乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『新版歌祭文~野崎村』2005年 芝翫 鴈治郎(現・藤十郎) 田之助 吉之丞 富十郎 雀右衛門

2014-09-24 | TVで 歌舞伎・能楽


  『新版歌祭文~野崎村』(字幕付)

       2005年 芝翫 鴈治郎(現・藤十郎) 田之助 吉之丞 富十郎 雀右衛門





 以前にも何度か見た『新版歌祭文~野崎村』を楽しむ。

 うれしさのあまり、涙がこぼれた。

 テレビで芝翫丈と吉之丞さんを見ることができ、感無量



 長文を書き込んでいたが、消去した。

 お許しを…。





衛生劇場
本編尺:74分
製作年:2005年
出演:中村芝翫 中村鴈治郎(現・藤十郎) 澤村田之助 中村吉之丞 中村富十郎 中村雀右衛門

義太夫の名曲が心に沁みる情感あふれる世話物の名作を豪華名優による競演で。
芝翫のお光、鴈治郎(現・藤十郎)の久松、田之助のお常、富十郎の久作、雀右衛門のお染という、人間国宝五名が揃った又とない顔合わせの競演でお届けする。

野崎村にすむ百姓久作の娘お光は、かねてより慕っていた養子の久松との祝言を控え、嬉しさを隠せない様子。そこへ久松が奉公する油屋の娘お染がやって来る。実はお染と久松は恋仲、二人は一緒になれないのなら心中しようと誓い合う。だがこれを聞いたお光は身を引いて尼になる決意をする…。

(2005年/平成17年2月・歌舞伎座)
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映画『愛しの座敷わらし』ロケ地:遠野ふるさと村、岩手山 他 和泉聖治監督 水谷豊 安田成美 草笛光子

2014-09-24 | 民俗考・伝承・講演
   (イラン)




   映画『愛しの座敷わらし』ロケ地:遠野ふるさと村、岩手山、胡四王神社 他   和泉聖治監督 水谷豊 安田成美 草笛光子


 映画『愛しの座敷わらし』を見た。
 岩手の風景や風習や暮らしぶりや言葉に興味を持った。
 以前柳田國男氏の『遠野物語』を読んだことがある。
 岩手は美しい。
 一度行ってみたいと思いながら、まだ夢は果たせない。
 日本の至る所に美しい村や街が在る。
 ゆっくりと回ってみたいものだなぁ~



 ロケ地

 岩手銀行 中ノ橋支店
 遠野ふるさと村
 岩手山
 岩手銀行 中ノ橋支店(重要文化財)
 盛岡商工会議所
 盛岡城跡公園
 小岩井農場
 滝沢村立姥屋敷小学校・中学校
 胡四王神社





 座敷わらし

 座敷童子(ざしきわらし)は、主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。
 座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。
 柳田國男の『遠野物語』や『石神問答』などでも知られ、『遠野物語』の17話・18話および『遠野物語拾遺』87話に「ザシキワラシ」または「座敷ワラシ」の表記で話が掲載されており、17話には「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり」「ザシキワラシは座敷童衆なり」と記述がある。

『遠野物語』には、座敷童子が去った家の一家が食中毒で全滅した話や、岩手県土淵村(現・遠野市)大字飯豊(いいで)の資産家で、座敷童子を子供が弓で矢を射たところ、座敷童子は家を去り、家運が傾いたという話が残されている。
 座敷童子の去った家が没落する話は、貧乏神が去った家が裕福になるという話と関連しているとの見方もある。これについては映画でも出てきた。

 白い座敷童子は吉事の前触れであり、赤い童子(赤い顔、赤い服、赤い手桶を手にした童子)が目に見えるのは、童子が家を出て行くことによる凶事の前触れとの説もある。
 赤い服の童子を見たという家族一同が食中毒死した事例もある。

 近年では、座敷わらしに会える宿として岩手県の「緑風荘」「菅原別館」「わらべ」などがテレビ番組や雑誌に取り上げられているそうだ。

 映画では座敷わらしは飢饉による口減らしのために出現すると理由づけられていた。
 そのように考えられる民俗学の学者も存在する。
 座敷わらしにおいて色々な伝承や説が多く、本当のところはわからない。

 印象として、柳田國男氏の『遠野物語』は興味深く、読み物としても面白いことを付け加えておきたい。


 



監督 和泉聖治
脚本 金子成人
原作 荻原浩『愛しの座敷わらし』

水谷豊
安田成美
濱田龍臣
橋本愛
草笛光子

東映
2012年4月28日
109分
製作国 日本

『HOME 愛しの座敷わらし』(ホーム いとしのざしきわらし)として映画化。2012年4月28日公開。主演の水谷豊は、1983年公開の『逃がれの街』以来29年ぶりに映画単独主演を務めた。

