昨年末から江戸東京野菜で遊ばせていただいております。
その中の滝野川大長にんじん。
江戸東京野菜には、東京各地の地名が付いたものがたくさんありますが、
地名を聞いただけで、その風景がはっきり浮かんでくるのが
滝野川大長にんじんの「滝野川」。
私は大学の4年間を北区滝野川で過ごしました。
私の母校は、今は府中市に移転してしまいましたが、以前は北区西ヶ原にありました。
私は西ヶ原のすぐ近くの滝野川に下宿していたのです。
親しみを込めて滝野川大長にんじんのことを調べましたので、
お時間のある方はご覧ください。
●滝野川は根が長い品種の栽培に向いていた
八代将軍・徳川吉宗が、享保年間(1716 ~ 36)に日本全国から野菜の種子を集め、
試作した中から優秀なにんじん品種として選んだものが、この長いにんじん。
それが滝野川(現在の北区滝野川)で栽培されたことから、
「滝野川にんじん」と呼ばれました。
土が深く排水が良いというこの土地は、根もの野菜の栽培に向いていました。
滝野川にんじんは晩生の夏播き専用品種で、7月上旬から種をまき、
11 月頃から収穫していたことから、冬場の貯蔵品としても好まれました。
●姿を消した滝野川にんじん
昭和 20 年頃、200 年以上続いた滝野川にんじんは姿を消してしまいます。
理由は、在来種が滅んでいくおなじみの理由です。
根の長い品種(70~100cm)は、栽培や収穫後の取り扱いにも手間がかかるため、
江戸時代後期に渡来した西洋種(15~20cm)に取って代わられたのです。
●滝野川にんじん、札幌大長にんじん、万福寺大長にんじんの関係
ところが、この滝野川にんじんを1932年(昭和7年)頃から、栽培していた地域があります。
それが、川崎市麻生区の万福寺地域です。
そして川崎市農林課が中心になって、「滝野川にんじん」と「札幌大長にんじん」を交配させ、
生み出したのが「万福寺大長にんじん」。
●江戸東京野菜の「滝野川大長にんじん」は「万福寺大長にんじん」だった!
万福寺大長にんじん=滝野川にんじん×札幌大長にんじん
ということから、
「万福寺大長にんじん」には「滝野川にんじん」の遺伝子が残されています。
そこで、「万福寺大長にんじん」の販売元である日本農林社の了解を得て、
「滝野川大長にんじん」として江戸東京野菜に認定された…
といういきさつがありました。
江戸時代に栽培が始まって、昭和20年に姿を消し、
2015年に江戸東京野菜に認定されるまでの「長いにんじん」の長い旅、
個人的な興味でしたが、調べてよかった!!
長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。
、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます