各地の環境が与える条件に柔軟に適応してきた。
その地で手に入る食材も重要な要因である。
適応の結果は身体的な微細な差異になる。
先に述べた腸の中の微生物叢(micro biom)もその一つである。
例えば腸の長さが、
獣脂(乳脂肪など)あるいは食物繊維(特に植物繊維)の摂取の様態と対応するらしい
(日本列島民の大腸は平均で1.5m;欧州大陸北海沿岸民1m)。

さらに暑さ寒さ、太陽光への適応も重要である。
四万年ほど前にアフリカからヨーロッパへ進出した現世人類は
当然のことながら濃い色の肌をしていた。
一万年ほど前に当時大陸の一部だったブリテン島に移住した集団は
中近東の出自で、肌の色の濃い人々だった
(著名例はチェダーマン:子孫は現ブリテン島民の10%)。
数千年の内に肌は色を失った。
元来温暖な地から来た人類の寒冷適応は、
偏頭痛の素因とも結び付くとされる。

五千年ほど前にアルプス山中で
氷に閉じ込められ近年発見されたミイラ「アイスマン」は、
中年成人男性とされ、
その年齢で乳糖分解酵素(ラクターゼ)を分泌する素質がなかった(遺伝子分析による)。
実は六千年ほど前に東方のウラル地方の集団で変異が発生し、
離乳期以後もラクターゼを分泌するようになった。
家畜の生乳を利用することが可能となり、
幼児の死亡率が下がった。
変異集団(の形質)はユーラシア各地へと拡がっていった。
しかしアイスマンの集団には至ってなかった。
ちなみに哺乳類では、
離乳期以後ラクターゼ分泌が停止するのが正常である。
圧倒的に多くの日本列島民も例外ではない。

ある地域における人類の環境適応の歴史は、
住民の体に明確に刻まれている。
腸の微生物叢がその事例であることを上で指摘した。
ここ一万年のユーラシア大陸西北部の風土では、
氷床が退いて間もない痩せ地で冷涼小雨の故に
穀物の収量が不足した。
必要な熱量を獣脂(多くは豚)や乳脂で補うことが可能な適応方法だった。
草食の群れ家畜は、
ヒトには処理できない(固い)植物を消化し、
蛋白質とミネラルをも与える。
一方、およそ一万六千年前(世界最古)
既に土器を製作していた日本列島(東アジア)では、
多種多様な(比較的柔らかい)自然の食材が得られた。
地質的に新しいこの山島では、
磯の産物が重要であることも述べた。
その差異を文字通り体・験することとなった。

アルプスの氷河で見つかった古代人「アイスマン」は
ヨーロッパ系の白人ではなく
西アジア系で肌の色も暗かったことが
最新のDNA分析で判明

(写真および説明文は Gigazine HP2023年8月17日より引用)

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年1月号より転載しました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寺岡有機醸造の 寺岡家の国産... | トップ | 井筒ワインの 井筒ワイン無添... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

連載」カテゴリの最新記事