あらすじ
父・晃一は食品会社の新製品開発責任者だったが、売れない豆腐プリンわさび味を作ったり、新たに創世した柿カレーにこだわりや愛情を注ぎすぎ、開発までに時間を掛けてしまい、東京から盛岡支店に半ば左遷された状態で、家族とともに岩手県の田舎町へと引っ越してきた。晃一が写真も見せずに家族に見せた家は築200年を数える古民家だった。東京での暮らしに馴れていた妻の史子は、突然の田舎暮らしに不安と不満でいっぱい。老人ばかりの近所付き合いにも戸惑う。前の外国人家族は1年ほどで引越したという。中2の長女・梓美にもただのボロ家にしか見えず、転校先の学校生活を考えると心が落ち着かない。転校前の学園生活でも人間関係で悩んでばかりだったからで、皆が書いた色紙も破ってしまう。同居する晃一の母親・澄代は田舎住まいには馴れた顔をしているものの、認知症の症状が始まりつつある。唯一、古民家への転居を楽しんでいる小4の長男・智也は、治りかけている喘息の持病をひどく心配され、サッカーをやりたくてもやれずにいる。晃一は家族の不平不満をなかなかうまく解消することはできないばかりか、支店でも馴れない営業職に悪戦苦闘する。誰もいない場所で物音が聞こえたかと思えば、囲炉裏の自在鈎(じざいかぎ)が勝手に動いたり、掃除機のコンセントがふいに抜けたり、手鏡に見知らぬ着物姿の子どもが映ったり、不思議な出来事が高橋家に起こり始める。この家には東北地方の民間伝承で有名な「座敷わらし」が住んでいるという。一風変わった同居人と共同生活をすることになった高橋一家は営業不振、更年期障害、認知症などを抱えながら、その生活に順応していく…。










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大鳴門橋(おおなるときょう)   兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)

2014-09-24 | お出かけ




    大鳴門橋(おおなるときょう)



 

 


 大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋です。

 1985年(昭和60年)6月8日に開通しました。

 本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ三つの本四架橋ルートの1つである神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっているそうです。

 

 大鳴門橋(淡路島側)の近くで、鳴門の渦潮を見ました。

 幸運にも時間がぴったりと合い、徳島で見た時よりもはっきりとした渦が巻いておりました。

 

                2014年9月 




    
    

 






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鳴門の渦潮    鳴門海峡(淡路島)

2014-09-24 | お出かけ






    鳴門の渦潮



 


 先日のこと。淡路島に行き、鳴門海峡で発生する渦潮を見ました。
 徳島県鳴門市からは見たことがあったのですが、淡路島で見たのは初めてです。

 
 船は、美味く渦潮を避けて走られていたように思えました。

 

 Wikipediaによれば、次のように書かれていました。
 潮汐により1日に2回大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出す。
 瀬戸内海と太平洋の水位差は最高で1.5mにも及ぶ。
 海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、潮流は13~15km/hの速度で流れる。大潮の時には20km/hに達することもある。
 この潮流の速度は日本で一番速く、「世界三大潮流」にも数えられることもある。 
 この早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、渦が発生する。
 大潮の際には渦の直径は最大で30mに達するといわれ、渦の大きさは世界でも最大規模といわれる。




           2014年9月

    

 













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つれづれ 栗赤飯

2014-09-24 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
   (石上神宮   奈良 天理)





 先日のこと。山辺の道(石上神宮~柳本駅)を散歩した。
 途中、マスカットを購入。一パック百円。
 程よく甘く、さわやかなお味で、日差しの強い秋のもとを歩くわたくしたちの心にちょっとしたアクセントをプレゼントしてくれた。

 また歩く。
 てくてく歩くと、栗が売られていた。
 納屋の中には小学校高学年の男の子が、栗の選別をしている。
 三百円の物と百五十円のネットがあった。いずれも四百五十グラム。
 栗は今朝拾った物で、一日たつと水分が蒸発して五十グラムばかり目方が減るという。
 三百円の物と百五十円の栗の違いは、大きさだという。
 私は奮発して(笑)三百円の栗を三つ購入。
 ついでに横に置かれていた安納芋一袋百円もお願いし、きり良く合計千円を支払う。

 家に帰り栗をボールに移す。山盛りくりっくりの栗だ。
 大きな栗が目をまんまるくして笑っている。

 山盛りの栗の六割方をゆでる。
 残りはとりあえず皮を剥く。
 そのうち半分は、鬼皮も剥くことになる。
 相当量の作業である。

 単純な作業なので、まな板をリビングに持ち込んで映画を見ながらせっせせっせと剥いた。
 私ってえらい☆と自分をほめてあげる。

 途中、安納芋が焼き上がる。
 栗もゆであがる。
 安納芋を割ると、ゴッホの籾撒幾何と思わせる黄色の絵面。美しい色彩だ。
 栗もほくほく。虫のいず、痛んだ栗が少ない。ただただ惜しいことに、甘さが足りない。

 安納芋を食べ栗をほじくり映画を見ながら、せっせとくりの鬼皮をむく。
 他人様には見せられない光景だなとほくそ笑む。

 黄色の肌を見せた栗を水につける。
 翌日、小豆をゆで、餅米を用意。
 赤飯用の炊飯器に半分に切った栗をゴロゴロと並べ、蒸しもせで、おこわ用のスイッチを入れて炊く。

 小豆たっぷりの上にゴロゴロと栗が入った栗赤飯は美味かった。
 
 ところで、奈良に住んで驚いたことがある。
 市販の赤飯の塩が濃い。塩味たっぷりの赤飯に、はじめは何事かと驚いた。
 お味たっぷりの塩赤飯なのに、ごま塩までついている。
 地方がら、塩味は感じない程度のお味で、ごま塩を少しふって頂く赤飯に慣れていた私。
 南座 横の祇園饅頭の栗赤飯が美味いとにんまりし、我が家の栗赤飯は栗が多いと胸を張る。
                                    さよ




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