(写真はトルコのイスタンブールのバザールで。何も言いますまい。
映画の中で取り替えられた子は、割礼を受けていた・・・といいながら、ひとこと。
トルコでは実際上の写真のような衣装に身をまとって、親と歩いていた子がいたので、写真を撮らせていただいた。
王子のように身をまとった子は、これから親戚一同でパーティが始まるのだろうか。
まさか、儀式前の子に本当に合うとは想像してなかった。
トルコでも珍しいのか、演技がよいのかは定かではないが、トルコ人がいっしょに写真を撮らせてもらっていた。
男の子は得意顔。
その後には男の子の泣き叫ぶ声が、響くのだろうか。
トルコではこういった儀式(?)は一般的だが、写真上のような衣装を身にまとい、大々的なパーティを開ける家庭ばかりではない。
また、一般家庭が無理してパーティーを開く場合には、金銭的な理由を考えて、兄弟そろって一度に儀式を行うという。
去年読んだトルコ関係の書物の受け売りである。)
『チェンジリング』 (changeling)
監督・製作・音楽
クリント・イーストウッド
キャスト
アンジェリーナ・ジョリー
ジョン・マルコヴィッチ
ジェフリー・ドノヴァン
コルム・フィオール
ジェイソン・バトラー・ハーナー
2008年 アメリカ 142分
満足度 ★★★★★ ★★☆☆☆
話の展開 ★★★★★ ★★★☆☆
話の結末の終わり方 ★★★★★ ★☆☆☆☆
音楽 ★★★★★ ★★★☆☆
『changeling』の意味を調べてみた。
以下のようにに出てきた。
取り替え子。ヨーロッパの民話で、妖精が人間の子供をさらった後に置いていく妖精の子供。転じて嬰児交換の意味でも用いられる。ブラウニー、フェアリー参照。 大江健三郎の小説『取り替え子(チェンジリング)』(「チェンジリング」はルビ)。上記の「取り替え子」を参照している。
この映画は実話でありながら、寓話的要素が強い部分がある。
何処彼処で読んだような感じがしたのは、事実であったのだ。
故に 原題は 『changeling』
納得である。
『changeling』を扱った 素晴らしいホームページがあったので、記録しておこう。このページは伝承文芸なども、幅広く調べ上げられている。
皆さんもよろしければ、どうぞ。↓
http://www.islandnet.jp/fairy/stories/changelings.html
この映画、途中までは良かった。
涙が出る。
出演者とともに悲しみ、ともに喜び、ともに感動し、ともに納得した。
しかし、最後がくどい。
いっしょに行った息子と、『結末はどこできるか』で話し合い、かえって 楽しい時を過ごすことができた。
夫と娘には、まぁ良かったと説明。
『チェンジリング』は細やかなところまで目が行き届いていた。
警察と民衆の関係、宗教観、当時の服装やメーク。
話し方にも、それぞれ細やかに配慮されていた。
マルコビッチ扮する神父の演説は、かっての大統領を思い浮かべた。
母親の心の変化や高ぶり。中でも見事なのは、殺人犯との絡み。
この表情は互いを高めあい、満足した。
殺人犯と生活を共にした甥の穴を堀場面など、この役者は少年にして天才かと感じる。
なは知らないが、悪役(笑み)警官役も心奪われた。
最後の、入れ替わった少年の母親も短いが捨て置きがたい。
「警察がそういえといったんだ。」
という子のことばに対しての、あわてようは、徒事の警察の腐敗性を全て引き受けて表現。
見事と感じた。
ただ、一つ。
かなり気になった点があった。
母親や臨時に入った仕事から帰り、家の入った瞬間のこと。
いつものように窓辺に少年がいなかったとはいえ、あの怒鳴るような乱暴なあわてようは、子を持つ親には首を傾げた。
入って探し始めてから、だんだん鋭く探し始め、怒鳴り喚くのが本来ではないか・・・。
クレッシェンド部分のない、一本なアメリカンのロックを聴かされているようで 単純さを感じ、私の場合はそれが最後まで尾を引いたのは 残念である。
結末後の最後のくどさと、上の二点が引っかかり、途中の感動をも平坦に感じさせたのが残念であった。
「腐敗してるね。」
といいながら、最近の新聞記事を思い浮かべた二人であった。