この秋は、見附かぼちゃを県外のお友達にも送ることができました。
そこから先は、もうお友達のものになったのですから、
煮て食べようが、焼いて食べようが自由です。
そして、その種を採って、ご自分で来年、その種を蒔こうが、
あるいは、さらにまた別のお友達にその種を分けてあげようが
これまた自由です。
磐田市とは違った環境でも、同じようなかぼちゃができるのかもしれない。
あるいは、全く違ったものが出来上がって、
その土地の名前が付いた新しいかぼちゃとして売り出される・・・
なんてこともあるのかもしれない。
地元を離れた見附かぼちゃがどういう運命を辿るのかは、
正直、私にはわかりません。
でも、日本全国にある在来の大根、かぶ、なす、唐辛子などは、
そうやって、人が行き来することで次々に生まれて行ったのでは?
昔、実家の隣りの家で猫を飼っていました。
その家の男の子は、学校から帰ると真っ先に、
「おかあさん、ミーコは?」
と、猫のことを尋ねました。
おかあさんの答えはいつも同じ・・・。
「あんた、相手は動くものだから、
ずっと見てるわけにはいかないんだよ。
おかあさんは忙しいんだから・・・。」
そう、野菜は自分では動けません。
でも、それを食べ、それを育てる人は動きます。
「野菜ソムリエのくせに、在来野菜の種をどう思っているんだ!!」
というお叱りを受けるかもしれませんが、
ジーンバンクにでも保管しておかない限り、
在来野菜も動くものなのですから、
私もずっと見張り続けるわけにはいかないのです。